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さくらの花嫁  作者: あた
本編
30/32

初めての味は卵焼きです。

 玲紀桜の下、玉葉は佇んでいた。はらはらと、白い花びらが舞い落ちてくる。咲いているものは、白いままなのだ、と不思議に思う。枝の桜は咲いたままだが、これはやがて葉桜になり、散るというのも不思議だ。


蛍雪に刺されそうになったとき、この桜に助けられたような気がした。玉葉は玲紀桜に向かって頭を下げ、

「こないだはありがとうございました」 と言った。返事はないが、風でさわさわ花が揺れる。玉葉は頭を上げて微笑み、桜から視線を外す。その視線を巡らせてみるが、待ち人はまだ来ない。


「陛下遅いな……」

 というか、刺繍針を光らせた蓮宿に見張られてるのに、どうやって出てくるんだろう。


 ふと、目の前が暗くなる。誰かの手に、眼を覆われているのだ。びくりとした玉葉の耳元に、吐息がかかった。

「だーれだ」

「ぎゃあ!」

 玉葉はとっさに腕を振った。ぶん、と鳴った腕を、紫苑が素早く避ける。

「へ、へいか!」

「当たりだ」


 殴られそうになったのに、紫苑はにこにこ笑っている。

「普通に出てきてくださいよ……」

 ため息をついた玉葉に、紫苑はすまん、と笑う。玉葉の隣に並び、桜を見上げた。

「昼間に見ると、また趣が違うな」

「はい」


 緑の滲んだ黒い瞳は緩んでいる。玉葉はちら、と紫苑を見ながらたずねた。

「あの……さっきの男のひとって」

「英進に会ったか。白姫の父親だ」

「何をしにいらしたんですか?」


 不安げな玉葉の顔を見て、紫苑がふ、と瞳を緩める。

「君は何も心配しなくていい」

「そう言われても、心配です」

 ぽつりと呟いた言葉に、紫苑が顔を近づけてきた。


「それは、私を意識しているということか?」

「は、はい?」

 緑がかった黒い瞳に見つめられ、玉葉は心臓を高鳴らせた。

「ち、違いますよ、陛下に対しては餌付けした義務があるっていうか、最後まで面倒みなきゃ、みたいな」

 紫苑が眉を下げた。


「私はそんなに犬みたいだろうか……」

「ええまあ」

 ぽつりと、言葉が落ちた。

「君は、私を男としては見られないのか?」

 そんなこと、言われても困る。ただの料理人が、王を好きになるなんて、できない。一年後には別れるのだ。なぜかひどく、胸が痛くなる。


「へ、陛下だって、私のことをうどんみたいだと思ってるくせに」

 緑がかった黒い瞳が瞬いて、ふ、と緩んだ。

「そうだな。言っただろう?」


 私はうどんが大好きだ。囁かれ、玉葉は顔を赤くした。

「ええ、うどんがね! うどんは美味しいですもん」

 早口で言う玉葉を見てくすりと笑い、

「君に渡したいものがあるのだが、受け取ってくれるか」

 紫苑はそう言って、懐から紐を取り出した。色とりどりの糸が組まれ、模様を浮かび上がらせている。


「それは……」

「組紐だ。誠志君が、私にくれたものだ」

「大事なものではないのですか?」

「ああ、大事だ。だから、君に預かっていてほしい」


 髪に結んでもいいか、そう問われ、玉葉は頷く。紫苑が一歩近づいてきた。腕が伸びて、大きな手が、髪に触れる。しゅる、と響いた音に、玉葉は身じろぎをする。組紐を、髪に結びつけているのだ。

「──できた」


 似合うぞ、玉葉。

紫苑がそう言って、目を緩めた。緑がかった黒い瞳がこちらを見ている。心臓がどくどく高鳴り、目を合わせられない。思わずぎゅ、と目を瞑った。


 ふわり、と紫苑の髪が額に触れる。吐息を感じたその直後、唇に何かが触れた。

 ──あ、卵の味。

 玉葉は目を見開いた。間近にあるのは紫苑の長い睫毛。触れているのは彼の唇。


 一瞬で、紫苑の唇が離れていく。ぽかんとしていた玉葉は、真っ赤になり、ばっ、と後ずさる。勢いで、桜の幹にぶつかった。肩甲骨を強打したが、痛みを感じる間も無く叫んだ。


「ななななな、いまなにしたんですか!」

「さあ、なんだった?」

 紫苑はしれっと言う。く、口付けしておいてなにを……っ!


「陛下のすけこまし!」

 玉葉は言葉を投げつけ、ずかずか歩き出す。振り向くと、紫苑がしょんぼりした顔でこちらを見ていた。まるで、飼い主に置いて行かれた子犬……。うう。良心がうずく。


 引き返した玉葉は、紫苑の手を掴んだ。

「玉葉?」


 玉葉は紫苑をちら、と見て、上ずった声で言う。

「……か、帰りますよ、蓮宿さんが怒るしっ。ちくちく言われるの私なんだから!」

 そのまま歩き出す。紫苑がそっと、玉葉の手を握り返してきた。歩くたびに、髪に結んだ組紐が揺れている。

玲紀桜が、花びらを風に揺らしながら、手をつないで歩く二人を、見送っていた。

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