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さくらの花嫁  作者: あた
本編
29/32

陛下には脱走癖があります。

 玉葉が流水殿を出ると、ちょうど訪問者らしき男と鉢合わせた。がっしりした体つき、豪族の男性特有のあご髭。大らかそうな表情の、立派な男性。彼はちらりと玉葉を見て、微笑んだ。

 玉葉も頭を下げる。


「陛下のお見舞いかな?」

 声をかけられるとは思っていなかったので、驚く。男性の視線は、玉葉の抱えている包みに向かっていた。

「はい、滋養があるものを、と思って」

「ご様子はどうだったかね、だいぶよくなっていた?」

「ええ、まだ肩が痛むようでしたが」

「君の料理を食べればきっと良くなるだろう──ええと、料理人の?」

「桜玉葉です」


 名前を告げた瞬間、男性の瞳が、観察するように素早く玉葉の姿をなぞった。そうして、鷹揚な笑みを浮かべる。

「忠義な料理人をもって、陛下も幸せなことだ」

 そのまま、清風殿の階段を登って行った。

 今のは誰だろう。そう思いながら、玲紀桜の方へ歩き出した。


 ふと、荘園の東屋に白姫がいるのに気づく。むすっとした顔でひじをついて、お団子を食べていた。玉葉がそちらに向かうと、じろ、と睨みつけてくる。


「こんにちは、白姫様」

 玉葉が頭を下げると、ふん、と鼻を鳴らす。

「……蛍雪ったら余計なことをしてくれたわ。おかげで花嫁になる計画が台無しよ」

「姫さまは、蛍雪さんが何者くか知ってらしたんですか」

「知らないわよ。父さまが連れてきたんだもの。あの女、私にまで眠り薬を盛るなんて」


 白姫はき、とこちらを睨みつけた。

「全部あなたのせい。あなたさえいなければ、うまくいったのよ」

「そんなことより」

「そんなことですって!?」

「蛍雪さんの話を聞いてあげてください。あなたのために、罪を犯したんだから」


 白姫は眉をしかめ、

「……わかってるわ。取り調べが終わったら、たっぷり説教してやるんだから」

 そっぽを向いた彼女に、玉葉は苦笑した。





「ああ、おいたわしい。お怪我は痛みますか、陛下」

「いや、大丈夫だ」

 紫苑は目の前の男、藤英進をじっと見た。確かに「いたわしそうな顔」をしている。だが、玉葉のように、本当に自分を心配しているわけではない。それがわかるくらいには、豪族や家臣の白い目にさらされてきた。


「まさか、蛍雪があのようなことを……信じがたい。処罰はいかようにもなさってください」

 その言いように、蓮宿が眉をしかめた。紫苑はくすりと笑い、

「宮中にいると、頭のいい人間にたくさん会う」

「はい?」


「そういう人間は、私には関わろうとしない。高官はみな、難関の国試を突破した賢いものばかりだ。私の母がしたことや、先王の私に対する態度。王としての資質――もろもろの問題を持つ私が即位したとき、補佐官になりたがる男はいなかった。あそこにいる、蓮宿以外は」


 そこで言葉を切り、

「私にとって蓮宿は、替えのきかない存在。だがあなたにとって蛍雪はそうではないようだ」

 ふっと、英進の笑みが消えた。

「……なにがおっしゃりたいので?」


「蛍雪の行為は許されるものではない。しかし彼女が罰せられるなら、あなたにも責はあるのではないか?」

 英進は驚いたように首を振った。


「陛下、蛍雪は勝手に凶行に及んだのです」

「あなたが彼女の素性を知らなかったとは思えない。前々から、蛍雪は私に恨みを持っていたはずだ。そんな彼女を宮中に来させた──たとえ逆心ありと言われても、文句は言えないのではないか」


 栄進はじ、とこちらを見て微笑んだ。

「ハハハ、随分とおしゃべりになられましたな、陛下。こないだまで、私の前ではほとんど口を開かなかったのに」

「私はあなたが怖かったんだ。父に少し似ているから」

「それは光栄ですな」


 今も少し怖い。だが。刃物を持った蛍雪へ、突っ込んでいった玉葉を思い出す。眉間に皺を寄せ、英進を睨んでいる蓮宿を見る。

 大丈夫だ、と言い聞かせる。自分には、信頼できる人間が二人もいる。怖がることなどなにもない。一人ではないのだ。お互いを守り、守られる。そうして、強くなるのだ。

絡み合い補強しあう、組紐のように。紫苑は豪族の長を見据えた。


「蛍雪の身柄はそちらに引き渡す。白姫と共に屋敷へ帰ってくれないか」

 英進は目を細めながら、

「なるほど、わだかまりなく婚姻解消するかわりにこちらの責を問わないと……」

「ああ」

 栄進は膝を叩き、豪快にあははは、と笑った。しかし、こちらを見る眼は笑っていない。


「さすが、藍妃のご子息ですな。人を不快にさせるのが上手い」

 やっと本音らしきものが聞けた。不快さより、すっきりした気持ちのほうが勝る。

「無礼ですよ」

 蓮宿が声を鋭くする。

「褒めているのです。前は怯えた子犬のようだったが、多少成長されたようだ」


 そう言って英進は立ち上がる。冷たい目でこちらを見下ろし、

「是非狼になって国を守っていただきたい」

「期待に沿えるかはわからぬが、頑張る」

「では失礼します。ああ、蓮宿殿」

「なにか?」

「よい胃薬を見つけたので今度お送りします。では」


 出て行った栄進を見て、蓮宿が苦い顔をした。

「まったく、あの男といると胃痛どころではないですね」

 押さえているのは心臓部分だ。

「しかし、意外にあっさり退いたな」

「だといいですがね」


 ため息をついた蓮宿が立ち上がる。

「どうした」

「胃薬を飲んできます。いいですか、安静にしていてくださいよ」

「わかっている。だし巻き卵もあるしな」

 そう言って卵を食む紫苑を見て、蓮宿は少し口元を緩めた。


「お、蓮宿が笑うのは珍しいな。おまえは男前なのだから、そうやって朗らかに笑っていたら、嫁の来手もあるだろうに」

 かわいい嫁をもらったら胃痛も治るかもしれんぞ。そう言ったら、眉間に皺が寄る。

「余計な御世話です」

彼は朱里に言われたことを気にしているのだ。


 蓮宿が出て行き、パタンと戸が閉まるのを見て、紫苑はだし巻き卵を食べるのをやめた。小物入れから、誠志君からもらった組紐を取り出す。それをそっと撫で、懐にしまい込んだ。


「すぐ戻る。心配するな」

 そう書き付けた紙を寝台に落とし、窓からひらりと外に出る。戸の向こうから、蓮宿のため息が聞こえた気がした。

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