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さくらの花嫁  作者: あた
本編
26/32

死んだら花実が咲きません。

 夢を見ている。昔の夢だ。父が死ぬ夢。

 死の間際、父は紫苑をそばに呼んだ。そして、こう言ったのだ。お前の目は、母親にそっくりだ。気味が悪い、と。

「私はそなたの目が嫌いだ。その目から解放されるかと思うとすっとする」


 だからずっと、自分の瞳が嫌いだった。母に似た瞳が。

朱里が言っていた。この世には、無間地獄というものがある。罪科により、一生罰を受け続ける。たとえ死んでも、生まれ変わっても、その科は消えない。それが、呪われた瞳の色。


母も自分も、許されない。それでいいのだと思っていた。それだけのことをしたのだから、償うべきなのだと。緑がかった黒の瞳。これは罪科なのだと。弟たちの命、誠志君の命。失われたものはあまりに大きく、重い。


 死んだとしても、逃れられない罪。自分の子も、それを背負うのか。自分が愛した女も──。ならば一人で、生きようと思った。

へいか、と誰かが呼んだ気がした。


 紫苑はゆっくり目を開いた。視界がぼやけている。そこに、見慣れた男が映り込んだ。

「陛下」

「蓮宿」

 いつも以上に眉間に皺が寄っている蓮宿の顔が、真っ青になっていた。また胃が痛いのだろうか。


「大丈夫か? 顔が青いぞ」

 紫苑の言葉に、がくりと脱力する。しびれを切らしたように叫んだ。

「〜っそれはこちらの台詞です! なぜ護衛を呼ばなかったのですか!」

「刺客の狙いを知りたかったんだ……」


 身じろぎすると肩に痛みが走り、紫苑は眉をしかめた。ふ、と蓮宿の眉が寄った。

「痛むのですか?」

「ああ……少しな。だが傷は浅い」

 起き上がろうとした紫苑を、蓮宿が寝台へ押しもどす。その拍子に傷口が痛み、紫苑はうう、と呻いた。


「乱暴だぞ。けが人なのだから、丁重にしてくれ」

「なにをしれっと起きようとしてるんですか。どこにも行かせませんよ」

「玉葉の様子を見に行かなければ……刺客は玉葉に、毒殺の罪を被せようとしたんだ」

「うどん嬢に?」

 なんとも緊張感が削がれる呼び方である。


「ああ。いったい何のつもりかはわからないが、玉葉にはけして手出しさせない」

「わかりました。うどん嬢には兵をつけますから、陛下は寝ていてください」

 蓮宿はそう言って立ち上がる。と、戸を叩く音が響いた。兵が部屋に入ってきて、頭を下げた。


「失礼します。刺客と思わしき男を捕らえました」

「なに? 素性は?」

「料理長の星飛雄です」


 紫苑は肩を揺らした。

「食糧庫に黒装束を隠していました。今取り調べを受けています」

 蓮宿がこちらを振り向く。

「だそうですが……」

「そうか」

 呟いて、目を閉じる。


「けして、手荒な真似はするな。玉葉の上役なのだ」

「しかし」

 さえぎるように、手をあげる。

「少し眠りたい。一人にしてくれ」


 しばらくして、蓮宿と兵が静かに出て行った気配がした。一人部屋に残された紫苑は、ゆっくり目を開いた。起き上がると、少し肩が痛む。

「すぐ戻る。心配するな」そう書いた紙を寝台に落とし、剣を掴んだ紫苑は、窓からひらりと外に出た。





 桜の花びらが、舞っている。玉葉はゆっくり目を開いた。白い花びらが、次から次へと降ってくる。頭上に広がる枝葉に、白く光る桜が咲いていた。幻想的な雰囲気に、瞳が吸い寄せられた。これが、れいきの、桜?


「不思議ですね」

 優しい声に視線を向けると、傍に佇んでいた蛍雪が微笑んだ。本当に、はかない雪のように美しいひとだ。


「枯れない桜。永遠に咲き続ける花……。美しいけれど、少し不気味だわ」

「蛍雪、さん?」

 なんなんだ、これは。夢?

「あなたに恨みはないのだけど」


 蛍雪は、懐から取り出した小刀をすらり、と抜く。玉葉は身動きを取ろうとして、木の幹に縛り付けられていることに気づいた。食い込んだ縄に痛みを感じる。夢ではない。これは、現実だ。


「あなたはとてもいい子。だけど――姫さまにとっては邪魔な存在」

 蛍雪は極めて優しい口調で言う。光る刃を見ながら、玉葉は唇を震わせた。


「まさか……陛下を襲ったのは、あなたなんですか」

「ええ。正しくは、あなたに毒殺の罪を着せるため、かしら。だけど失敗してしまったから……」

 喉もとに、刃が突きつけられた。それを見下ろしながらつぶやく。

「どうしてですか」

「あなたは偽りの花嫁。残念だけど、散るしかないの」

 蛍雪の瞳にためらいの色はない。本当に殺すつもりなのだ──玉葉は喉を震わせた。


「待て」

 ざ、と響いた足音に、蛍雪が瞳を向けた。闇に溶けそうな漆黒の髪、緑がかった黒の瞳。

「へ……陛下」

 紫苑の襟元から覗いている包帯を見て、玉葉はハッとする。蛍雪が柔らかい声音で言った。

「よくここがわかりましたね」


 ひらりひらりと舞い落ちる花びらを見ながら、紫苑は呟く。

「玉葉と私をつなぐものは、この花しかない。玉葉を狙うのは百姫だろうともな」

「白姫、ですよ。いいえ、姫さまはこのことをご存じではありません。あの方は腹芸などできないお方」

「そのかわり君が暗躍すると、そういうわけか」

 蛍雪はふ、と笑い、

「陛下、私のことを覚えてらっしゃいませんか」

「……どこかで会ったか、人の顔を覚えるのは苦手でな」


 雪姫はうやうやしく礼をした。

「一度だけ。あなたの母親に殺された、誠志君の婚約者、雪姫でございます。今はしがない侍女をしていますが」

 紫苑は目を見開いた。

「な……」

「やはり、お忘れなのですね。あなたは王。私程度の女など、覚えてらっしゃるわけもない」

 蛍雪が刃に込める力を強くすると、玉葉の喉に、赤い線がすうっと走った。

「やめろ!」

 そう叫んだ紫苑に、蛍雪は冷たく告げる。

「あなたのせいでまた人が死ぬ」


 紫苑の顔がさあっと蒼白になっていく。美しい瞳が絶望を感じて、光を見失う。――だめ、そんな顔しないで。負けちゃだめ。

「ふざけないで。私は死なない。ぜったい死なない!」

 玉葉は声を振り絞り、叫んだ。


「一年間、紫苑の花嫁になるって、約束したんだから! 死んだりなんかしない!」

「玉葉……」

 紫苑の瞳に、光が戻る。それを見て、蛍雪がふ、と表情をなくした。


「その約束は、果たされません。さようなら、偽の花嫁」

 刃がひかれそうになった、その時。

 玲紀桜の花が輝き始めた。目を焼くほどのまばゆい光に、玉葉は目をぎゅ、とつむる。


 まるで意思を持つかのごとく、ざざざ、と降ってきた桜の花びらが、玉葉を縛り付けていた縄を切り裂いた。解放された玉葉は、そのまま地面に突っ伏する。

「っぎゃ!」

「玉葉!」


 地面に倒れた玉葉に駆け寄った紫苑が、蛍雪に刀を突きつける。しかし、彼女はこちらではなく、桜を見上げていた。細い指先が、すうっと花びらを追うように動く。白い頬を、涙が流れ落ちていった。


「私も……誠志君の花嫁になりたかった」

 蛍雪が、自分の首筋に剣を向けた、そのとき。


「どりゃあああああああああ!」

 玉葉は蛍雪に突進し、頭突きをした。

「!?」

 蛍雪は額を押さえ、悶絶する。

「う、うう……」


 額を赤くした玉葉が、痛みにもめげず、蛍雪に向かって叫んだ。

「死んでどうするんですか! 死んだらねえ、もう美味しいもの食べられないんですよ!?」

「あなた……食べ物のことしか頭にないのね……」

 呆れた声を出した雪姫が、小声で続けた。

「なんにしろ、私は死罪だわ」


「冬姫」

 紫苑が蛍雪に近づき、跪いた。そのまま、頭を垂れる。

「すまなかった」

「……雪姫です」

 王が頭をさげるなんて。蛍雪はそう呟き、目を閉じた。

 白い桜の花びらが、雪のように舞っていた。

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