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さくらの花嫁  作者: あた
本編
25/32

虫の知らせってやつです。

「っ」

 なぜか胸にひどい痛みを感じた玉葉は、傷んだ胸元を押さえ、不安げに辺りを見回した。

「……いまの、なに?」

 痛みは収まったが、ざわざわとした感覚は続いている。玉葉は、荘園の東屋に座っていた。目の前には弁当箱。蛍雪たちはまだ現れない。と、切迫した声が聞こえた。

「玉葉さん!」


 真っ青な顔で駆けてくる蛍雪を見て、玉葉は慌てて立ち上がる。蛍雪は息を切らしながら、玉葉の腕に縋りついた。

「どうしたの? 顔色が悪いわ」

「陛下が、陛下が何者かに刺されたの!」

「っ」


 玉葉の血の気が、さあっと引いていく。蛍雪の腕をつかみ返し、

「へ、陛下は、陛下はご無事なんですか!?」

 蛍雪は困惑気味に首を振った。

「わからない。私も今聞いたところで……あ、玉葉さん!」

 玉葉は流水殿に向かって走り出した。

 陛下。陛下。陛下。


 流水殿の前には、兵士が集まっている。王の凶事に、緊迫した雰囲気が満ちていた。中に入ろうとすると、すかさず止められる。

「立ち入りは禁じられている」

「へいか、陛下は無事ですか!?」

「今治療中だ、騒ぐな」


 玉葉は流水殿の前に座り込み、祈るように手を組み合わせた。どくどくと心臓が鳴っている。さっきまで、話をしていたのに。お弁当を食べて、おいしいと笑ってくれたのに。どうして。いったい誰が、陛下を。


 あたりが薄暗くなり、宮中に松明のあかりが灯り始める。

 玉葉は何度目かの鐘を聞きながら、階段に座りこんでいた。ざ、という足音が響く。


「玉葉」

 顔をあげると、明かりを手にした飛雄が立っていた。亜麻色の髪や目が、かすかなひかりに照らされている。彼は穏やかな口調で、

「そこで待ってても中に入れないよ。行こう」

「私、さっきまで陛下と一緒にいたんです」

 もう少しあそこにいたら、陛下は刺されなかったかもしれないのに。震える手をぎゅ、と握りしめる。


「大丈夫、宮中の医師は優秀だから、きっと陛下を助けてくれる。さ、おいで。お茶漬けを作ってあげる」

 飛雄はそう言って、そっと背を押す。促され、玉葉はふらふら立ち上がった。厨房に向かうと、蛍雪が待っていた。

「玉葉さん、大丈夫?」

「蛍雪さん……」


「お弁当、姫さまに食べていただいてるわ。ちょっと渋っていたけど、一口食べたら夢中で平らげてた。ああ見えて玉葉さんの料理、気に入っているから」

 無駄にはならなかった――のだろうか。山葵を擦りながら、星は言う。

「陛下には申し訳ないが、僕にはついてる日だな」

「え?」

「両手に美女だ。休日出勤したかいがあったね」


 そもそもなぜ休日出勤していたのか。それを尋ねる前に、お茶漬けが出てくる。炊きたての米に鯛と鰹節をのせ、茶をかける。皮がパリパリになっている様子を見て、思わずお腹が鳴った。


「美味しそう」

「もちろん美味しいよ。君たちへの愛を込めてあるから」

 片目をつむった飛雄に玉葉はため息をつき、蛍雪は目を瞬いている。

「変わった方ですね」

「言ってることの八割聞き流していいですから」

「ははは、玉葉はこんな時でも辛辣だな」


 お茶漬けはダシが効いていて美味しかった。こんな時なのに、お腹が減るなんて。茶碗を空にしてふう、と息をついた玉葉は、

「私、片付けしますから、お二人は先に帰ってください」

「だめですよ、陛下を刺した人物が、逃げたそうですから、一人で出歩くのは危険だわ」

 星が眉を上げる。

「まだ捕まってないのかい? それはなんとも……」


 蛍雪に一緒に後宮に帰りましょう、と言われ、玉葉はうなずいた。

 片付けをしていたら、星が声をかけてきた。

「玉葉、もういいよ。蛍雪さんと帰って」

「料理長は?」

「僕はまだやることがあるんだよ」

「でも、一人で帰るのは危なくないですか?」

「おや、もしかして心配してるのかい? 長い冬を経て、ついに僕への愛に目覚めたんだね」

 甘くささやきながら、飛雄が手を伸ばしてくる。

「お先でーす」


 玉葉は彼の手をさっと避け、蛍雪とともにすたすた厨房を出た。蛍雪は心配げに飛雄を振り向いている。

「いいのかしら」

「今、追い払われたんです。たぶん私たちがいると、作業するのに都合が悪いんですよ。料理長ってああ見えて、結構神経質なので」

「そう。よくわかってるのね」

「いえ、全然」


 二年付き合いがあるが、あれほどよくわからない人もいない。料理への情熱は感じるけれど。

「あ、ちょっと待ってもらっていいですか。食材庫を見てくるので」

 明日の夜食の献立を考えなければ。玉葉は食材庫に入り、ろうそくに火を灯す。棚を照らしながら、食材を確認した。


「えーと、青梗菜と卵と……」

 ふと、何か黒いものが棚の下に押し込まれているのに気づいた。

「これ……」

 玉葉はそれを取り出し、眉をひそめる。真っ黒な着物に、顔までも覆えそうな大きな頭巾。なんでこんなものが。それに、何か鉄臭い匂いがする。

「血?」

「玉葉さん?」


 中に入ってきた蛍雪は、玉葉が手にしていたものを見て目を見開く。

「それは……」

「ここに押し込んであったの」

「まさか、陛下を襲った刺客のものでは」

 刺客? なぜ、そんなものがここにあるのだ──ふと、食材庫の入り口に誰かが立つ気配がした。玉葉はそちらを見て、息を飲む。

「料理長」


 包丁を手にした星が立っていた。暗いせいで、表情がよく見えない。

「早く帰るように言ったのに、まだいたのか。いけない子だね、玉葉」

「ま、さか料理長が」

 蛍雪が星に瓜を投げつけ、玉葉の手を引いた。

「走ってください!」


 玉葉は倒れた星の脇をすり抜け、蛍雪と共に走り出す。どうして飛雄が――本当に彼が陛下を襲ったのか? ぐるぐると疑問が頭を回る。

 蛍雪は後宮に走り込み、玉葉の手を離して言う。


「私は兵士にこの旨伝えてきます。玉葉さんはここにいてください」

「だめです、そんなの危ない」

「大丈夫。いいですか、外に出てはいけませんよ」

 蛍雪はそう言って部屋の襖を閉める。玉葉はうろうろと、部屋の中を歩き回る。ふと、卓上の玲紀桜が消えていることに気づいた。


「え……」

 いったいどこに。玉葉は慌てて部屋の中を探すが、一向に見当たらない。

「もしかして、白姫が……」


 部屋を出て、東棟に向かう。ふすまを叩いた。

「白姫さま、玉葉です。入ってもよろしいですか」

 返事はない。ふすまを開けると、白姫は卓に突っ伏してすやすや寝ていた。案の定、桜の花は卓の上にある。玉葉はため息をついて、部屋の中に足を踏み入れた。


 卓には、桜の形の弁当箱があった。蛍雪の言葉通り全て食べたらしく、空になっている。それを持っていこうと手に取ると、そばにあった水筒が目に入る。これは蛍雪が用意したものだろうか?

 かたん、と物音がして振り返った。


「玉葉さん」

 蛍雪が驚いたような顔で立っている。

「部屋から玲紀桜が消えてて、もしかしたらと思って来てみたんだけど」

 白姫のそばにある桜を見て、蛍雪が眉を下げる。

「ああ……姫さまったら。申し訳ありません」


 玉葉はすやすや眠る白姫をじっと見て、首を振った。本来は、白姫がもらうはずだったのだ。水筒を指さし、

「これ、蛍雪さんが?」

「ええ、最近お茶に凝っていて。一杯いかがです?」

 差し出された茶を、玉葉は受け取った。


 一口飲むと、舌に甘みが広がる。蓮宿の死ぬほど苦いお茶とは大違いであった。こういうお茶を飲んでいると、蛍雪のように穏やかになれるのだろうか。

「美味しい」

 ほ、と息をつくと、蛍雪がほほ笑む。

「よかった」


 ふと先ほどの、鯛のお茶漬けを思い出した。飛雄は変な人だが、他人を傷つけたりはしない人だ。

「……料理長が陛下を刺すなんて、信じられない」

「よほどの理由があったのでしょう」

 蛍雪が目を伏せた。


「陛下のお怪我、大したことがなければいいのですが……」

「うん」

 玉葉はため息をついた。まぶたが重くなってくる。額を押さえた玉葉を、蛍雪が覗き込んできた。

「玉葉さん?」

「ごめんなさい、なんだか、ねむくて」

「今夜はこちらで休まれてはいかがですか? 姫さまもこうですし」

「うん、じゃあ、そうする……」


 玉葉は布団を敷くために立ち上がった。

 玉葉さん、と蛍雪が呼ぶ声が聞こえている。どうしてこんなに眠いんだろう。ショックな出来事が、続いたからだろうか……。


 ふらついた玉葉を、蛍雪が抱きとめた。

 おやすみなさい。優しげな声を聞きながら、玉葉は目を閉じた。

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