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さくらの花嫁  作者: あた
本編
2/32

夜食はうどんに限ります。

 夜風に、花がひらりと舞う。春の宵、咲き誇る白色の桜は、圧巻だ。先日船から眺めた桜とは、また風情が違う。あれは昼だったし、御簾ごしだった。


 ――手に落ちてきた桜の花びらは、乙女の頬のような薄紅色だったな。対して目前の夜桜は美しいが、少し不気味でもあるな、と紫苑しえんは思う。


 闇に淡く光るような白い花。まるで見ているものを誘うように、枝を伸ばし咲いている。妖しく美しい光景だが、いまいち浸れないのは、さっきから隣で男がガミガミ言っているせいだろう。


「いいですか陛下! 必ず紫の服を着た女人に花を渡してくださいね!」


 紫苑はちら、と横を見た。薄墨色の髪を緩く縛った青年。端正な顔立ちなのだが、常に胃が痛いせいなのか、神経質そうに眉が寄っている。


「わかってる。しつこいぞ蓮宿れんしゅく

 紫苑はそう言って、手に持っていた桜の枝を見下ろした。


 ここは王宮の荘園だ。


 季節の花々が植えられた荘園のなか、一番目を引くのは樹齢千年にもなる「玲紀桜」。


幹は硬く、普通のさくらに比べて黒々としている。堂々たる姿に、かすかに感じる妖気。


 間違いなく国内最古の桜であり、不可思議な伝承もあることから、国の宝と謳われている。そんな桜の下で、蓮宿はいらいらと腕を組む。彼は花を愛でる余裕がないようだ。


「だって陛下人の名前覚えないし、人違いしそうですし」

「ちゃんと覚えている。えーと、ひゃくひめだろう」

白姫しらひめです! なぜ忘れる。ものすごく覚えやすいでしょうに!」


 蓮宿の声が高くなる。彼は神経が細かく、男にも関わらず裁縫の才が豊かで、色々なことによく気がつく。


 女だったらいい嫁になったろうが、こんな女は嫌だとも思う。ではどんな女がいいのか、考えてみるがピンと来ない。


 自分に選ぶ権利はない。花を渡す相手は――花嫁は、すでに決まっている。力ある豪族、藤家とうけの娘、白姫。彼女とは一度顔を合わせた。可愛らしい少女だったように思う。だが、それ以上の印象がない。



「いいですか、玲紀桜を渡す相手は、あなたの奥方になるのですからね! 間違っても侍女とかに渡さないでくださいよ!」

「わかってるわかってる。じゃあ行ってくるな」

 小うるさい補佐官を置いて、紫苑はさくらを手に歩き出した。



 頭上に満月が出ているので、目を凝らさずとも足元が明るい。紫苑は後宮のある蓮華殿れんかでんに向かって歩いていた。片手には桜の枝。正室が住まうとされている北棟に、自分が求婚すべき相手はいる。


 お会いできて光栄ですわ、陛下──そう言った少女の顔が、なぜかまったく思い出せない。昼食を食べた後だったのか、かすかに香ばしい匂いがしたのは思い出せるのだが。


 あれは多分、揚げ餅の匂いだった。揚げ餅はうまい。あの甘じょっぱさは癖になるのだ……脱線しかけた思考を、紫苑は慌てて戻す。


 いや、そんなことはどうでもいい。ちゃんと名前を覚えておかなければ。

 白姫、白姫、白姫。蓮宿に叩き込まれた名前を頭の中で唱えていたら、ふ、といい匂いが香ってきた。


「……?」

 あちらは確か、厨房がある桜花殿おうかでんだ。頭の中にあった姫の名前がすっ、と消え、自然に足がそちらへ向かう。


 厨房の入り口からは、暖かい光が漏れていた。匂いもそちらから漂ってきている。夜食の用意でもしているのだろうか。ふ、と覗き込むと、ばあん、と何かを叩く音がした。


「!?」

「うりゃあああああ」


 黒髪を団子に結い上げた細身の少女が、まな板に生地を打ち付けていた。そのたびにものすごい音がする。かわいらしい容姿に似合わない掛け声と力強い動きに、眼が引きつけられた。……小麦粉とは、あんなに力いっぱい捏ねる必要があるのか……。


「よし、こんなもんかな」


 少女は小麦のついた手で汗を拭った。そのせいで額が白くなる。そのことに気づかぬまま、彼女は麺棒で生地を伸ばし、五徳包丁でざくざくと均等に切り分けていく。


 ──おでこについているぞ。

 そう言おうとして足を動かしたら、手をかけていた戸がかたんと鳴る。鹿のようにまるい黒目がちの瞳が、こちらに向いた。


「わあ、びっくりした」


 紫苑を目にし、少女が肩を揺らす。口を開きかけた瞬間、ぐううう。紫苑の腹が鳴った。少女は瞳を瞬き、尋ねた。


「あなた……おなかすいてるの?」

「あ、ああ」

 入って、と言われ、紫苑は足を進める。すると、かぐわしい匂いが強くなった。


「今ね、うどんを打っていたの。食べる?」

「いいのか」

「ええ。少しくらいならいいわ。どうせ余るだろうし」


 少女は大きな鍋に湯を沸かし、切ったうどんを掬い上げてさっと茹でた。丼に入れてつゆをかけ、ネギを散らして紫苑に差し出す。


「どうぞ」

 一口食べてみると、ふわりとかつおだしの匂いがする。普段食べている、豪奢な食事とはまるで違う。飽きのこない、素朴な味わいだ。


 夢中で食べ、つゆまで飲み干す。普段は作法がどうのと蓮宿が騒ぐが、彼は今いない。器を置いて、

「うまかった」

「よかった」


 少女はにこ、と笑い、片づけを始める。おでこにはまだ小麦粉の跡がついていた。


 まだ丸みを残した頬は、先日見た薄紅色の花びらのように色づいている。いくつだろう。16か、17か。紫苑はそんなことを考えながら、じっと彼女を見ていた。食べ終えたのだから、もう立ち去るべきなのに、なぜか立ち上がれない。


 はやく、桜を渡しに行かなくてはいけないのに。


「あなた、文官? でもそれ官服じゃないわよね」

 少女に問われ、自分の格好を見下ろす。


 紫苑が着ていたのは、求婚儀式用の白い着物だった。王にしては質素ななりだが、よくよく見ればいい生地を使っているとわかっただろう。だが娘は気づかないようだ。


 まあ、王がこんなところにいるとは、ふつう思うまい。


「名前は?」

小狼シャオロンだ」

 少女に問われ、とっさに幼名を名乗った。


「あら、偶然ね。うちの弟と同じ名前」

「弟がいるのか」

「ええ、可愛いのよ」

「君の弟なら、可愛いだろうな」


「あははは、口が上手いわね。宮廷詩人か何か?」

「詩を作るのは下手だ」

「私も。催事を行う楓奥殿ふうおうでんに行くと時々詩が聞こえてくるけど、しゃれた言い回ししてないで、花がきれいだって言えばいいじゃない、って思っちゃう」


 はっきりした娘だ、と紫苑は思う。荒れた手は、貴族ではない証。

「何か、礼をしたい」

「じゃあ、その花をちょうだい」


 少女の視線は、玲紀桜に向かっている。

「それ桜でしょう? さくらの花って食べられるの。家に持って帰って塩漬けにするから」


 それはさすがにまずい、と紫苑は思った。これは国宝「玲紀桜」の枝。漬けられては困るし、今から百姫だか千姫だかに渡さなければならないのだ──求婚相手の名前は、完全に頭から消えていた。


「だめ? あ、恋人にあげるものだった?」

「いや」


 とっさに否定して、桜を差し出した。

「こんなものでよければ」

「ありがとう。わあ、この桜、すごく綺麗。食べるのもったいないわ」


 少女の細い手が、桜を撫でる。指先にできたささくれ。なんども洗うせいなのか、袖口は少し擦り切れていた。玲紀桜を撫でる彼女をじっと見つめながら、問う。

「君の名前は」

「桜玉葉」


 少女はそう言って、にこりと笑った。桜玉葉。いい名前だな、と思う。

紫苑は手を伸ばし、袖口で彼女の額を拭った。玉葉が目を瞬いてこちらを見た。


「な、なに?」

「小麦粉が、ついていた」

「やだ、早く言ってよ」

 玉葉は赤くなって額を覆った。上目遣いで見られ、むず痒い気分になる。なんだろう、この感じは。


 額を撫でていた彼女ははっ、とし

「あ、早く白姫さまのとこに行かなきゃ」

 慌ててうどんをよそう。

「ごめん、これ持ってかなきゃならないから」


 玉葉がうどんを盆にのせてどこかに行ってしまったので、紫苑は一人で厨房を出た。


 なんとなく、高揚した気分だ。蓮宿以外と気軽に話すことはほとんどないせいだろうか。

 それとも今日は満月だからだろうか。


 ──満月っちゅうのはねえ、異性に惹かれる気持ちが強くなるんですよ。

 やたらなまっている占星術師が、確かそう言っていた。


 満月の夜、狼がよく吠えてるのは、牝を求めて興奮してるからだと。


 ──だから白姫さまに求婚なさるのは、満月の夜がいいんだっぺ。

 そう、求婚するのは今日が最高の──。


「あ」

 そうだ、さくら、渡してしまったが、どうしよう。立ち止まって考えていたら、向こうから蓮宿が駆けてきた。ぜいはあと息を切らしている。


「へいかっ、どちらへ行かれていたんですか!」

「いや、少々迷ってな」

「なんで迷うんです! あなた何年この宮に住んでるんですかっ」


 実に十九年である。普通に考えたら、迷うはずなどないのだ。素知らぬふりをしていると、蓮宿が手ぶらの紫苑を見て訝しげな声を出す。


「陛下、桜は? 白姫に渡したんですか」

「いや」

「はいいいい?」

 蓮宿が素っ頓狂な声を出し、腹を抑えた。


「ああ、胃が、胃が痛い」

「休んだほうがよくはないか」

「誰のせいだと思ってるんですかっ!」


 苦しげな顔をしている蓮宿に悪いとは思いつつ、紫苑は口を開く。

「もしもなんだが……」

「はい?」

「桜を渡したら、どんな身分だろうが花嫁になるのか?」

「ええ、だからこそあの桜は特別……」


 言いかけた蓮宿が固まった。みるみるうちに青くなる。

「まさか……っ、白姫以外の方に渡したんですか!」


 紫苑がうなずくと、蓮宿が真っ白になった。白砂のごとく、そのままさらさらと崩れ落ちていきそうだ。


「おーい、蓮宿」

 目の前で手を打ち鳴らすと、彼の顔色が戻る。がっ、と肩を掴まれた。


「その娘はどこですか!」

「厨房にいたが」

 蓮宿は手を打ち鳴らし、鋭い声で叫ぶ。

「王兵! 今すぐ厨房に行って、桜を持った女を連行してきなさい!」


 連行という強い言葉に、紫苑は焦った。

「おい、乱暴な真似はするな」

「あははは、よく知りもしない女相手にお優しいことで。陛下には後でたーっぷりお説教がありますのでお楽しみに」


 額に青筋をたてた蓮宿の言葉を聞き流し、紫苑は心配げに厨房の方を見つめた。

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