そんな顔しないでください。
蓮宿と別れ、薪を取りに向かう。薪を傍らにかかえ、とぼとぼ歩いていくと、ふつふつ怒りが湧き上がってきた。
「……なによ、あの言い方は」
忘れてなどいない。自分は仮の花嫁だし、陛下の本当の相手は白姫なのだ。そんなことわかってるのに。
「大体私は花嫁になりたいなんて一言も言ってないし! 優雅に詩を作ったり刺繍したりとか無理だし!」
薪を厨房の裏に置いて、息を吐く。だんだん、頭が冷えてきた。なにをムキになってるんだろう。蓮宿の言ったことは当たっている。
──家柄も容姿も教養も──玉葉には何もない。自分はきれいなお姫様じゃない。
自分の手をじっと見る。かさかさで、ささくれもある。綺麗とは言い難い手。
こんな手で、陛下の花嫁を名乗るなんて不自然だ。なぜか胸が痛くなった。きゅ、と手を握りしめる。
「仕事、しよう」
厨房の裏手から出て、中に入る。作業をしていた星料理長が声をかけてきた。
「どうしたんだい、水害にあった稲作農家みたいな顔して」
「いえ、なんでも……」
玉葉は彼の手元を見て、わあ、と感嘆する。
飛雄が作っていたのは、包丁を使った飾り細工だ。大根が、ちゃんと鶴に見える。羽の様子が、細かく刻むことで表現されていた。玉葉はそれをしげしげと見つめる。
「すごい……本物の鶴みたい」
「はは、玉葉も練習すればできるよ」
なんだかんだ言って腕はあるのだ、この人は。
「これ何に使うんですか?」
「もうすぐ藍王妃の命日だからね。祭壇に飾る用の細工だよ」
「陛下の、お母様の……」
玉葉の表情が曇ったのを見て、飛雄が口を開く。
「冷害にあった小麦農家みたいな顔は似合わないよ、玉葉」
「例えがよくわかりませんが……料理長は、陛下のお母様にお会いしたことはありますか」
「ああ、あるよ」
「どんな方、でしたか」
「食べ物を粗末にする女」
飛雄らしからぬひやりとした声に、玉葉は息を飲む。
「お膳をひっくり返されたのは一度や二度じゃない。いくら美女でもあんなことをする女性はどうかと思うよ」
切った野菜のかけらがパラパラ落ちる。よどみなく細工をほどこしながら、飛雄はいつもの甘い口調に戻って言う。
「まあ、病気だったんだろうけど。愛が不足していたのかもしれない。気づいていたら僕がいくらでも与えて差し上げたのに」
「その発言はアウトですよ、料理長」
どこまで本気なんだ、この人は。
「でも生前の話だからね。死者に鞭打つつもりはないよ」
そうだ、どんな人物だったとしても、王である紫苑の母上に変わりはない。弔わなければならない。
「私も手伝ってよろしいですか」
「いいよ。初めての共同作業だね」
「紛らわしい発言やめてください」
玉葉はそう言って包丁を持った。
完成した細工ものを見て、玉葉はほう、と息を吐いた。大根で作った鶴が、赤カブで作った蓮の間を踊っているという構図だ。丸みを帯びた花びらが、まるで本物のように見える。
「素晴らしいですね」
「自画自賛?」
「ほとんど料理長が作ったんじゃないですか」
彼はあまりもので作った薔薇を差し出してきた。
「尊敬してくれていいよ。そしてその感情を愛に変えてくれて構わない」
「いやそれはないんで」
この寒い言動がなければな。
これだけ見事な細工だ。紫苑が見たらきっと喜ぶだろう。
「今から陛下を呼びに行かれるんですか?」
「ああ」
「私、ちょっと探してきます」
厨房を出て、歩いていく。白姫に会いに行ったのなら後宮にいるのかと思ったが、北棟に艶のある黒髪は見当たらなかった。念のため白姫に尋ねる。
「陛下? 来ていないわよ」
白姫はそう言って、
「一体何の用で探しているの」
訝し気な目を向けてきた。
「いえ、細工物が仕上がったので見ていただきたくて」
一礼し、その場を去ろうとしたら、ぴしりと声が飛んできた。
「待ちなさい」
白姫は扇子を口元に当て、目を細めてこちらを見た。
「あなた、自分の立場をわかってるんでしょうね」
「立場、ですか?」
「そう。まさか陛下の寵愛を受けられるなんて思ってないわよね、たかが料理人が」
蛍雪が気づかわしげにこちらを見ている。
「そんなこと思ってません。私は「うっかり」花を受け取っただけですから」
「よくわかってるじゃない」
白姫は美しい髪を揺らしながら、玉葉の周りをゆっくり歩いた。ひた、と扇子が首筋に突き付けられる。
「陛下の花嫁は私なの。忘れないで頂戴」
そんなこと、言わなくてもわかっているのに。玉葉は固い声で、はい、と答えた。白姫はふん、と鼻を鳴らし、
「行っていいわ。陛下によろしくお伝えして。お父様は私が傷つくようなことはけして許容しない、と」
黙って頭を下げ、玉葉は歩き出した。足が重いのは、きっと怪我のせいだけではない。この重苦しさを、紫苑はいつも味わっているのだろうか。
ほかに紫苑がいそうなところ。流水殿、それから──荘園の東屋。ああ、やっぱりいた。東屋に座る王を見て、玉葉は手を上げる。
「陛下……」
声を出しかけ、止める。紫苑は目を閉じていた。片手を握りしめ、何かに耐えるように、じっと。ふいに、長いまつ毛が揺れ、黒い瞳が開く。
こちらを見た紫苑が、ぱ、と笑顔になった。いそいそとよって来る。玉葉を見下ろし、首を傾げた。
「玉葉、どうかしたのか? お腹が空いた栗鼠みたいな顔をしている」
「あ、の……陛下、以前、この場所には寄りつかなったとおっしゃっていましたよね」
「ああ」
紫苑がふ、と笑った。
「私が来ると、父は嫌がったから」
「……!」
「とある理由で、三年間離宮に住んでいてな……。荘園で、父と側室が茶をしていると寄りつけなかった」
まあ、あまり話すべきこともなかったが。そう言った紫苑の瞳は、悲しみには染まっていない。ただ、何かを諦めているような目だった。
「昔、幼い頃、母に泥だんごを作ったことがある。母は美味しい、と言って食べるふりをしてくれた。綺麗な手が泥で汚れても、笑っていた」
まあ、乳母には叱られたが。紫苑は言う。
「母は、罪を犯し幽閉された。みな、彼女を呪われていると言った。関わると呪われると。父も」
確かに、母は異常だった。
「彼女は父たちとは違う墓に入れられた。仕方がない。それだけのことをしたんだ」
それで、と紫苑がつぶやく。
「今回限りで、貴人として弔うことは、もうしないと」
死んでも、許されないのだな。母はもう、何もできないのに。呟いた紫苑が、こちらに視線を戻した。緑がかった黒い瞳が、揺れる。
「どうして泣くんだ」
玉葉はにじんだ涙をぬぐった。
「ごめ、んなさい」
紫苑は困ったようにこちらを見ていた。大きな掌が、頭を撫でる。
「泣くな。……君に泣かれると、困る」
どうして玉葉が泣いているんだろう。泣きたいのは紫苑のはずだ。へいか、とよぶと、緑がかった黒い瞳がこちらを向く。玉葉は涙をぬぐい、ばっと顔を上げた。
「一緒にお団子を作りましょう!」
「え?」
「お母さんのお墓参り、行きましょう。お供え物も持ってかなきゃ」
「しかし……」
紫苑が言葉を濁した。
「いやでは、ないのか? 私の母は……」
「お母様が何をしたか、聞きました。だけど、お墓があるなら参らなきゃ。そうでしょう?」
「……私でも、団子を作れるか?」
「大丈夫、簡単だから、誰だって作れます!」
玉葉はそう言って、紫苑の手を握った。