さわやかな朝になにをするんですか。
意識がまどろんでいる。段々覚醒していく感覚に、瞼を震わせた。雲雀が鳴く声が聞こえる。ああ、朝か。
玉葉はん、と身じろぎをして、うっすら瞳を開けた。緑がかった黒い瞳が、じっとこちらを見つめている。綺麗な目だなあ……じゃなくて。
「へ、へいかっ」
「おはよう玉葉」
至近距離で微笑まれ、その威力に息を止める。いま、生まれたばかりの細胞が死んだ気がする。死因は眩しさ。
「お、おはようございます」
「君の寝顔はとても可愛い。いつまででも見ていられる」
「っ」
で、出た。紫苑の言葉には星料理長とは違う恥ずかしさがある。多分天然なんだ、この人は。料理長は計算でやってる。でなきゃホントに引く。
「庶民をからかうとバチが当たりますよ!」
「からかってなどいないぞ」
「あー爽やかな朝だなー!」
玉葉はごまかすべく襖を開け、伸びをした。ザアアア……って、まだ雨降ってるし! ちっとも爽やかじゃないし!
紫苑が背後にふ、と立ち、玉葉の髪を撫でながら耳元に囁く。
「照れているのか? 可愛いな、玉葉」
その瞬間、許容量が限界に達した。脳内で細胞たちがのたうち回る。ギャアアア、ハズカシイヨー! ダレカタスケテー!
「だあああ、着替えるのでお帰りください!」
玉葉は紫苑を部屋から追い出した。ふすまに背をつけ、ぜいはあ息を吐く。
「こ、殺される……」
耐えきれない。野菜としか付き合ったことのない自分にはあまりに刺激が強い。卓上の手鏡に映った自分の顔が真っ赤で、慌てて頰を叩いた。制服に着替え、卓の上に目を向けた。
「あ、桜の水替えなきゃ」
玉葉は花瓶を取り上げ、しげしげと桜を見た。
「なんか、色が濃くなった気がする」
最初はもっと白っぽかったのに。花瓶を持ったまま部屋を出ると、紫苑が縁側に立っていた。雨を眺めていた物憂げな瞳が、こちらに向かう。
「支度が済んだか」
「ま、まだいらしたんですか」
頼むから帰って。漆黒の髪、緑がかった美しい黒の瞳。こんなにきれいな人と一緒に寝ていたのかと思うと、直視できない。
「さくら、大事にしてくれているのだな」
黒い瞳は、玉葉が抱えている花瓶に向かっていた。
「こ、これは、アレです。粗末にすると祟られるから!」
「そうか」
紫苑はうんうんと満足げにうなずいている。なぜ嬉しそう……? ふと、ぞくっとして振り向いた玉葉の目に、白姫が映った。
柱にすがりつき、ぎりぎりと歯噛みしながらこちらを見ている。呪、という字が額に刻まれていそうだった。
「ひっ」
思わず後ずさる。
「どうした?」
「い、いえ、私先に行きますねっ」
玉葉は花瓶を抱え、足を引きずりながらその場を離れた。
★
逃げられてしまった。紫苑は少し気落ちしながら清風殿に向かって歩いていた。
でも、玉葉の寝顔は可愛かった。「へいか、残しちゃだめですむにゃむにゃ」という寝言も可愛かった、と自然に頰が緩む。
自室にて着物を着替え、執務室に入ると、蓮宿が寄ってきた。
「……ずいぶんすっきりしたお顔をされていますね」
じろじろこちらを見る瞳はいぶかしげだ。
「そんな顔をするな。別に何もなかったぞ」
と言いつつ、頬が緩む。
「の割には楽しそうですね」
「疑うなら玉葉に聞けばいいだろう。実に健全な眠りだった」
「本当ですかね……『健全』に眠るあなたを、あまり見たことがないもので」
紫苑はふ、と口元を緩めた。四年前に即位した折から、蓮宿はそばについている。紫苑の夢見が悪いことも、そのわけも知っている。
彼は心配性だ。そして他人を心配した分だけ、また胃を痛める。
「心配するな。以前ほど寝つきは悪くない」
もう、ずっと前のことだから。薄墨色の瞳がじ、とこちらを見て、
「そうですか。……それなのに、と言うべきか、ひとつ議題が」
「なんだ?」
「あなたの、お母上のことで」
一瞬、胸が苦しくなる。息を吸い込んで、吐いた。
「──聞こう」
蓮宿の言葉を、紫苑は目を伏せて聞いていた。
★
玉葉は井戸水をくみ上げ、花瓶にそそいでいた。枯れない桜とはいえ、植物だから水は必要なのだ。ふう、と息を吐いていると、声をかけられた。
「ちょっと」
振り向くと、蛍雪を伴った白姫が立っている。ああ、朝から文句を言われるんだろうか……。覚悟しつつ、無理に笑顔を浮かべる。
「おはようございます、白姫様」
白姫はおはよう、と返し、扇子を開いて、口元にあてた。その瞳が、玉葉の足元に向かう。なんだろう。靴を左右逆にでもはいていたっけ? 確認したが、そんなことはなかった。
白姫は扇子をはためかせながら、
「今日、楓奥殿で詩会があるの。茶菓子を用意してちょうだい。時は鐘五つ。」
「詩会、ですか」
「ええ。お題は「雲雀」よ。ふさわしい菓子をお願い」
「はあ」
白姫はつん、と顎をそらし、黒髪を揺らして歩いていく。蛍雪はこちらに礼をし、白姫についていった。
「雲雀……」
ちょうどそのとき、雲雀がピーヒョロロロ、と空を飛んで行った。
「雲雀の形の菓子を作れってことかな……」
料理人は時に菓子も作るが、玉葉はあまり複雑な菓子を作った経験がなかった。
「料理長に相談しようかな」
あまり時間がない。急がないと。
★
「菓子?」
「はい。白姫さまに頼まれまして。雲雀の菓子を作ってくれって」
事情を話すと、飛雄が苦笑した。
「それは、「雲雀」っていう詩を題目にした詩会だ、って意味だと思うよ」
「ひばり?」
「有名な詩だけど、知らないの?」
「料理以外のことはうとくって」
「それじゃいけないな、玉葉」
彼は布を濡らし、蒸篭にかぶせながら言う。
「一流の料理人は、いろいろなことを知っていなければならない。すべての道は料理に通ず、だよ」
玉葉は肩をすくめた。普段はみょうちくりんな言動を繰り出しているのに、時々こうやってもっともなことをいうのだ。ほんとに変な人。
「すいません」
殊勝に頭を下げると、
「そう、例えば愛について」
「はい?」
「料理は愛だよ。多少のところまでは技術でなんとかなるけれど、愛がなければ美味しいものは作れない」
玉葉ははあ、と返事をした。なんだかぴんとこない。
「もちろん愛については僕が教えてあげるから安心していい」
玉葉はああ来た、と思いながらきっぱりと返す。
「それは結構です。「雲雀」について教えてください」
なんだつまらないな。飛雄はそう言い、
「私は雲雀のようには空を飛べないが、君への思いだけは飛んで行ってほしい。遠くへ行ってしまった恋人をおもう詩だよ」
「恋の詩ですか」
玉葉はうーん、とうなった。経験がないので、なんともいえない。
「料理長―、味見お願いします」
せんべいをかじりながら、春麗が言う。
「春麗、またおせんべいを食べてるのかい」
「料理長も食べますう? 美味しいんですよ、金花堂のおせんべい」
玉葉は、春麗がかじっているせんべいを見てはっとした。
「あっ!」
「へ?」
「ちょっと、そのおせんべい一枚ちょうだい」
玉葉は春麗からもらったせんべいをすり鉢に入れ、麺棒で砕き始めた。
「うりゃあ!」
ガンガンと響く音に、周囲は何事かと視線を送る。春麗はせんべいを飲み込み、
「何してんの、玉葉」
「本当に僕の玉葉は珍味だね」