寝つきは悪いほうです。
眠りにつくと、寝苦しさに目を覚ますことが多かった。なぜか泣いていたり、息苦しくなったり。だから紫苑は、眠るのが怖かった。夢の中で、弟たちが死んでいく。みんな紫苑を呪う言葉を吐きながら、血を吐いて、青ざめた顔で死んでいく。
誠志君もそうだった。
あれはそう、弓矢の訓練をしていたときだ。紫苑の隣で、全ての矢を的の中心に当てていた青年がいた。側室の息子である、誠志君だった。彼は囲碁や書、学問に長けていて、はては詩歌の才能まであった。
紫苑がすごいな、と褒めたら、彼は涼やかな瞳を向けてきた。
「あなたはいいですね、兄上」
誠志君は、妙に冷めた口調で言った。兄上、と呼ぶのは便宜上だ。そう言いたげな口調。
「正室の御子であるあなたが王位を継ぐのは確実だ」
涼しげな目をした、紫苑よりよほど優秀な腹違いの弟。文武両道で明朗闊達な貴公子。側室の子だが、父は紫苑より誠志君を可愛がっていた。
紫苑は彼が王になるなら、それでいいと思っていた。父の血を継いでいるのは確かなのだから、側室の子であろうと、王位を継ぐ資格はある。
そう誠志君に話したら、彼は目を瞬いた。それからぽつりと、
「あなたは、無欲ですね」
それから、少しずつ話すようになった。完璧に見える誠志君にも悩みはあり、紫苑はそれをただ聞いた。一応兄である紫苑にできるのはそれくらいだった。彼が兄上、と自分を呼ぶたび、むずがゆい気分になった。
誠志君を含め、側室の兄弟たちとはほとんど口をきいたことがなかった。紫苑の母は彼らとは口をきくなと言っていたし、一人正室の子供である紫苑は、彼らの中では浮いていた。だから誠志君と仲良くなれたのは嬉しかったし、くすぐったかった。
彼が王になっても、兄として話を聞いてやれればいいと思っていた。
誠志君が王位を継ぐことがほとんど確実になったある日、彼が紹介したいひとがいる、と紫苑に告げた。
「婚約者なのです」
誠志君が伴ったのは、大変な美女だった……のだと思う。一度会っただけだから、顔はよく覚えていない。だがいつもきりりとしている誠志君が優しい表情を浮かべていたし、彼らは好き合っているように見えた。
「兄上の婚約者も紹介してくださいよ」
誠志君に言われ、紫苑は首を振った。
「私の婚約者はすぐ変わる。父上が、できるだけ力ある豪族との結婚を望んでいるから」
彼はじっと誠志君を見て、
「兄上はそれでよろしいのですか」
「ああ。幸い、おまえのように好いた女もいない」
「まだ、兄上には運命の人が現れていないのかもしれませんね」
「運命の人?」
「私にとっての彼女のような。互いに惹かれ合う相手です」
「なんだ、のろけか」
誠志君はちがいますよ、と苦笑して、懐から紐を出した。細い糸が何本も編み込まれ、一本の紐になっている。
「それは?」
「組紐というんです。彼女の郷里で栄えた文化らしいのですが」
彼は紐の端を持ち、もう片方を紫苑に差し出した。
「引っ張ってみてください」
言われた通りにしてみると、確かな手ごたえがあった。
「丈夫そうだな」
「でしょう? いくつもの糸を織りなすから見た目も鮮やかで、耐久性もある。実用的で素晴らしい工芸品です」
人にはさだめというものがあると、私は思うのです。誠志君は組紐を持ったまま言う。
「こういう風に糸があって、誰かもう一人がその先にいる。そうして、互いに引き合う。それが運命の相手」
「おまえの場合は、彼女だと?」
誠志君がはにかんだ。弟の恋が、自分のことのように嬉しい。紫苑は暖かい気持ちになりながら、からかう。
「なんだ、やっぱりのろけか」
「違います、これを兄上に差し上げようと思って話したんですよ」
彼はそう言って、もう一つ、色違いの組紐を差し出す。
「彼女に教えてもらって、私が編みました」
「おまえはなんでもできるのだな」
紫苑は組紐を受け取り、じっと見つめた。綾なす色。
「美しいな」
「ええ」
兄上も、見つけてください。糸の先にいる方を。
紫苑は緩やかに目を開いた。
──今日の夢は、穏やかだった。目の前に、すやすや眠るひとりの少女がいる。いつもは結っている黒髪は肩に滑り落ちて、明るくなってきた外からの光で照らされている。
丸い頰にきらきら輝く産毛が見えて、それに触れようと、そっと手を伸ばした。と、玉葉が寝返りを打つ。
「うーん、へいか、残しちゃダメです、むにゃむにゃ」
やけにはっきりした寝言だ。紫苑はふ、と笑い、もう少し寝よう、と目を閉じた。