勝手に話をすすめないでください。
足を引きずりつつ厨房に向かうと、嵐晶と春麗が寄ってきた。
「玉葉、あんた山で怪我してたんだって? 大丈夫?」
「ったくー、仕事押し付けられて怪我するとか要領悪すぎー」
嵐晶は心配そうに、春麗はせんべいをかじりながら言う。
「あ、あはは……」
玉葉はといえば、ぐうの音も出ない。
「あれ?」
ふと見ると、夜食の仕度が整っていた。
「あれ、これ……」
「あ、それ私。感謝して。明日のおやつおごって」
意気揚々と手をあげた春麗を、嵐晶はあきれた目で見る。
「あんたは隣で煎餅かじってただけでしょ……料理長が、玉葉が戻ってこないからかわりにやっとけ、って」
「っごめん」
玉葉はさっと青くなり、二人に頭を下げた。
「私がやらなきゃいけないのに」
「しょーがないよ。おやつおごってくれればいいから」
「春麗、あんたね……」
頭を上げた玉葉は視線をさまよわせた。
「料理長、どこにいる?」
食材保管庫にいると聞き、慌ててそちらに向かう。飛雄は棚の前に立ち、食材の確認をしていた。玉葉は遠慮がちに声をかける。
「星料理長」
「ん? ああ、玉葉。おかえり」
振り向いた飛雄が微笑んだ。
「すいません、私、できると言ったのに」
「謝らなくてもいいさ。僕としては厨房が回れば十分だから」
ただし、と飛雄は続ける。
「君はもう少し賢い子だと思っていたよ。嫉妬されるのはわかりきっていただろう?」
「……ごめんなさい」
星はシイタケ片手にふう、と息を吐き、
「僕が君ばかりを可愛がるから、小鹿ちゃんたちは怒ってしまったんだね」
「は?」
近づいてきた飛雄から、玉葉は後ずさる。ケガしているせいで、じりじりとしか動けない。とん、と棚に背がついて、顔を引きつらせつつ問う。
「あの、料理の話ですよね?」
「料理と愛の話だ。嫉妬されるほど女の子は綺麗になる。煮込めば料理は美味くなる。同じだよ」
「いや全然違うような」
大体、飛雄にそこまで可愛がられた覚えはない。そもそも誰にでも寒い言動を繰り出す人だし。彼はシイタケをこちらに差し出し、
「そして健気に耐える君を僕は可愛らしいと思う……これぞ愛の循環だ」
「はあ……」
訳がわからない──というかそのシイタケをどうしろと? ふっ、と影が落ちて、玉葉は顔を上げた。いつの間にか、目の前にいた飛雄にびくりとする。変人とはいえ、間近で見るとやはり端正な顔立ちをしていた。
「ひ、飛雄料理長、近いんですが」
棚と飛雄に挟まれて逃げ場がない。
「風呂に入ったのかい? 髪が濡れてる」
飛雄の手が髪に触れそうになった瞬間、靴音が響いた。そちらに視線をやり、玉葉は目を見開く。
紫苑が立っていたのだ。
「へ、へいか」
「これは陛下、このようなむさ苦しい場所へようこそおいでくださいました」
うやうやしく頭を下げた飛雄をちらりと見て、紫苑が近づいてくる。
「先ほど、厨房の料理人たちに聞いたのだが、玉葉に仕事が集中したそうだな。原因は、私が玉葉の料理を所望したからだと」
「いえ、違います」
慌てて言う玉葉を遮り、飛雄が口を開く。
「それがなにか?」
「おまえはそれを放置したわけか、飛雄」
飛雄は微笑んだ。
「玉葉はそんなことに負けたりしない子です。だから僕は彼女を気に入っている」
それに、と続けた。
「こうなることは予想できたのではないですか? 陛下の御膳を作るのは、王宮料理人みなの夢です」
王相手に退こうとしない飛雄に、玉葉はハラハラした。
「……そうだな、私のせいだ。軽率だった」
紫苑は玉葉を見て、ふにゃ、と笑う。
「ただ、玉葉のうどんをまた食べたかったんだ」
玉葉はかあっと赤くなった。体温が上昇する。可愛いとか、綺麗とか言われるより、料理を褒められるほうがずっと嬉しい。舌が肥えているだろう紫苑に褒められるのはひときわだった。
ちら、とこちらを見た飛雄は、
「なぜそこまで僕の玉葉にご執心なのでしょう。確かに僕の玉葉は珍味ですが」
「私料理長のものじゃありませんけど!? っていうか珍味ってなに」
「玉葉はおまえのものではない」
いきなり抱き寄せられ、玉葉は目を見開く。紫苑の長い指先が、髪を撫でた。甘い声が、耳元をかする。
「私の花嫁だ」
「……!?」
先ほどとは違う理由で体温が急上昇する。
飛雄は目を瞬き、なるほど、と呟いた。
「南棟の姫は玉葉か……。料理人が花嫁だなんてまさしく珍事。秘密なわけだね」
「あの、花嫁というのは一年だけで、別に本当の花嫁では」
しどろもどろになる玉葉に、紫苑がむっとしたようにつぶやく。
「なぜそんなに焦っている?」
「だって料理長お喋りっぽいし」
「失礼だな玉葉。僕は必要な時にしか喋らないよ。まあ主には女性への愛を語る時だね」
「必要ですか? それ」
紫苑が口を挟む。
「というわけで、玉葉には手出しするな」
「一年後には玉葉は自由になるんですね? いいでしょう。愛は耐えるほどに燃え上がるものだ」
何の話をしてるんだこの人たちは。
「とりあえず陛下、私、夜食を作らなきゃならないので、離してください」
「私もついていく」
「陛下には政務があるでしょう!」
「今日はもうない」
がっちり抱き込まれ、耳元に吐息が触れる。湯上りの甘い匂い。だんだん顔が熱くなってくる。
「君と一緒にいたい」
ダメ押しのように囁かれ、心臓がどくんと鳴った。
「〜っ、だめです! 離しなさい!」
声を上げると、紫苑がびくりとして玉葉から手を離した。しょんぼりした顔でこちらを見る。そんな顔をするのは卑怯だ。心を鬼にしつつ、
「流水殿におかえりくださいっ」
出口を指さすと、すごすご歩き出す。ちら、と振り向いたので、しっし、と手で払うと、肩を落として出て行った。その様子を見ていた飛雄が、ふむ、と顎に手を当てる。
「……ああいう生き物をどこかで見たことがある。なんだったかな?」
「なんか、子犬っぽいんです。ああ……しっし、とかやっちゃった、どうしよう」
普通だったら不敬罪で首刎ねられるところだ。頭を抱える玉葉を見て、
「にしても随分懐かれているんだね」
「やっぱり餌付けしたせいかと」
「餌付けって、ぽいというか、完全に犬扱いじゃないか」
君は本当に珍味だね。そう言われ、玉葉は呻いた。