私には免疫がありません。
耳を真っ赤にしながら、ちょこちょこ歩く玉葉は可愛らしい。湯殿に消えた彼女を見送り、くすくす笑っている紫苑に、蓮宿が胡乱な目を向けた。
「陛下……なんです今のは」
「なにって、新婚さんは一緒に風呂に入るんだろう?」
「どっから得た知識ですか! あのうどん娘が本気にとったらどうするのです」
「一緒に入る」
蓮宿は思わず紫苑の頭に手刀をみまった。
「痛いではないか」
頭をさすりつつ、私は一応王だぞ、と主張する紫苑に、
「あなたはなにを言ってんですか! 山道で転んで頭打ったんですか!」
「別に風呂くらい……」
再び構えられた手刀に、紫苑は頭を防ぐ。蓮宿は手刀を下ろし、深いため息をついた。
「……先ほど藤家に行ってきたばかりではないですか。誤解を生むような振る舞いをして、白姫様に知られたらどうなさるのです」
「そう怒るな。結局入らなかったのだからいいではないか」
「あははは、隙あらば一緒に入ろうとしてたくせに、なに言ってんですかね」
蓮宿の額に青筋ができる。ああ、まずい。このままだとキレる。そして胃を痛める。紫苑は話題を変えた。
「それより」
「あからさまに話そらしましたね」
「昼間の娘たちを呼んでくれないか」
「はい?」
いきなりの話題転換に、蓮宿は首を傾げた。
「昼間って……あの料理人たちですか」
「ああ。少し尋ねたいことがある」
★
玉葉は、湯殿を見渡し、口から間抜けな声を発した。
「ふあー……」
湯殿は露天になっていた。湯けむりの向こうに、さきほど下ってきた山が見える。けぶるような雨に濡れる山々は、こうして見るぶんには風情があった。まさしく絶景かな、である。陛下は毎日こんな風呂に入っているのか。
「すごいなあ……じゃなくて、早く入らなきゃ」
すべらないよう気をつけつつ、洗い場に向かい、身体に湯をかける。足首を見ると、少し腫れていた。触れてみると、多少痛む。
「仕事には支障ないよね」
湯に入り、ふう、と息を吐く。じんわりとした熱さが心地いい。にしても、陛下が迎えに来てくれるなんて――必死に駆けつけてきた紫苑は、飼い主を探しに来た忠犬のようだった。あれには感動した……。
次いで、耳元で囁かれた言葉が蘇る。
──一緒に入るか?
「〜っ」
玉葉はバシャッ、と湯を跳ねさせた。顔を真っ赤にしながら、湯に沈む。唇から、ぶくぶく泡が出た。いきなりあんなこと言うなんて、料理長じゃあるまいし。
「……庶民をからかうなんて許せない」
湯殿から出て身体を拭いていると、制服の替えが置いてあった。紫苑のはからいだろうか? 出たらお礼を言わなきゃな。そう思いながら袖を通す。
着替えて浴場を出ると、紫苑が先ほどと同じく、柱にもたれて立っていた。黙ってそうしていると、非の打ちどころがない美青年だ。なんとなく近寄りがたくて、その場に立ち尽くす。
と、緑ががった黒い瞳がこちらを向いた。玉葉を見て顔を明るくし、ぽてぽて寄ってくる。あ、やっぱり子犬だ。そう思い、なんとなくほっとする。
「お待たせしました。さ、早く入ってください」
「ああ」
紫苑はじ、と玉葉を見て、まだ少し濡れている髪を手にとる。黒髪が揺れ、長いまつ毛が伏せられた。
「湯上りの君は色っぽい」
ちゅ、と髪に落ちた口付けに、玉葉は全力で後ずさった。怪我した足をひねってしまい、ぐき、と痛ましい音が鳴る。
「ぎゃあああ」
色気のない悲鳴をあげ、うずくまった玉葉に、紫苑が慌てる。
「ぎ、玉葉、大丈夫か」
「だ、大丈夫! 大丈夫ですからあんまり寄らないでクダサイ」
なに、今のはなんなの! ばくばくと心臓が鳴っている。紫苑は玉葉を抱き起こし、椅子に座らせた。目が合ったので、全力でそらす。紫苑がふ、と笑った気配がした。
「足の手当てを」
女官にそう言って、湯殿に入っていく。椅子を勧められ座ると、女官す、と屈んだ。細い指先が、足首に触れる。
「失礼いたします」
「あ、ありがとうございます」
足の手当てをされながら、玉葉は真っ赤になった頰をもとに戻そうと叩く。結果、叩きすぎて余計に赤くなった。手当てが終わるないなや、さ、と立ち上がる。
「陛下がもうすぐ湯から上がられると思いますが……お待ちにならなくてもよろしいのですか?」
「イエ仕事がありますので!」
頰を真っ赤にして叫ぶ玉葉を、女官たちは珍獣を眺めるような目で見ていた。