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さくらの花嫁  作者: あた
本編
10/32

雨が降ると憂鬱になります。

 湿った匂いがする。そう思いながら、紫苑は顔を上げた。


 視線の先、軒先が濡れている。やはり、雨が降り出したようだ。手を振っていた玉葉の姿が、ふ、と脳裏に浮かぶ。雨が降ると、この季節はまだ冷える。──玉葉は大丈夫だろうか。


「陛下」

 蓮宿に声をかけられ、は、とする。目があうと、彼はゆるく首を振った。

「どうかされましたか、陛下」


 その声に、前を向く。黒々とした髪と、顎を覆う髭。大らかな笑みを浮かべてはいるが、その実目は笑っていない。王である自分よりよほど威厳のあるその姿。白姫の父親、藤英進とうえいしん。力のある豪族に特有の、翡翠の腕輪をしている。


会うたびに、この人が苦手だ、と紫苑は思う。きっと、少し父に似ているからだ。紫苑を離宮に追いやり、すれ違うたびに目を背けた、あの父に。


 ここは藤家の邸宅。各地から集まった有力な豪族たちは、みな王宮の周りに住んでいる。力のあるものほど王宮に近い場所に居を構えることが出来るので、藤家までは馬で少し駆ければつく。逆に言えば、近くで見張られているも同然なのだ。


 もし紫苑が「しくじれ」ば、とって変わられる可能性は大いにある。それだけ、王の力は衰えてきている。


 英進は子犬でも愛でるかのような瞳を紫苑に向ける。

「にしても、陛下は白皙の美青年になられましたな。先王も容姿端麗であられたが、やはり母上のお血でしょうな、その緑がかった黒の瞳……」

 肩を揺らした紫苑を見て、蓮宿が口を挟む。

「白姫様のこと、誠に申し訳なく思っております。こちらの不手際で、すぐに輿入れが叶わず」

「ああ、うっかり料理人に花を渡した……んでしたかな? よほど可憐な娘だったのでしょう。わかりますよ、私も男だ。ふらつく気持ちは多少なりともね」


 随分鷹揚な台詞だが、実際そう思っているかはまた別だ。愛想がいいのに、腹のうちが見えないところも恐ろしい。しかし真偽はどうあれ、言葉尻に乗るのが得策だろう。


「では、お許しいただけますか」

「もちろん。誰にでも間違いはある」

 英進はただ、と言葉を紡いだ。 瞳がすう、と冷めた色へ変わる。

「二度間違うのは、ご法度ですよ」

「ええ、わかっています」


 紫苑は笑みを浮かべた。袖の内側で、拳をぎゅ、と握りしめながら。そう、間違うことは許されない。守ってくれるものは、もう何もないのだから。



「はあ、肝が冷えましたねえ」

 藤家の屋敷から出た蓮宿が、胃を押さえ、ため息を吐く。紫苑は彼に返事する余力がなく、着物を傘がわりに羽織って、無言で馬に乗り上げた。なにをしたわけでもないのに、ひどく身体が疲弊していた。

 蓮宿がこちらを見て、ふ、と眉を寄せる。

「陛下、大丈夫ですか」

 よほどひどい顔をしているのだろうかと思い、笑ってみせる。


「ああ……心配するな。あの人が少し苦手なだけだ」


 蓮宿は藤家の邸宅をちらと見た。その権威を誇示するべく、朱塗りの門は高々と聳えている。初夏になれば藤棚が見事だろう庭園も、ここからでは見えない。他の豪族とは違うのだといわんばかりに、高い境界を作っているのだ。


「まあ、確かに我々に太刀打ちできる相手ではありませんね。だからこそ後ろ盾になり得るのでしょうが……白姫と夫婦になっても、子を作るのは得策ではないかもしれません。傀儡かいらいになりかねない」

 子供。その言葉を聞くと、心がずし、と重くなる。


「しかし世嗣ぎは、必要だろうな」

「ええ……やっかいですね、縁戚の力が強すぎると、宮廷内で好き勝手にされるし、弱すぎては頼りにならない」

「いっそ、男が生まれなければいい。そうしたら誰も傷つかない」


 蓮宿がじ、とこちらを見た。

「ご自分のことをおっしゃっているのですか?」

「死んだ兄弟たちのほうが優秀だった」


「陛下、おやめください。気に病むのは私だけで十分なんですから。胃に穴が開くとご飯食べられなくなりますよ?」

 紫苑はふ、と笑った。

「ああ、それは嫌だな……おまえ、穴が開いたのか?」

「いえ、ぎりぎり開いてません。陛下がそれ以上グジグジなさったらわかりませんがね」

 その言葉に苦笑する。蓮宿は出会った時もこんな調子だった。


 グジグジしないでください、苛々して胃が痛くなる。きょうだいが死に、母が死に、父が死に、たった一人の跡継ぎになった紫苑に、彼はそう言ったのだ。


「もう王族はあなたしかいないんです。だからあなたが王になってください。義務をちゃんと果たしてください。悩みたいなら、それから悩めばいい」


まっすぐこちらを見て、蓮宿は言った。他のみなは、腫れもののように自分に接するだけだったのに。

 蓮宿がいたから、今までやってこられたのだ。


「雨脚が強くなってきましたね」

 その声につられ、頭上を見ると、篠突く雨が、降り注いでいた。



 ★



 着物を傘代わりにし、王宮に戻るころには、全身ずぶ濡れになっていた。馬から降りて、髪にしたたる雫を払う紫苑に、蓮宿が言う。

「早く風呂に入ってください、お風邪を召されます」

「ああ……しかしすごい雨だな。嵐でも来るのか?」


 空を見上げる紫苑のすぐ側を、着物を頭に被り、まきを運んでいる少女たちが通りかかる。

「帰ってこないわねー、玉葉。大丈夫かなあ」

「この雨だもん。山の中では動き回れないんじゃない?」


 その会話を耳にした紫苑は、思わず彼女たちに話しかける。

「玉葉が帰って来ないのか?」

「え? っへ、陛下!」

 少女たちがこちらを向き、慌てて頭を下げた。

「こちらへ。濡れてしまう」


 手招くと、真っ赤になって寄ってきた。彼女たちは自分の顔を知っているようだ。なぜ玉葉のことは知らなかったのか、不思議だ。

「山に行ったんだろう? 先ほど見かけのだが」

「はい、山に山菜採りに行ったんですが……」


 紫苑は眉をしかめ、蓮宿を振り向く。

「この後、特に政務はないな?」

「はい、って陛下まさか」

「すぐ戻る」

 駆け出した紫苑を、蓮宿は慌てて追う。


「お待ちください、陛下、兵もなしで……っ」

「大丈夫、山には熊ぐらいしかいない」

 紫苑はそう言って馬に乗り上げた。蓮宿が轡をぐいと引く。


「熊舐めてたら死にますよ! なにもあなた様が行かれる必要はないでしょう、彼女は本物の花嫁ではないのですよ。あなたの花嫁は白姫……」

「すぐ戻る」

 轡をぐいと引き戻し、駆け出した紫苑を見て、蓮宿は腹を押さえた。

「……胃薬を追加しよう」

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