第5話 いろいろおかしい
アルトとレイは、畑をお互い逆に回って林に飛び込み、広場を大きく迂回して、示し合わせたように一本の巨木の後ろで顔を合わせた。
二人が赤毛の子供と一緒に小屋を眺めた場所である。
お互い、息が切れてまともに会話もできないが、軽く両腕をあわせて、健闘を称える。
アルトがずるずると座り込んだところに、レイはポーションを手渡す。
ブレストプレートは細かなひびや凹みができていて、それに覆われていない場所にも打ち身や切り傷が至る所にあり、まさに、満身創痍という状態だった。
レイはその姿をちらりと見やってから、木の陰から油断無くゴーレムの動きを見張る。
ゴーレムは畑を見下ろし、そこに右往左往するマンドラゴラしかいないことを確認すると、続いて子どもたちが捕らわれていた小屋に目を付け、それを粉砕する。
あの中に閉じこめてあったチンピラがどうなったのかは、畑とゴーレムに遮られて、よくわからない。
だが、どうせ子どもを虐げていたクズなのだから、と気にしないことにした。
「一本で足りるか?」
アルトが立ち上がった気配を感じ、そう問いかける。
「ん~まぁ、何とかなるだろ。この後、まだ何かあるかもしれないし」
アルトののんびりとした返答があり、レイは頭の上に覆い被さって同じようにゴーレムをみる戦士を、顎の下から頭突きでどついた。
「重いっての。すぐにそうやって、俺より大きいのを自慢するの、やめろよな」
軽口を叩くが、血に濡れた服が視界に入り、どうにも落ち着かない。
「大きいんだから、仕方ないだろう。傷は治ったけど、だるさはなくならないしなぁ。少し我慢して、支えててくれ」
腕で囲い込まれるように後ろから抱きつかれ、レイは今度は違った意味で落ち着かなくなった。
「だ、だから! ポーション、もう一本も飲んでおけ。使いどころは今なんだ。おまえにはもっと体を張ってもらわなきゃならないからな。途中でへばらないよう、飲んどけ」
腕の下から無理矢理抜け出て、アルトの目の前に最後の一瓶を突き出す。
アルトはその瓶を受け取ると、暫し、真剣な表情でレイを見つめた。
「……おまえは前に出ない、約束できるか?」
レイは、一瞬詰まった後、こっくりと頷いて見せる。
「魔術師が前衛に出るようになったらおしまいだ。
おまえが無事なうちは、頼まれても出ない」
「そうじゃない。何があっても出るな。俺に何かあったときは、逃げるんだ。
それができないなら、俺はコレを飲まない」
レイの顔が険しくなり、アルトを睨みつける。
「俺は……アルト、おまえの相棒だ!」
その可愛らしい、普段は子どもっぽい顔が、くしゃっと歪み、アルトはたじろいだ。
泣き出すのではないか、と思ったのだ。
だが、目の前の人物は腐ってもレイだった。
ぎゅっときつく握った拳を、アルトの顔面に叩きつける。
味方から殴られることなど予測していないアルトは、それを正面から受け止めることになった。
生ぬるい感触が鼻の奥に生じ、遅れて鼻血が垂れてくる。
所詮は実戦経験のない魔術師の非力な拳。
痛みは感じなかったが、心への衝撃は半端ではなかった。
レイはアルトを睨みつけながら、ポーションをウェストポーチにしまい込む。
「わかった。おまえは好きなようにしろ。俺も好きなようにする」
「ちょっと待てよ! 魔術師に前に出るなって、そんなに怒るようなことか?!」
「……俺は魔術師である前に、俺自身だ。俺が俺であったことを後悔するようなことは、絶対にしない。絶対だ」
静かな声ではあったが、アルトのこれ以上のすべて封じ込めるような強さがあった。
何故か負けたような気がして、アルトは無言で鼻血を拭った。
ゴーレムの足音は地震のように響き、まだ二人を捜していることがわかる。
レイは木の枝を折ると、それで簡易な地図を足下に描き出し、手短に作戦を立てていく。
大ざっぱな流れを決め、自分たちの役割を確認する。
アルトがゴーレムの目を引き、タイミングを計ってぬかるみの魔法陣を展開。そこへ、レイが効果範囲ぎりぎりから魔法攻撃を行う。
レイの魔法で効きそうなのは爆破の呪文くらいだ。
至近距離でぶっ放せれば、人間程度は藻屑にできる。
だが、それが難しい以上、遠距離から立て続けに何発も打ち込み、それで頭を、せめて額の文字をぶっ飛ばせれば……。
ゴーレムの作成は最後に魔法文字を入れて完成する。
その文字こそがゴーレムの心臓と言ってよく、その文字を消されただけで、ゴーレムは元の岩塊に戻る。
ゴーレムとはそう言うものだ。
レイは、組成系統は不得手ではあったが、その程度の初歩なら師匠に習っていた。
対ゴーレム戦の基礎である。
これがうまく行かないときは、次点として、ツルハシで土木工事のごとく粉々にしていくか、パイク付きの鈍器で粉々にしていくか、どちらにしろ根気と相応しい武器の両方が揃っている必要があった。
ゴーレムは決して難しい敵ではない。ただ、相性が非常に重要な敵であっただけだ。
「作戦がうまく行かなかったときは速やかに撤退。麓の村を集合場所にして、急ぎギルドへ報告すること。
わかったな?」
アルトはしばし答えず、じっともの言いたげにレイを見つめる。
レイが一歩踏み込んで睨みつけて、ようやく頷いた。
「了解だ、相棒」
おどけたように肩をすくめて見せる様は、整った容姿も相まって、とても絵になるが、それだけによけい腹立たしくも感じる。
アルトは田舎出身の自分を恥じているためか、「洗練されている」と考える動作をあえて行うことが多い。
特に、何かをごまかすときにそれは顕著になる。
もやもやとするものを抱えたまま、レイは、杖をしっかりと握りしめて見せた。
それを見て、アルトも表情を切り替え、剣の柄を握りなおした。
どちらともなく頷き合い、まずはアルトが足音を忍ばせて木々の間の移動を始める。
アルトは、隠れていた場所から十分に離れると、おもむろに大きな音を立てて、林の中から広場へと躍り出る。
ゴーレムは畑越しにアルトを睨みつけ、大きく迂回しながら近づいてきた。
影から見守っていたレイは、ゴーレムがアルトに迫っていくのを後目に、畑を挟んだ反対側に姿を現す。
魔力を込めてあるとはいえ、じゃらじゃらとうるさいタリスマンをつけたレイは、隠密行動には適していない。
それでも、ある程度の距離があり、畑を挟んでいる状況であれば、ゴーレムがレイに気づくことはない、と思われた。
ゴーレムの太い腕を踏み台にして、アルトが跳躍しているのが見える。
「おい、こら、そんなにわさわさ動くな」
マンドラゴラ達は、ゴーレムを避けるように動いているようで、今はレイの目の前にわちゃわちゃと固まっていた。
レイが鞄から取り出したぬかるみの巻物を、興味深そうにじっと見ている。
「いいから、あっちに行けよ」
レイがマンドラゴラ達を小声で追い立てたそのときだ。
「レイ! ゴーレムが!」
アルトの悲鳴のような声を聞き、レイは身を隠していることも忘れて、うっかり立ち上がってしまう。
マンドラゴラの葉っぱごしに見える、明確にこちらを向いているゴーレムの顔。
そこには凹凸しかないはずなのに、レイは確かにゴーレムと目が合ってしまった、と確信した。
いや、むしろ……。
思考が散らばる。
ゴーレムは、レイを探していたのではないか……。
「逃げろ、レイ!」
アルトが追すがるように、背後からゴーレムを殴りつける。
しかし、岩でできた巨人は、虫に刺されたほどの痛痒も見せず、ゆっくりと畑を迂回しながら、レイの方に近づいてきていた。
「……何で、ばれた?」
レイは呆然として、徐々に大きく見えてくる巨人をゆっくりと見上げる。
「レイ!」
間近に迫ったゴーレムの太い腕が、ゆっくりと持ち上げられる。
太陽を背負って黒いシルエットになったゴーレムには、異様な迫力があり、レイの足は根が生えたように動かない。
その瞬間、どんな音も耳に入ってこなくなる。
やべ、俺、死んだ……。
重量感を持って迫ってくる岩の固まりを、どこか現実感も遠く、眺めている。
やっぱ、魔術師は前に出るべきではなかったか。
でも、一応隠れていたし、向こうから来た場合、どうしようもないじゃないか。
レイは心の奥底で、そんなことを考えていた。
場数を踏んできたつもりではあったが、目の前の暴力に立ち向かうには、魔術師はあまりにも非力だ。
せめて……。
「レイ!」
「アルト、逃げ……ぐっっ!」
最後まで言うことはできなかった。
金色の固まりがゴーレムの脇の下から飛び出してきて、レイを後方へと吹き飛ばす。
鳩尾に激しい衝撃を感じ、一瞬息が詰まったが、視界に入ってきた光景を前に、もはやそれどころではなかった。
「アル……!」
叫んで手を伸ばした先で、アルトの体が岩塊に押しつぶされた。
「アルト!」
真っ赤な血が飛ぶ。
アルトは下半身をその巨大な拳に押さえられ、獣のような言葉にならないうめき声を上げる。
骨がゆっくりと砕ける音がした。
「ぐっ、ぐあぁあああぁぁぁぁっ!」
「アルト!」
杖をきつく握りしめ、近づこうとする。
だが、視界の端にそれをとらえたアルトは、苦しい息の下から首を横に振る。
「……逃げろって言っただろう……」
「仲間だろ、逃げれるかよ!」
ゴーレムは、手の下のアルトにそれ以上かまうことなく、ゆっくりと巨体を立ち上げた。
石でできた拳には、今染み着いたばかりの赤が滴っている。
「……ここにはおまえの傷を治してくれる奴はいないんだ。おまえが傷ついても、俺は何もできないんだよ。逃げてくれよ」
アルトは剣を支えに立ち上がろうとしながら、懇願するように、レイを見返す。
剣を支える手は震え、体を支えるはずの足はあらぬ方向に曲がっていた。
「……へっ、何言ってるんだよ。傷なんて、冒険者にとっては勲章だって、てめぇが言ってたんじゃないか……」
ゴーレムが一歩踏み出してくる。
恐怖ではなく、わき上がる怒りで、レイは動けなくなっていた。
タリスマンが、レイの感情に反応するように、暗く赤く輝いていく。
杖を握りしめた。
アルトだけは死なせない。その覚悟を持って。
だが、次の瞬間、そのアルトの発した言葉に、レイは呆然として杖を取り落とした。
「それは男の話だ! 女のおまえが残る傷を負っていいはずないだろう!」
アルトは震える足で何とか立ち上がると、振り返りざまに後方にいたゴーレムに切りかかる。
「何……言ってんだよ。誰が……女なんだよ…………」
鼓動がうるさいくらいに胸を打つ。集中できない。杖の先に力が集まらない。
「俺はおまえを守るって決めてるんだ。もう、二度と逃げないって決めてるんだよ!」
アルトはそう吠えると、剣を握る手に力を込める。
金髪が煌めき、下からの強風を受けたかのように舞い上がった。
アルトの手の中で、バスタードソードが青白い光に包まれた。