第2話 この子の事情
もう少し続きます。ちょっとシリアスです。痛い表現が苦手な方は避けてください。
アルトは鬱蒼と茂った下生えを丁寧に刈り取りながら、たまに後ろを見やる。
暑さにまいったのか、レイは黒いローブのフードをかぶることは諦めたらしく、栗色のくりくり巻き毛が、たまに降り注ぐ太陽を反射して、明るく光っていた。
杖を頼る白い手は震えているように見えた。
レイはいつも意地っ張りだ。
アルトがよかれと思い何かしてやろうと思っても、必ず拒否してくる。
そして、アルトの手を借りずに、何事も成し遂げるのだ。
アルトにはそれが眩しく、同時に少し寂しい。
レイのそう言う独立不羈の姿勢は素晴らしいと思う。アルトが知る範囲で、レイほど徹底して借りを作らず、努力する人間はいなかった。
だが、アルトはレイの仲間だ。三人しか固定メンツのいない仲間ではあるが、その中では特に、レイの相棒だと自負している。
少しは頼ってほしい。レイにとっても、アルトがかけがえの仲間であると判るように、その重荷の一端を預けてほしい、そんな風に思っていた。
「まだまだなんだろうな……」
太い蔓を切り落とし、ため息をつく。
かつて、レイはアルトが未熟であったばかりに、大けがをしたことがあった。
まだ互いの呼吸も判らず、闇雲に突っ走って、その勢いだけで依頼をこなしていた頃のことだ。
あの頃に比べ、アルトはずっと強くなった。強くあろうとした。
だが、レイにとって、頼るにはまだ細すぎるのだろう。
もっと大きな男にならねば、と決意を改める。
アルトは額の汗を拭って、空を見上げた。
綺麗に晴れ渡った空を、太陽が大きく横切っていく。
陰ることはなさそうだから、日が落ちるまで、この気温は続くのだろう。
どうしたものか、と辺りを見回した際、目の端にちらっと輝いたものが見えた。
同時に、涼やかなせせらぎの音が耳をかすめる。
水場が近くにあるようだ。
「おい、レイ! 川か何かあるみたいだ。水、汲んで来ようぜ!」
音のする方を指さすと、レイは重そうな頭を上げて、胡散臭そうにアルトを見返す。
「本当か? 嘘じゃねぇだろうな?」
「こんなところでお前騙したって、意味ねぇだろ?」
レイは口の中で舌打ちし、それを勢いに替えようとするように、体を大きく伸ばした。
確かに水音がする。濡れた石と草の臭いもした。
「オォーイ! こっちだ!」
枝の向こうに明るい金髪が見え隠れする。
レイは痛む腕を交互にぶらぶらしながら、ゆっくりとアルトの頭を追った。
「生き返るな!」
頭から水をかぶったアルトが、にししと笑う。
二十を過ぎて、何でそんなにガキっぽいのか。
脱力しながら、レイも頭に水をかけた。
水袋の古くなった水を捨て、新鮮なそれで満たす。
ついでに手ですくった水を喉に流し込んだ。
体中に水が行き渡ったかのように、元気が沸いてくる。
アルトはブーツも脱いで、冷たい水に足をつっこんでいた。
「本当に、ガキみてぇ」
ついつい苦笑をこぼしつつ、レイはゆっくりと立ち上がる。
アルトの荷物に比べればずいぶん軽いとはいえ、レイにとっては十分重量級の荷物は、今は河原に置かれている。
本来なら、先の冒険の戦利品をさっさと王都にでも持って行き、換金するべきであった。
爆発の巻物など、狭い場所では利用価値がない。
でも、田舎で換金できるようなものでもない。
王国軍にでも買い取ってもらうのが関の山なのだ。
レオンが、巻物という巻物に神への賛美を書くような変態でさえなければ、宿屋においてきて、もっと身軽にアルトの後をついてこれただろうに。
手をひさしにして上流を眺めれば、向かう先、山の中腹へと続いている。
マンドラゴラは綺麗な水と豊かな土、そして適度な木陰が必要な魔獣だ。
人間で言うと、四、五歳程度の大きさ。大人の腰よりも少し大きい程度か。
そんな程度の大きさではあるが、可愛い、というような容姿ではない。
下手くそな人形の様に、手足の長さは全く揃っていなくて歪、顔は鼻がなく、目と口だけがうつろな穴のように明いている。
不気味と言ってもいいだろう。
そして、それくらいの高さにある頭からは、太い葉っぱがワサワサと茂っている。普段は頭だけを出して土に埋まっているから、何処にでもあるような幅広の葉っぱが風もないのに揺れていたら、根本を確認し、球根のような頭が土からでていれば、大当たり、と言う見つけ方だ。
この清流の来し方に、ささやかでも平地があるのであれば、そこでマンドラゴラが自生している可能性はとても高い。
麓の猟師が言っていた、「山の中腹で見かけたことがある」という証言とも一致する。
本来群生するものではないため、木陰に沿って探し回ることになりかもしれないが、もう少し登れば木立が切れているところも見えてきている。
あの辺りが狙い目だろう、とレイは脳裏に展開する地図に印を付けておく。
「おい、そろそろ出発するぞ。目標が見えた」
元来、目標の見えづらいフィールドワークは、レイが苦手な分野だ。ダンジョンアタックや、狭い地域での討伐クエストなど、明確な目標を好む傾向にあり、そう言った「先が見える状態」でさえあれば、俄然、元気が戻ってくる。
アルトは、目に輝きの戻った相棒を見て、肩をすくめた。
「了~解。すぐに用意する」
マントで足をぞんざいに拭き、ブーツにつっこむ。自分の分の水袋も、新鮮な水に取り替えた。
その水袋を、背嚢の所定の部分に引っかけようとして、アルトは何かの気配に気づいた。
水袋を背嚢ごと放り出し、剣の柄に手を添えながら、レイに駆け寄る。
「レイ、後ろだ!」
レイは驚いたように目を見開いたが、頭を抱えるようにしてすっと身を屈める。
その栗色の頭の残像がまだ残る空間を、アルトの剣が横にないだ。
ザッと音がして、枝葉が払われる。
その陰から飛び出してくる、豊かな赤!
アルトは無言で剣を引き寄せると、一気にそこに向かって突き出す。
「ダメだ!」
停止の声を聞いた瞬間、アルトはその赤い毛玉を初めて把握した。
五、六歳程度の赤髪の子どもが、緑色の目を見開いて、アルトを見返していた。
勢いのまま突き出される剣を、下からレイが蹴り上げる。
その鋭い切っ先は、寸でのところで子どもからそれ、地面に転がった。
「あっぶねぇ~」
「バカやろう! いつも相手を見ろって言ってるだろ!」
レイの渾身の右ストレートが、脱力したアルトの鳩尾に決まる。
アルトがうずくまっている間に、レイは茂みの間で腰を抜かしている子どもに駆け寄り、その小さな体を確認する。
「おい、大丈夫か? どこにもケガはないか?」
ぎりぎりのところでアルトの気がそれ、剣筋もレイがそらしている。
どこにもケガを負っていないはずではあったが、子どもは動こうとしない。
怯えたようにレイを見上げるばかりだ。
その体はやせ細り、大きな目がより大きくぎょろぎょろと忙しなく動いている。服はぶかぶかで肩から落ち掛けているし、あちこち破れや汚れがあった。
何よりもびっくりしたのは、その柔らかな足に靴がなく、枝や小石で切ったのだろう無数の傷ができていて、血や泥で汚れていたことだ。
「お前、迷子か?」
レイは子どもを抱き上げ、小川のそばの大きな石に座らせる。
その間も、子どもは声一つ上げることなく、落ち着きなくレイとアルトを見比べていた。
「ちょっとしみるぞ。我慢しろ」
乱暴な言い方をしつつも、レイはその小さな足を両手で包み、濡らした布で丁寧に拭き上げる。
何カ所か深い傷があり、膿んでいるところもあるようだ。
最近できた傷ばかりではない、ということだろう。
清流に足を入れさせ、さらに丁寧に洗っていく。
子どもは口を開け、痛そうに眉を跳ね上げたものの、やはり声を出すことはなかった。
「レイ、この子……」
ようやく鳩尾の痛みから復帰したアルトは、弾き飛ばされた剣を拾うと、軽くマントで拭って鞘に戻した後、そっとレイと子どもを伺う。
レイは唇をかみしめ、強引に子どもの顎を持ち上げると、口の中をのぞき込み、あぁ、と低くうなった。
「ただの迷子じゃねぇな。……喉を焼かれてる」
不安に怯える目、服の隙間からのぞくあばらの浮いた胸、もつれた髪。
頭を傾がせて耳をのぞき込むと、ご丁寧に、耳の中も焼かれている。
この子は、音もなく、助けも呼べず、こんなところにいた。
服の中の肌の白さから見て、元々この地域の子どもでもないだろう。
「……誘拐……か? こんな小さな子どもに、何てことを!」
体格の良い戦士がいきなり大きな石を蹴り上げて小川に突き落としたからだろう、子どもは体全体をびくっと震わせて、レイに抱きついてきた。
「アルト、聞こえなくても、気配は感じ取れるんだ。見ることもできる。その怒気をなんとかしろ」
「え? ……あぁ、スマン。悪かったな」
形のいい眉をへにょりと下げて、アルトが子どもの頭に手を伸ばす。
子どもはあからさまにアルトを避け、レイの陰に身を隠した。
「てめぇの粗野さが、無垢な子どもには堪えるんだよ。いいから離れろ、バァカ」
「お前のその口調で粗野っていわれるほど、俺は粗野じゃないと思うぞ」
「寝言は寝て言え。俺は口が悪くてもにじみ出る品格ってもんがあるんだよ。田舎の脳筋戦士と一緒にするんじゃねぇ」
「何だって! お前のどこに品格……げふっ!」
再び、鳩尾を抱えて地面に突っ伏したアルトを放置し、レイは子どもの目線まで腰を屈め、にっこりと笑って見せた。
「大丈夫だ。お前を傷つける奴はここにはいねぇ。俺が守ってやる。大丈夫だ」
しっかり目を合わせ、聞こえていないとは思いつつも、そう言い聞かせる。
子どもは感情のない眼差しで、じっとレイを見ていた。
怯えている様子はない。
そっと手を伸ばし、子どもが避けないのを確認して、赤い鳥の巣のような頭を抱きしめる。
子どもは最初じっとしていたが、レイの腕や体をぺしぺしと軽くたたいた後、ぎゅっと抱きついてきた。
小さな手が震え、ようやく、緑色の瞳から涙があふれ出す。
声にならない嗚咽が、喉の奥から空気を震わせる。
レイの子どもを抱きしめる腕に力がこもる。
そんな二人の様子を、アルトは少し離れたところから、わずかな羨望を伴って眺めていたのだった。
司祭不在の今回の冒険のために持ってきていたポーションの数は少ない。
その中の一つを、子どもの足を傷を癒すのに使う。
耳と喉については、この程度のポーションで治るものではないので、町に戻ってからレオンに診せようということになった。
レイが子どもの傷を診ている間に、アルトは薬缶を火にかけ、水をわかし、香草と香辛料と干し肉で簡単なスープを作る。
そこにパンもひたし、パン粥にしたところで、子どもの前に差し出した。
子どもはまだ、大きなアルトにびくっと反応したものの、横に控えるレイが頷いて促すと、アルトの手から椀を受け取り、スプーンも使わずに食べ始める。
喉に詰まらせないようにとだけ、二人が黙って見守っていると、子どもは半分だけ食べると、くたっと体の力が抜けた。
レイが子どもを、アルトが椀を受け止める。
緊張の糸が切れたのか、子どもはすっかり寝入っていた。
小川から少し離れ、地面にシダの葉を敷き詰め、その上にマントを広げる。
簡易ベッドは大人には小さすぎるものであったが、子ども一人寝るには十分な広さだった。
あどけなく寝る姿は、どこにでもいる普通の子どもにしか見えない。
レイはそのプックリした頬を軽くなで、立ち上がった。
いつの間にか、日が傾いてきている。
二人は急いで野営の準備を行い、たき火で残ったパン粥をあたため、さらに干し肉のスープを追加して作って、食べた。
「……明日、山を下りよう」
人心地着いたところで、アルトが声を低めて言う。
「この子をさっさと親元に帰してやらなきゃな」
肯定の言葉が来るとばかり思っていたアルトは、その後のレイの言葉にうっかり手入れ中のバックラーを落としかける。
「いや、先へ進もう」
「レイ?」
「この子は……こんな山の中で何をやらされていたんだろう? 痩せてはいるけど、必要最低限の食事はもらっていたみたいだ。服も用意されている。喉を潰すのは助けを求めさせないためだろう。そこまでは何となく判るんだ。……だけど、何故、耳を潰す? 何を聞こえなくさせていた?」
「レイ、そんなことは、この子の喉と耳を治せば聞けるだろう? 急いで帰るべきだ」
「んで? この子一人だけ助けて、他はどうする?」
「他?」
アルトは首を傾げた。
他とは、何の他だ? 不穏な空気が胸をざわめかせる。
レイは、獣除けのたき火に小枝をくべ、ずいぶんと近づいた山の中腹を見やる。
すでに闇に沈んだ山は、黒いシルエットになって、二人の前方にそびえていた。
「猟師は、この山でマンドラゴラを見たことがある、と言っていた。……マンドラゴラの唯一の武器はその金切り声だ。それさえ聞こえなければ、マンドラゴラを手にするのは容易い。走り負けなければ、元気な子どもにもできるだろう」
「……それは、お前の想像だろう?」
「誰かが、意図的にこの子を傷つけ、使役していた。その誰かは、本当にこの子だけを、たった一人だけを使役していたと思うか? ……性的な虐待は受けていない。性嗜好に絡んだ誘拐じゃないんだ。明確な意図を持って、子どもをさらってきている。しかも、話題にならないよう、麓の村を避けた場所で、さらっているんだ」
「奴隷を買っているのかもしれない」
「だとしたら、奴隷を買うだけの資金があり、それを費やすだけの見返りがある何かがあるんだよ。この子は山を下りてきたんだ」
覚悟を持ったレイの眼差しが、黒々とした山に据えられる。
「だったら、なおさらだ! 二人しかいないんだぞ? まっすぐ麓に降りて、自警団にこの子を預け、ギルドに協力を仰ぐべきだ」
いつもは優しげな青いたれ目が、今は眦をきつくあげ、レイを睨みつけている。
だが、レイも引けない。
「……それで、俺たちはどうする? ……これからずっと、死んだ子どもの数を数え続けるのか?」
低くうなるようなレイの言葉が、アルトの胸を深くえぐった。
言葉のでなくなったアルトに、レイはふっと表情を揺るめ、健やかな寝息を立てる子どもを見やる。
「なぁ、アルト。俺は……この仕事をやって一つだけ、誇りを持っているんだ」
「誇り? 何だよ、それ」
無性に泣きたくなる。アルトは頭を抱えて座り込む。
レイの低い落ち着いた声が、アルトの耳に届いた。
「冒険者ってのはさ、何にも憚ることなく、人を助けられるんだよ。俺のしたいときに、したいだけ、誰かを助けられるんだ。いい仕事だろ?」
あぁ、勝てないな。
アルトは口の中で呟く。
そっと頭を上げると、たき火越しに、レイの白いなめらかな頬が見えた。
新緑色の少しつりがちの目が、優しく細められ、子どもに注がれてる。
三つ編みをほどいた栗色の髪は、ゆったりと背に流れ落ち、柔らかな輪郭を彩っていた。
「何でお前はそんなに、男前なんだよ」
アルトは、胸の中の無性に泣きたくなる気持ちを抑え、冗談めかして言う。
新緑色の目が、いたずらっぽくゆがんで、アルトをとらえる。
「惚れるなよ、火傷するぜ?」
「バカ言ってないで、早く寝ろ。睡眠不足の魔術師ほど、使えないものはねぇぞ」
「おう。先に寝るわ。明け方に交代する。起こしてくれ」
レイはゆったりと子どものそばに歩み寄ると、その簡易ベッドの横にローブにくるまって転がる。
アルトはそれをしばし見つめた後、剣とバックラーの点検を続けるのであった。
残り1話か2話の予定。もうちょっとだけ続きます。おつきあいください。
20170104 マンドラゴラ描写を増やしました。