第1話 あいつの事情、俺の事情
葉が生い茂る木々をかき分け、辛うじて判別できる獣道を突き進む。
使い込まれたナイフで草や枝を刈りながら先頭を進むのは、赤みの強い金髪を首の後ろで結んだ青年だった。
胸を覆うのはなめし革の上に鉄をはめ込んだブレストプレートで、皮は飴色になり、これもやはり使い込まれているのが判る。
しかし古びた感じはせず、適宜行われているだろうメンテナンスと修繕で、体に違和感なく張り付いていた。
腰には黒光りするバスタードソードが吊されている。曰くありげな装飾が鞘と柄に彫り込まれ、彼の他の装備とは一線を画していた。
背中のリュックの上には、双頭のドラゴンが描かれたバックラーが引っかけてある。
青年が少し歩く度に、カンとかトンとか音がしてうるさい。
そこから五歩ほど遅れたところに、こちらは赤い刺繍が施された黒いローブを目深に着込み、腰を曲げ杖を手にした小柄な人物がいた。
ローブからは、太い三つ編みになった栗色の髪がこぼれ落ち、三つ編みに収まりきらない巻き毛があちこちに跳ね出している。
青年が丁寧に払ってできあがった道を歩きながらも、ローブの人物は荒い息を繰り返していた。
「なぁ、アルト、いい加減に戻ろうぜ? やばいって、暑すぎるって」
ローブをがばっと跳ね上げると、その下からは新緑色の大きな瞳を半分近く瞼で塞いだ、子どもっぽさを残した可愛らしい顔が現れる。
変声期前のように、やや高めだがハスキーな声を振り絞ると、前をいく青年が呆れたように振り返った。
「ソレ、一時間おきに言う気か? だから、麓で待っていてくれていいって、言ったじゃないか」
アルトと呼ばれた青年の額にも汗が光っているが、息を切らしているわけではない。
重そうな背負い袋も青年が持っていて、ローブの人物は手に持つ杖の他には、首にかけているルピーのついたタリスマンくらいしか身につけていないにも関わらず、二人の疲労度は逆転していた。
「せめて、ローブを脱いだらどうだ? 俺が背負ってやるよ」
二人分の食料や野宿用の荷物、前線で戦うための装備を持っても、まだまだアルトは余裕の表情である。
「……化け物かよ、てめぇは。何で、そんな、涼しい顔してんだよ」
「そりゃぁ、レイより鍛えてますから」
頭一つ半くらい高いところから得意げに見下ろされ、ローブの疲れ切った人物レイは、とうとう座り込んだ。
「少し、休憩だ……」
レイは両膝の間に頭を垂れて、ぜーはーと繰り返す。汗が丸みを帯びた頬を滑り、顎から滴り落ちて、地面に落ちていく。
アルトは苦笑しながらも一度荷物を下ろし、外側に吊してあった水袋をレイに渡した。
「今日中に目的のところに行きたいんだけどな。いっそ、おまえごと担ぎ上げていくか?」
空を見上げると、そろそろ太陽が天頂にさしかかる頃合いだった。
「ば、バカじゃねぇの? 俺を担いでて、何か出てきたらどうするつもりだよ!」
水袋を乱暴に返しながら、レイは羞恥に頬を染めて、アルトを睨みあげる。
この山は辺境にも近く、辺境ほどではないが、そこそこ強力な魔獣も出る。だからこそ、レイはアルト一人で行かせるのが不安で、ここまでついてきていたのだ。
「何か出たら? そんときゃ、おまえをそこら辺に放り投げて、颯爽と剣を引き抜くさ」
「最大火力の俺に対して、いい度胸じゃねぇか。燃やし尽くすぞ!」
のほほんと返すアルトに腹が立ち、ついつい呪文を唱え始める。
タリスマンのルビーが赤い光を放ち始めたところで、アルトはからかいすぎた、と気づいた。
「悪い、悪い。冗談だよ。着いてきてくれて、嬉しいんだ。だから、お前のことはちゃんと守ってやるから、安心しろ。悪いな、俺のわがままにつきあわせちまって」
剣だこのある堅い手のひらで、レイの柔らかいくせっ毛を混ぜ返す。
レイはその手を邪険に払いながらも、それ以上強く言えなくて黙り込む。
いつだってアルトはレイを子ども扱いする。
そして、レイの癇癪をくるりと包み込み、悪くなった空気をあっと言う間にいつも通りにしてしまうのだ。
レイとアルトが初めて顔を合わせた頃は、そうでもなかった。
もっと喧嘩もしていたし、対等だった気がする。
ソレが変わったのは、二人で冒険を始めて数ヶ月後、レイが大けがを負ったときだ。
あれは、自分が招いたケガだったと、レイは自覚している。
しかし、アルトはそう思わなかったようだ。
のんびりしているようで、アルトの責任感は人一倍強い。
今では何かにつけて、レイを「守護対象」としている。
こんなのは仲間じゃない。
だからレイは、いつも寂しさを感じていた。
久々の二人だけでのミッションで、レイは対等な仲間だ、とアルトに示せなかったときは、相棒関係を解消しようとまで思い詰めていた。
また頭を垂れて無言になってしまったレイを、アルトは疲れを癒しているのだろう程度に思ったのだろう。
「俺、ちょっとそこら辺見てくるな」
と荷物を置いて、バックラー片手に茂みの中に入っていく。
レイは「おぅ」とだけ応えて、その後ろ姿を見送った。
そもそも、こんなところまで来ることになったのは、アルトのせいだった。
ことの起こりは、二日前の夜。
辺境の冒険から帰ってきたばかりの仲間達で、酒場で祝杯を挙げていた。
その町は辺境世界への入り口とも言える場所で、多くの冒険者でにぎわっている。当然、冒険者専用の酒場兼宿屋も多い。
レイとアルト、そして司祭であるレオンと共に、彼らも他の冒険者の例に漏れず、生還を祝っていた。
冒険から帰ってきたばかりの冒険者は、生きて帰ってきたことへの喜びと、懐が暖まっていることもあり、財布の紐が緩いのもお約束だ。
だからだろう、したたかに酔っぱらってテーブルの上に突っ伏していたレイは、アルトのそばに、いつの間にか娼婦を兼ねている酒場女がいることに気づいてびっくりした。
「本当に助かるわ。マンドラゴラって高いでしょう? あたしの給金じゃ全然手に入らなくて。あなたぐらい逞しい戦士なら、簡単よね。母さんも喜ぶわ」
レイは頭が働かず、瞬きを繰り返しながらそれを見ていた。
野生のマンドラゴラ? 戦士なら簡単? お母さんが喜ぶ? 何だ、それは?
だが、アルトは押しつけられた放漫な胸の谷間をにやにやしながら眺め、「勿論、簡単だよ」と安請け合いしている。
「……マンドラゴラって……何の話だ?」
なんだかすごくイヤな予感がして、隣のレオンに小声で訪ねる。
聖典を恍惚として撫でながら、神への賛辞をぶつぶつと呟いていたレオンは、聖典から一時も目を離さず、
「アルトは、あの女性の病気のお母様のために、マンドラゴラを採ってくる約束をなさったのですよ。マンドラゴラと言えば、媚薬、豊胸、精力増強剤、若返り、様々な薬効で知られる魔獣ですね。他素材と合わせて万能薬を作れる、という噂も聞いたことがあります」
と答えてくれた。
「最初は私にその依頼をなさっていたのですが、私の神への愛に遠慮なさったのか、アルトのところへ行って、あのように。今回の依頼はアルト個人で受けるようですし、私達は彼が戻ってくるまで、宿で神への信仰を深めましょう」
頬を上気させて聖典を撫でている様は、あまり見ていたいものでもない。
レイは無理矢理視線をはずすと、再度アルトを見つめた。
状況の説明を聞いているうちに、アルトは女性の依頼を受けてしまっていた。しかも後金で。破格の安さで。
すぐに依頼をキャンセルしろ、と胸ぐらつかんだが、あの女はすでに酒場からいなくなっていて、どこに住んでいるかも判らない始末。
依頼を受ける、受けないと押し問答になり、酒場の荒くれ者達が遠巻きになるほどの喧嘩をおっぱじめたあげく、二人はレオンの神の御技で昏倒させられたのだった。
朝明け切らぬ頃に出発しようとしていたアルトを呼び止め、どうしても行くなら、自分も連れていけ、と交渉したのが昨日の朝。
宿の自室に籠もっているレオンに、まだ換金できていない戦利品の内、魔法の巻物以外を預け、二人は出発したのだった。
「あぁ、くっそ。お人好しすぎるだろう! それとも何か? 下心か?」
マンドラゴラはそれほど強い魔獣というわけでもない。
その金切り声で金縛りになる程度だ。
マンドラゴラは、相手が金縛りになっている間に走って逃げるだけだ。
だが、その金切り声が問題なのだ。
マンドラゴラの声で動物や人間が麻痺することを知っている他の魔獣達は、マンドラゴラの声が聞こえた時点で、そこに行けば「無抵抗の餌が転がっている」ことを知っている。
人間が、声対策として耳に詰め物をしていったとしても、周りを他の魔獣に囲まれてしまうという状況が発生するのだ。
だからレイは、アルトの言葉を無視して、強引にくっついてきた。
仲間内最大火力である魔術師がついていれば、前線がアルトだけでも、何とか補えるだろう、との算段で。
「あの胸か? デカ胸が奴の理性をとっぱらうのか? ……それとも理性なんてなかったのか? 奴は頭の中まで筋肉が詰まってるに違いない」
「何、人がいない間に罵詈雑言繰り返してんだよ。元気になったんなら、行くぞ。山の中腹までもう少しだ。あの辺りにマンドラゴラを見たことがあるって、麓のじっさまが言ってただろう?」
何の前触れもなく帰ってきたアルトは、レイに右手を差し出す。
レイはそれをパシンと叩いて、杖を頼りに立ち上がった。
ちょっと見切り発車的に新作を投稿いたしました。
これまでの現代物短編とはかなり趣を異にしておりますので、これまでの作風で見に来てくれた方には、少し申し訳ないかも。
スミマセン。
それほど長くかかる予定はありません。2話か3話辺りで終わると思います。
ただ、書きためているわけではないので、続きの発表時期は未定です。
なるべく早く頑張ります。