記憶の混濁
「……なんでここに」
まるで意識していなかった。来るつもりもなかったというのに……
それこそ、自然と足がこの神社へと向かってしまった……そう考えると、なんだか怖いものがあった。
僕は、しかたがないので、石段を一歩登る。そして、そのまま次の足を動かす。
後は流れに任せて、どんどんと石段を登っていく……なんでこんなことをしているんだろう。
別に、今日は八十神語りの日じゃない。八十神語りまでは後一週間ほどある。
それなのに、僕は一体何をしているのか。白神神社に行って、どうしようというのだろうか。
それからしばらくすると、僕は石段を登り終えてしまった。
境内にはもちろん、誰もいない。寂しくオレンジ色に染まった石畳だけが、僕の目の前にあった。
「……何やっているんだろう。僕は」
ここにいても仕方がない……そう思って、僕は今一度、来た道を戻ることにした。
「帰って、しまうのですか?」
そこへ、背後から聞き慣れた声が聞こえてきた。
僕は……この人の声を知っている。聞いたことのある声……僕が聞きたかった声だ。
しかし、その声の主は……いなくなってしまった。僕の前から姿を消してしまったのだ。
今確かに、僕の耳には彼女の声が聞こえてきた。
僕は信じられない思いで背後を振り返る。
「アナタも、ここから見えるオレンジ色の光景を見るために、ここに来たんですよね?」
嬉しそうにそう話す声……僕の背後に立っていたのは……白髪の少女だった。
赤と白の巫女装束に、腰までかかるほどの長い白髮……
そして、端正な顔立ち……僕がずっと探していた彼女だ。
「あ……アナタは……」
……だが、変だった。
彼女の名前が……出てこない。彼女のことを僕は知っているし、普通に呼んでいたはずなのに……
白髪の少女はニッコリと微笑んで僕の方を見る。
「どうかしましたか? 黒須さん」
「あ……ぼ、僕の名前を……」
「うふふっ。当たり前じゃないですか。知っていますよ。そんなこと」
そう。知っていて当たり前なのだ。そして、僕自身も彼女の名前を知っている……はずなのだ。
しかし、一向に僕の頭のなかには、彼女の名前が出てこなかった。
「もしかして、私の事……忘れちゃったんですか?」
そのものズバリと、巫女装束の少女はそう言ってきた。僕は何も言えず、ただ呆然と彼女のことを見ていた。
「そうですか……でも、大丈夫ですよ。これからは、きっと、私の事、忘れることはできないはずですから」
危険な笑みを浮かべて彼女は嗤った。その笑みはどこか、恐ろしいような……少なくとも、僕が知ってるはずの彼女がする笑い方ではなかった。
「き、君は……」
「……私は白神……白神琥珀、と言います。よろしくお願いします。黒須賢吾さん」




