信じること
それから、僕は情けなくも家に帰ることしかできなかった。
紅沢神社で出会った時の黒田さんのお爺さんのあの表情……怒りに満ちていた。
なぜ怒っていたのかは……なんとなくは想像できる。
どう考えても黒田さんのことだ。黒田さんはどうしているんだろう……結局、会うことはできなかった。
「賢吾? 大丈夫?」
と、食事中に母さんが心配そうな顔で僕に話しかけてくる。
「え……あ、ああ。大丈夫」
「……賢吾。最近、何か変なこととかあった?」
と、唐突に母さんがそんなことを聞いてきた。
「え……なんで?」
「……お母さんは、この町の出身じゃないからわからないけど……あの時のお父さん、すごく不安そうだったから……」
母さんはそう言って困ったような顔をする。
あの時……最初に、父さんに白神さんの話をした時のことだろう。
確かにあの時の父さんの顔は本当に不安そうだった。それこそ……ああ。そうだ。あの時の黒田さんのお爺さんの表情。
あれはまさしく、僕が白神さんに会ったことを伝えた時の表情と似ている。
それはもちろん、怒りと不安は違う感情だが……必死さは同じくらいだ。
「……母さんは、父さんとはどこで出会ったんだっけ?」
と、いきなり僕はそんな質問をしてしまった。母さんの方も目を丸くして僕のことを見ている。
「……どうして、そんなことを聞くの?」
「あ……いや、ちょっと気になって」
すると、母さんはフフッと小さく微笑んでから、先を続ける。
「そうねぇ……大学時代よ。お父さんとは、授業で一緒だったの。その頃からお父さんはすごくカッコよくて……よくいろんな女の子に話しかけられていたわ」
「へ、へぇ……」
意外だった。かっこいいというよりは……どちらかというと、無骨な感じの父さんが、女性に人気だったという話は初めてだったからである。
「それは、付き合ってからもそうで……正直、ちょっと嫌だった時もあったわ」
「え……じゃあ、母さん、怒ったりしたの?」
僕がそう訊ねると、母さんは首を横に振った。
「怒りはしなかったわ。だって、お父さんのこと、信じていたもの」
「信じて……いた?」
「そうよ。だって、お父さん、ちゃんと母さんのこと、好きだって言ってくれていたもの。だから、母さんはずっと、お父さんのこと、信用していたの」
遠い昔を思い出すかのように、目を細める母さん。
信じていた……そうだ。黒田さんも、僕のことを信じていてくれたのだ。
なのに、僕は……
「……って、もう! 恥ずかしい話させないでよ! まったく……ほら。ご飯全部食べちゃってね」
恥ずかしげにそういう母さんを他所に、僕はまたしても黒田さんのことを考えていたのだった。




