八十神語り
しかし、一ヶ月前に会ったというのに、白神さんのことを僕はよく知らない。
というか、知らなさすぎるのだ。白神と名乗っていること以外、僕は彼女のことを何も知らないのである。
白髪の巫女装束……とても美人な人だけど、いつも白神神社にいて、物憂げな表情で、椅子に腰掛けている……僕が白神さんについて知っていることは、これだけである。
どこに住んでいるのかとか、どんな仕事をしているのかとかはまるで知らない……とにかく謎の多い人……というか、謎しかないような人物なのである。
そんな謎ばかりの人物だというのに、僕はここ最近、毎日のように白神さんに会いに、白神神社に通っている。
ちょっと迷惑かなと思うレベルで行っているのだが……白神さんの方もほぼ毎日神社にいるので、悪い気はしてないのではないか、と勝手に僕は思っている。
白神さんに会いに来て何を話すのかといえば……それこそ、他愛のない僕の日常の話である。
今日は学校で何があったとか、そのレベルの話をするだけなのだ。
正直、相当つまらない部類の話だと思うのだが……白神さんは微笑みながら僕の話を聞いている。
実際、つまらないかどうか、聞いてみたい気持ちもあるが、ちょっと怖くて聞けないでいた。
だから、結局、僕はその日も、巫女服姿の白神さんに、そんな感じの話をしていたのである。
「あー……えっと、白神さん」
「ん? なんだい。今日の話はこれで終わりかい?」
いつもよりも、僕の話が短かったのがわかったのか、少し物足りなさそうな表情で、白神さんは僕のことを見ている。
「その……僕の話、面白い?」
ついに僕はその質問をしてしまった。白神さんは目を丸くして僕のことを見ていた。
「面白い、か……難しい質問をするね、君は」
「あ……すいません」
「いや、いいんだ。しかし、私は別に気にしていなかったのだが、君がもしかして気にしていたのではないか?」
それはそうである。毎日、この神社に来ては、取るに足らないくだらない話をしているのだ。
それに関して、白神さんは文句一つ言わずにそれを聞いている……気が引けてくるのはこちらの方である。
「まぁ……そうなんですけど」
「ふむ、確かに、君と出会って一ヶ月、君は私に君の身の回りで起きた話を聞いている。それは完全に日常の話で、突飛さは微塵もない話だ」
冷静に、且つ、淡々と白神さんは僕の話をそう評価した。
実際その通りなので、僕は何も言えなかった。
「ええ……すいません」
「謝ることはない。突飛な話をする方が人間にとっては難しいことだ……しかし、君が気にしているというのならば、私は君に、ある提案をすることもできる」
と、不意に白神さんはそんなことを言ってきた。この一ヶ月の間で、一度もそんなことを白神さんが言ってきたことはなかったので、僕は少し驚いてしまった。
「提案……ですか?」
僕がそう尋ねると、白神さんは小さく頷く。
「ああ。何、簡単な話を聞するだけさ。この場所に古くから伝わる……遊びのようなものだね」
「遊び……それ、興味ありますね」
実際、それは嘘ではなかった。白神さんの知っている遊びがどのようなものであるのかは気になったし、この状況を打開できるのならば、多少の変化は必要だと思ったからである。
僕が乗り気であることを確認すると、白神さんは嬉しそうに微笑んだ。
「そうか。では、『八十神語り』をするとしようか」
「え……やそがみ……なんですか?」
僕が不思議そうな顔をするのをわかっていたようで、白神さんは得意気に微笑んだ。
「八十神語り……簡単に言えば、神様の話をするんだ」
「神様の……話?」
「ああ。この国にはたくさんの神様がいる……八十神語りにはそんな神様の存在を知らせるために、この土地で古くから行われてきた……言ってしまえば、習わしのようなものなのだ」
「へ……へぇ」
僕は少し意外に思ってしまった。
神様の話……なんだか、ひどく宗教的だと思ったのである。
もちろん、ここは神社だし、目の前にいる白神さんは巫女装束をしている……神様の話をするのは当然のことであるといえば、そうなのかもしれない。
「で、どうする? 少し怖くなったかい?」
「え? 怖い? そんなことはないですけど……」
「そうか。ただ、八十神語りにはいくつか条件……というか、ルールのようなものがあるんだ」
「ルール、ですか?」
「ああ。まず、八十神語りは、八人の神様の話を、10日に一度する……それが基本的なルールだ」
「……10日に一度、八人……つまり、ざっと2ヶ月ちょっとくらいですか? 結構時間のかかる遊びですね」
「そうだな。それに、一度始まれば八人の神様の話が終わるまでは、八十神語りを終わらせることはできない……というか、終わらせてはいけないんだ」
それを聞いて僕は辟易してしまった。
二ヶ月間、神様の話……流石に無理がありすぎるというものだ。
「あはは……ちょっと厳しいんじゃないですか? それに第一、僕、神様の話なんてできませんよ?」
「ああ、それは問題ない。私がする。八十神語りは私の得意な遊びだったからな」
僕は心のどこかで「あれ? もしかして、白神さん、ちょっとヤバイ人なんじゃないか」と思い始めていた。
「あ、あはは……そ、そうですか……でも、僕はできれば、別の話をしたいというか……」
「そうか、ならば、君と会うのは今日で最後ということだな」
と、不意に、白神さんはとんでもないことを言い出した。
「え……最後、って?」
「そのままの意味だ。もし、八十神語りをしないのならば、私はもうここには来ない。君も、もう来ないようにしてくれ」
そういう白神さんの目は真剣そのものだった。その目を見れば「八十神語り」とやらに付き合わなければ、もう二度と、白神さんとは会えないということは僕にもなんとなく理解できた。
「あ……それは……嫌ですね」
僕は思わずそう言ってしまった。その言葉を期待していたかのように、白神さんは嬉しそうにニッコリと微笑んだ。
「そうか。では、私の遊びに付き合ってくれるということだな」
「え……ええ。そうなりますね」
半ば強引に押し切られているような気もしたが、僕は白神さんの誘いに乗ることを承諾した。
これでいいのだろうか、という気持ちがないわけではなかったが、それでもこの神秘的な美人と二度と会えなくなるよりかはマシな気がしてしまったのである。
「よし……では、明日から八十神語りを始めよう」
「え? 今日はやらないんですか?」
僕が不思議そうに尋ねると、白神さんは当たり前だという顔で僕のことを見る。
「八十神語りをするときは、八十神語り以外の会話は厳禁だ。神様に失礼だからな」
「あ……そう、なんですね」
「ああ、その代わり、私のする八十神語りの話は面白いぞ。なにせ、すべて現実で起きたことだからな」
「へ……現実で……起きたこと?」
俺が怪訝そうな顔をすると、やはりそうきたかというような顔で白神さんは俺を見る。
「ああ。嘘ではない、ということだな」
「あ……あはは。そう……なんですか」
「ふむ。信じられないのは仕方ない。だが、君も明日ここに来て、八十神語りの話を聞けばきっと、分かるはずだ」
そういって、白神さんは鋭い目線で僕を見ていた。僕はなんだか白神さんのことが怖くなってきてしまって、思わず目を反らしてしまった。
「あ……ぼ、僕、そろそろ帰りますね」
「ああ。そうするといい。また、明日」
僕は慌ててその場に立ち上がってしまった。白神さんは嬉しそうな笑顔で俺のことを見送っていた。
しかし……八十神語りって、一体なんなのだろうか。少なくとも、僕は聞いたことがない。
僕の父はこの町の出身だけれど……何か知っていたりするのだろうか。
「……父さんが仕事から帰ってきたら、何か聞いてみるか」
そんなことを思いながら、ふと神社の境内を振り返ってみる。
すでに、白神さんの姿はどこにもなかった……まるで、その場から消えてしまったかのようだ。
僕はどことなく不安を感じていた。本当に、あの不思議な人にこれ以上関わっていて、いいのだろうか。
漠然とした不安が僕を包んでいたが……考えてもわからないので、結局、僕はそのまま家に帰ることにした。