靄の中
それから、どれくらい時間が経ったのだろうか。
僕は……なんだかふわふわとした気分だった。
自分がどこにいるのかもわからない……いや、わかっているのだが、なんとなくそれが実感として伴ってこない……そんな感覚だった。
「どうしたんだい?」
と、白神さんの声が聞こえてきた。
白神さん……なんだろう。なんで僕は白神さんと一緒にいるのだろう。
今日は何か大事な約束が会った気がするのだけれど……まるで頭にモヤがかかったかのように、僕はその約束を思い出せなかった。
「聞いているのかい? ……まぁ、いい。時間はたっぷりとあるんだ。何度でも私は話を繰り返すだけだ」
そういって、白神さんは口元にコーヒーカップを運んでいく……コーヒーカップ……なんでコーヒーなんで飲んでるんだろう。
そう考えた途端、僕は、自分が喫茶店テンプルにいることを認識した。
なんでそんなことさえも気づかなかったのか……今の状況が僕には全く理解できなかったが、何かを考えようとすることは、頭がそれを拒絶してしまった。
「さて……単刀直入に言うが、私は別に君を困らせようとしているわけじゃないんだ」
白神さんはそう言って、僕のことを見てきた。その底なし沼のような黒い瞳からを目をそらそうとしても、身体が動かなかった。
「ただ、これは……儀式なんだ。君も薄々分かっているのだろう? 私だって、好きでこんなことをしているわけじゃないん」
「え……でも、白神さん……」
僕がそう言いかけると、白神さんは意味ありげに微笑む。
「君のお友達……分社の巫女には必要なことなんだ。特にあの子は……私によく似ている」
「え……分社の巫女……それって……」
僕がそう言うと、白神さんは小さく頷いた。
「ああ。君は……彼女が好きだろう? 彼女も君が好きだ。それは、素晴らしいことだと私は思うよ」
「え……なんで、そんな話を……」
僕がそう言いかけると、いきなり白神さんは立ち上がった。
「さて、そろそろ行こうか」
「え……どこへですか?」
僕が戸惑っていると、白神さんは苦笑いをしながら、僕の方に顔を向けてくる。」
「どこって……白神神社に決まっている。今日は八十神語りをする日だろう。さぁ、私についてきてくれ」
白神さんがそういうと同時に、僕の身体はまるで操り人形のように白神さんに続いて立ち上がり、そのまま店を出たのだった。