黒い影
「え……これ……不味いでしょ」
思わず僕がそう言うと、当たり前だという顔で番田さんが僕を見る。
「決まっている。これが結界だ。無論、紅沢神社だけのものではない。既に何年……何十年も、この居間にある鏡と化粧台のために施されてきたのだ」
「……それを、破っていいんですか?」
僕がそう訊ねると、番田さんは小さく頷いた。
「そうだ。八十神語りを行った時のみ……この結界は破っていい。そして……開けるのは君だ」
「えぇ……僕、ですか?」
信じられなかったが……どうやら、そのようだった。番田さんの目はマジである。
「ああ。申し訳ないが、私は八十神語りに関わっていないのでな。君しかできないことだ」
「……はい。わかってます」
僕は何も言わず、障子の隙間に手を差し込んだ。番田さんは僕から少し離れ、居間とは正反対の方向を向いている。
僕はゆっくりと障子を左右に開いた。中には薄暗い空間が見える。
「どうだ? 鏡はあったか?」
「ここからじゃわかりません……入っていいですか?」
「ああ。入ったら、障子を閉めてくれ」
なんと残酷なことを云うんだと思ったが……僕は仕方なく部屋に入り、その通りにした。
部屋の中は思ったよりも綺麗だった。無論、荒れ果ててはいるのだが、まるでそこだけ時が止まってしまったかのようにどうにも違和感があった。
「黒須君。鏡を見つけたらその前に座ってくれ」
障子の向こうからの番田さんの声にそう言われて、僕は鏡を探す。
「あ」
程なくして、鏡は見つかって、部屋の真ん中に陣取るようにして化粧台が置いてあるのだ。その化粧台には鏡も付いている。
「ありました。座りますよ」
「ああ。お守り、ちゃんと持っているよな?」
「ええ。持ってます」
「よし。いいか。鏡を見たら絶対に目を逸らすな。私の方に顔を向けても行けない。いいね?」
僕はゴクリと唾を飲み込んで、化粧台の鏡の正面に回り込んだ。
鏡は……確かにあった。綺麗な鏡だ。
「これが……カガミ様の鏡」
そういって僕は鏡の前に腰を下ろす。すると、異変はすぐに起きた。
「え」
信じられないことに、鏡の中の僕の背後には……黒い人影が映っていたのだった。




