白神さんの町で
「……まさか、転校してくるなんて……」
放課後、教室を出てから僕は蛍さんにそう言った。蛍さんは特に悪びれる様子もなく、僕を見ている。
「だって、言ったじゃん。絶対会いに来るって」
「そ、そうですけど……ってか、名字……」
「ああ。私、そもそもセンセーの養子だし」
「え……なんで教えてくれなかったんですか……」
「いや、私の昔の話したとき気付いてくれるかなぁって思ったんだけど、やっぱり賢吾君、鈍感だねぇ」
ニヤニヤしながらそういう蛍さん……でも……正直、嬉しかった。
「……へぇ。帰ってきたんですか」
と、そこで感情がこもっていない声が聞こえてくる。
「え……あ……」
見ると廊下の先には……黒田さんが立っていた。
蛍さんも黒田さんに気付いたようである。
そして、二人は互いのことを見つめ合っている。
「あ……え、えっと……」
「お久しぶり。白神さん」
と、先にそう言ったのは……蛍さんだった。
黒田さんは何も言わずに、蛍さんのことを見ている。そして、それからゆっくりと近づいてくる。
そして、黒田さんは蛍さんのすぐ近くまでやってきてから、足を止める。
「……白神ではないです。私は、黒田です」
黒田さんがはっきりとそう言うと、蛍さんはそれまで憮然としていた表情を微笑みに変える。黒田さんも、蛍さんのその表情の変化が意外だったようだった。
「そう。アンタは黒田。白神じゃないのよね」
そう言うと、蛍さんはいきなり黒田さんのことを抱きしめる。
「え……ちょ……何して……」
黒田さんは慌てた様子で蛍さんを見る。しかし、蛍さんは強く黒田さんのことを抱きしめる。
「……帰ってこれたんだよね。アンタは」
蛍さんが優しくそう言うと黒田さんもようやく理解したようだった。そして、優しい表情で黒田さんを見る。
「……はい」
黒田さんがそう言うと同時に、蛍さんは黒田さんから離れた。
「……よし! じゃあ、今日は久しぶりに、あそこ行くかな」
「あそこ……え……まさか……」
僕が思わずそう言っても、黒田さんは既に蛍さんがどこに行こうとしているかわかっているようだった。
「……そうですね。白神さんもきっと待っていると思います」
「え……黒田さん……大丈夫なんですか?」
僕が思わずそう聞くと、黒田さんは優しく微笑む。
「よし! じゃあ、行こう!」
蛍さんのその言葉とともに、僕達は歩きだす。そして、そのまま学校を出て、本当にやってきてしまった。
あの白神神社の石段の前に。
「……大丈夫、なんですか?」
僕がそう言うと二人の巫女は顔を見合わせる。
「さぁ? 境内に行ってみないとなんとも」
蛍さんはまるで他人事のようにそう言う。僕は思わず絶句してしまう。
「フフッ……失礼がなければ問題ありませんよ」
そういって、黒田さんが一番最初に石段を登っていった。僕と蛍さんがその後に続く。
石段を登っている間、思い出されるのは八十神語りのことだ。
まるで遠い過去の出来事のように……あまりにも突拍子もないことだった。
でも、それは確実に事実で……それが、この白紙町で起きたことなのだ。
そんなことを考えていると、いつのまにか石段を登りきってしまった。
境内は……何も変わらなかった。かつて僕が白神さんと八十神語りを初めて時と同じように。
「……綺麗ですね」
そんな折に、黒田さんがそう言った。見ると黒田さんは、石段の方向を見ている。
確かに、遠い空はオレンジ色に染まっている。
いつか、黒田さんと見た、あの時の夕焼けと同じで。
「ホント、普通の町に見えるよね」
蛍さんは意味深なことをそう言う。僕も思わずオレンジ色の空を見てしまった。
「……普通の町ですよ」
黒田さんがそう言った。思わず僕と蛍さんは黒田さんのことを見る。
と、一陣の風が吹く。黒田さんの黒い髪が、風で綺麗に揺れる。
その光景はとても神秘的で、美しかった。
「……今でも神様が護ってくれている……普通の町ですよ」
「護って……くれて……」
思わず僕はそう呟く。今一度境内を見てみる。
なんとなくだが……今でもどこかに白神さんがいる気がした。そして、どこかで僕達のこを見ている……そんな気がしたのである。
「……帰りましょうか」
と、黒田さんがふいにそう言った。
「え……もう、ですか?」
「ええ。白神さんは一人が好きなんです。それに……あんまり誰かに来てもらってしまうと、また、やりたくなってしまうと思いますから」
「え……やりたくなるって……何を?」
僕が恐る恐るそう訊ねると、黒田さんはしばらく僕のことを見つめた後で、ニッコリと笑う。
「さぁ? 何を、でしょうね?」
そういって、黒田さんは石段を降り始めてしまった。僕は少し恐怖を感じてしまった。
「……大丈夫?」
蛍さんにそう聞かれて、僕は我に返る。
「え……ほ、蛍さん……ホントにもう大丈夫なんですよね?」
僕がそう訊ねると、蛍さんは境内を見た後で、今一度、拝殿と本殿を見る。そして、小さくため息を付いた。
「まぁ、黒田当人も、この神社自体も嫌な感じはしないし、大丈夫とは思うんだけど……あんまりここにはお参りには来ない方がいいね」
「え……そ、そうなんですか」
「うん。でもまぁ……アタシがこの町に転校してきたのも、賢吾君に会いたかったから、ってだけじゃないからねぇ……」
「……え?」
思わず僕は聞き返してしまった。すると、蛍さんは恥ずかしそうな顔で僕を見る。
「……ほら。あんまり遅くなると、白神の巫女の機嫌が悪くなるよ」
そういって、蛍さんは石段を降り始めてしまった。なんとなくだが……少し嬉しかった。
それと同時に、僕は今一度白神神社の境内を見る。
きっと、もう大丈夫……自分にそう言い聞かせて僕は石段を降りようと一歩を踏み出そうとした……その時だった。
「また、いつでも来てくれ」
……聞こえた。
確実に、聞き覚えのある声で。
僕は振り返って今一度、白神さんが座っていた小さな腰掛けを見る。
「……あはは。まぁ……今度、ちゃんとお賽銭くらいは入れに来ますよ」
苦笑いしながら思わずそう言ってしまった。
「黒須さん? どうしました?」
「え? うおっ!? ……あ、ああ。黒田さん」
と、いつのまにか黒田さんが戻ってきていた。石段の下には苦笑いをしている蛍さんがいる。
「あ、ああ。ごめんね……今降りるよ」
「黒須さん」
「え? 何?」
すると、黒田さんはニッコリと笑顔で僕に微笑みかける。
ただその視線は……まるでこれから愛の告白をするかのような真剣なものだった。
「また、お話を聞きたくなったら、いつでも言って下さいね。私は、準備はできていますから」
そういって、黒田さんは石段を降りていった。僕は今一度オレンジ色の夕焼けを眺める。
……いや。これは僕の宿命のようなものなのだろう。八十神語りに関わった者の宿命だ。
それは悪いことではないし、むしろ、僕としては、今僕自身が無事に生存していることで、もう大丈夫なのだということは理解している。
だからこそ僕は……僕達はこれからも暮らしていくのだ。
この、白神さんの見守る町で。
これで白神さんと八十神語りを巡る黒須君と黒田さん、蛍さんのお話は終わりです。
お付き合いいただき、ありがとうございました!




