あの日々への願い
僕は咄嗟に身を躱そうとする……しかし、おそすぎた。
黒田さんの蛇の下半身は、僕の身体に巻きついてくる。
そして、それはあっという間に、僕の身体を締め付けてしまった。
僕は完全に身動きが取れなくなる……ぬめりとした蛇の身体の触感だけが服を通して伝わってくる。
「あ……あぁ……」
「フフッ……大丈夫ですよ? すぐには殺しませんから」
嬉しそうな顔でそう言う黒田さん……僕は正直恐怖していた。
蛇の身体は……間違いなく蛇そのものだった。白い蛇……それこそ、灰村家で見た酒瓶の中に入っていた蛇のような……
「く……黒田さん……」
僕はなんとか黒田さんの方を見る……それは、紛れもなく黒田さんだ。
だったら……おかしいではないか。何を恐怖する必要がある?
黒田さんは黒田さんだ。
僕は黒田さんに……僕の知っている黒田さんとして、帰ってきてほしい。
「はい? なんですか? いいですよ。一緒に死ぬ前に何か私に言ってくれるんですね?」
「……黒田さんは……死にたいの?」
僕がそう言うと黒田さんはジッと僕を見る。そして、少し眉間に皺を寄せる。
「……死にたくないとでも……思っているのですか?」
そう言って黒田さんは僕の方に顔を近づけてくる。
「知っているでしょう? 黒田家は……呪われた一族なんです。そんな一族は滅んでしまったほうが良い……ならば、せめて私は……賢吾と一緒に八十神語りを完遂したい……そう思っています」
「それは……黒田さんの気持ちなの?」
俺がそう言うと黒田さんは押し黙る。
「だって……それって、黒田家の問題じゃないか。それは……黒田さんのせいじゃない」
「ですが……私は……」
「……黒田さんは嫌いかもしれないけど、蛍さんは……あの人だって、黒田さんと一緒だよ」
「……え?」
「蛍さんは自分の因果を把握している……把握した上で今でも生きている。蛍さんは死のうなんてしていない……だったら、黒田さんだって――」
「あ……あの女の話なんてどうでもいいでしょう!」
黒田さんは激昂し、僕の身体を締め付ける力が強くなる。思わず内蔵が口から飛び出てしまうのではないかという感覚に、僕は苦しめられる。
「く、黒田さん……そういう意味じゃ……」
「賢吾は……私のことだけを見てくれていると思ったのに……どうして……どうして……」
締め付ける力は強くなっていく……段々と意識が薄くなっていく。
ダメだ……でも、僕は……
「……黒田さん……僕はね……戻りたいだけなんだよ……」
「……え?」
なんとか僕がそう言うと黒田さんはキョトンとして僕を見る。
「……オレンジ色の夕焼け……不格好なおにぎり……それに……ちょっと恥ずかしいけど……綺麗な黒髪……もう一度、全て元に戻ってほしい……それだけ……なんだ……」
薄れていく意識の中で僕がそう言うと、黒田さんの目の端に光るものが微かに見えた。
「で、でも……もう、アナタは……私のことを……許してくれないでしょう? 私は、もう……」
「……何言ってんだよ……黒田さんは、僕にとっては今でも……僕のことを助けてくれようとした……優しい巫女さんのまま……だよ……」
そこでなんとか黒田さんに微笑んだ所で、僕は限界だった。黒田さんの下半身は、自然と僕の身体を強く締め付けていたらしい。
「え……そ、そんな……黒須さん……黒須さん! 嫌! もう私を一人にしないでください!」
そんな悲痛な黒田さんの声だけが、遠くの方から僕に聞こえてきたのだった。




