窮地
僕はあまりのことに気が動転してしまった。
まず、突如として現れた黒田さん、そして、黒田さんの異様な姿……
「あ……あぁ……」
声にならない声を僕が漏らすと、黒田さんはニンマリと微笑む。
「フフッ……怖いんですか? 私が」
そういって、黒田さんはゆっくりとこちらに向かってくる。蛇の下半身が床を這いながら、僕との距離を詰めてくる。
「大丈夫……ずっと、八十神語りの最後はこうだったんですから」
「え……ずっと……」
僕がそう訊ねると、黒田さんは頷く。
「ええ……八十神語りを最後まで完遂させた巫女は、神の力を得る……それは、最終的に人ではなくなるということですから」
「じゃ、じゃあ……蛇のように抱き合って死ぬっていうのは……」
僕がそう言った瞬間、即座に蛇の下半身が僕の方にめがけて迫ってきた。僕は反射的に思わずそれを避けてしまった。
「……避けないで下さい。すぐに終わりますから」
黒田さんは冷たい表情でそう言う。さすがに冗談ではない……このまま蛇の下半身に巻きつかれ、絞め殺されるなんて……
僕はようやく自分が危機的状況にあることを理解した。そして、そのまま立ち上がり、一目散に本殿の扉へと向かう。
自分でも今まで走ったことがないレベルで、僕は全力で走った。あり得ない程に長い廊下を抜け、僕は本殿の扉まで戻ってきた。
「あれ……? 黒田さんは……」
黒田さんは……追ってこなかった。あの長い蛇の身体を使えば、僕に追いつくことなんて簡単である。
しかし……追ってくる気配はない。ならば……
「ほ、蛍さん! 大変なんです! 黒田さんが!」
「どうしたの!? 何があったの?」
蛍さんの声……僕は安心する。
「く、黒田さんが……うぅ……」
黒田さんの姿を思い出すと悲しくなってしまった。どこか引っ込み思案だったけど、優しかった黒田さん……そんな彼女が、あんな姿に……
「とにかく! 危険だから、出てきていいわよ!」
蛍さんのその言葉に、僕は扉に手をかける。
しかし、思いとどまった。
蛍さんは言っていた。外から絶対に呼びかけない、と。
あの蛍さんのことだ……ああ言ったのならば、絶対に呼びかけないだろう。
じゃあ、今僕に扉の外から呼びかけているのは……誰だ?
「どうしたの? 早く扉を開けて……」
そこで気付いた。声は……扉の外から聞こえてくるんじゃない。
僕の背後から聞こえて売るのだ。
「ねぇ……早く扉を開けてください……そしたら、賢吾にちょっかいを出しているあのクソ女をぶっ殺せますから……!」
明らかにそれは蛍さんの声ではなかった。そして、僕はついに恐る恐る背後を見てみた。
「開けないのなら……無理にでも、開けてもらいますよ?」
暗い闇のその先には、獲物を狙う蛇のように怪しく光る瞳が二つ……それは、紛れもなく黒田さんのものだった。




