恐怖
しばらくすると、僕と黒田さんは白神神社に辿り着いた。
石段を上がる足は、どことなく重く感じられる。
あれから10日……白神さんは、やはり境内にいるのだろうか。
もし、いなかったら……ふと、そんなことを考えてしまう。
いなかったならば、八十神語りは行われない。だけど、八十神語りを行わないと……
「黒須さん」
と、僕は黒田さんに声をかけられて、我に返った。
「あ……ごめん。ついぼぉっとしていて……」
「あそこです」
と、すでに僕達は石段を登り切っていた。そして、黒田さんが指をさす方向には、石の腰掛けの上に、白髪の巫女服姿の女性が座っている。
「……白神さん」
僕が思わず声に出してその名を呼ぶと、白神さんはそれと同時に僕に気づいたようだった。ニッコリと笑みを浮かべて、僕に手を振ってくる。
それを合図にするように、僕と黒田さんは白神さんの白神さんの近くに歩いて行く。
「やぁ。久しぶりだね」
白神さんは何事もなかったかのように、僕にそう言ってきた。僕はどんな表情をすればいいのかわからなくなり、曖昧に微笑む。
「え、ええ……そうですね」
「しかし、酷いじゃないか。別に私は八十神語りの日以外私に会いに来てはいけないとは言っていないのだがね」
「あ……ごめんなさい」
謝る必要なんてないのに、白神さんの不満そうな顔を見ると、僕は反射的に謝ってしまった。
「……白神さん。これ」
と、そういって黒田さんが、白神さんに、先ほど僕に見せてくれた白髪を差し出す。
「ん? これは?」
「……ウシロガミ様にお納めください」
黒田さんがそう言うと、白神さんはジッと黒田さんのことを見た。
そして、ニタニタと気味の悪い笑みを浮かべて、黒田さんの髪の毛を受け取った。
「ああ。どうやら、ウシロガミ様は君のことを気に入ったようだね」
「……白神さん。さっそくですが……八十神語り、始めてくれませんか?」
と、なんだか黒田さんは焦っているようだった。というよりも、あまりこの境内にいたくないのか、早く八十神語りを済ませたいかのような……
「あはは。そうか。そうだね。今日は……カガミ様の話か」
「……カガミ、様?」
僕が思わず聞き返す。白神さんは小さく頷いた。
「ああ。カガミ様……鏡様、とも、呼ばれていたね」
「鏡って……あの、鏡ですか?」
「そうさ。女が化粧の時に使う、あの鏡……おや? そっちの子、なんだか具合が良くないようだが、大丈夫かい?」
白神さんの言うとおり、黒田さんは恐怖に怯えているようで、青白い顔をしていた。
「黒田さん……大丈夫?」
「……はい。ごめんなさい。ただ……」
と、弱々しい声で黒田さんは僕のことを見る。いつも凛とした感じの黒田さんが見せる、まるで子どものように弱々しい視線だった。
「なんだ。今日はやめておくかい?」
「……い、いえ。大丈夫です。続けてください」
白神さんのその言葉にも、黒田さんは即答した。
しかし、黒田さんが無理をしているのは一目瞭然だった。
僕は、そんな黒田さんを、ただ見ていることしかできなかった。
「そうか……では、始めようか。カガミ様の、鏡に纏わるお話を」
そして、無情にも白神さんは、八十神語りを始めてしまったのだった。