代償
「……はぁ」
結局、僕はその日の夜あまり良く眠れなかった。
夜に、僕の頭に直接響いてきた白神さんの歌……あれは一体なんだったのか。
あれも、白神さんのせいなのだろうか。それとも、八十神語りをしているからあんな歌が聞こえてくるのだろうか。
どうにも不気味なことが多すぎて、僕には理解できなかった。
それに、黒田さんのことも未だに不安である。学校に来てもやはり黒田さんのことが気になって、授業にも集中できなかった。
「……はぁ、黒田さん、大丈夫かな」
「ええ。大丈夫ですよ」
放課後、人も少なくなった教室で思わず一人で呟くと、隣から声が聞こえてきた。
僕は瞬時に横を向く。
「……黒田さん!? だ、大丈夫だった?」
僕は目を丸くして、慌ててそう尋ねる。
黒田さんは昨日と違って落ち着いているように見える。誰かに見られているかもしれないという感じで周囲に異常な警戒をしている様子も見られない。
「ええ。もう、大丈夫です」
そう言って、僕を安心させるかのように微笑む黒田さん。言葉ぶりも昨日のように不安そうなそれではなかった。
しかし……
「黒田さん……その髪……」
僕は思わず言ってしまった。すると、黒田さんもやはりそのことに気づいたかと言わんばかりに、悲しそうに視線を落とした。
黒田さんの髪は、思いっきり短くなってしまっていた。腰まで届く程に長く黒く美しかった髪は、今では肩の辺りまで短くなってしまっている
。
「ええ……これが、代償です」
「え……代償?」
僕が尋ね返すと、黒田さんは小さく頷く。
「……ウシロガミ様に、私の髪を捧げることにしました。次の八十神語りの時に、白神神社に奉納します」
「か……髪を? それで……もう、大丈夫になったの?」
僕がそう訊ねると、黒田さんは今一度頷く。
「ええ。ですが……おそらく、八十神語りが続く限り、代償は支払い続けなければならないでしょう」
「え……そ、そんな……」
黒田さんは悲しそうにしながらも、僕を安心させるように笑顔を作って先を続ける。
「心配しないでください。これは、私の務めです。黒須さんは巻き込まれてしまっただけなのです。ですから……八十神語りにだけ、付き合ってください」
「も……もちろんだよ! こんなの……黒田さんだけに押し付けるなんてできないし……」
僕がそう言うと、黒田さんは驚いたように僕を見る。
「え……どうしたの?」
「……いえ。もしかしたら、もう黒須さんが、八十神語りには付き合いたくない、って言う可能性も、考えていましたから」
「え……そっか……でも、白神さんが八十神語りを始めたのは僕のせいでもあるし……だから、そんなこと言わないよ」
そう言うと、ホッとした様子で黒田さんはため息をついた。
「そう……ですか……良かったです」
「うん! えっと……でもさ……一つだけ言ってもいい?」
「はい? なんでしょうか?」
僕がそう言うと、黒田さんは不思議そうな顔で僕のことを見る。僕は少し躊躇ってから、今一度黒田さんのことを見て、やっぱり言うことにした。
「えっと……黒田さん、髪が短いのも……似合っているよ」
こんなこと言うのは本当にどうかと思ったけれど……どうしても言いたかった。
もちろん、黒田さんが髪を切らなければならない状況にしてしまったことに責任は感じていたけれど……それ以上に純粋に、黒田さんのショートカットは似合っていると思ったのだ。
黒田さんは僕がなんと言ったのか理解できていないようだったが、しらばくすると、少し頬を紅く染めて顔を伏せる。
「あ……ごめん。やっぱり、失礼だったよね」
「……いえ。その……やはり、黒須さん、優しいですね」
「え?」
「……いえ。では、報告と連絡は以上です。次の八十神語りの時、また」
「え? ちょ、ちょっと! 黒田さん!?」
僕が止めるまもなく、黒田さんはそのまま逃げるように教室を出て行ってしまった。
「……やっぱり、不味かったかなぁ」
今一度自分の発言に後悔しながら、僕も帰る支度をしたのだった。