失われたモノ
「え……呼び声……?」
僕は思わずケイさんに聞き返してしまう。ケイさんは無表情で頷いた。
「……生きている人の声じゃないし……第一、この家にはもう誰も居ないんでしょ?」
『おーい。琥珀? いるんだろう? 早く部屋から出てきなさい』
またしても聞こえてくる黒田さんのお爺さんの声……そうだ。もう黒田さんのお爺さんはいない……
でも、聞こえてくるのは間違いなく黒田さんのお爺さんの声だ……どうにかなってしまいそうだった。
「……分かっているだろうけど、返事しちゃ駄目。無論、扉を開けるのもダメね」
ケイさんは真剣な表情でそう言う。僕は何も言わずただ小さく頷いた。
『琥珀? まったく……いるんだろう? 出てきなさい』
と、今度はそんな声と共に、ドアをドンドンと叩く音が聞こえてきた。
……信じられなかった。あり得ない出来事が今、目の前で起きているのだ。
僕もケイさんも何も答えない。
『琥珀。大丈夫だ。心配いらないから、早く出てきなさい』
そういって、またしてもドンドンとドアを叩く音……それは今度は先程よりも大きな音になってきた。
『琥珀』
と、今度はもはや名前だけが扉の向こうから聞こえてきた。そして、次の瞬間にはさらにドンドンと扉を強く叩く音。
そして、しばらくの沈黙。
「……終わり?」
「違う」
ケイさんがそう言った瞬間だった。
ドンドンドンドンドンドンドン! と、まるで扉をぶち破ろうとせん勢いで扉が叩かれまくった。
僕は思わず耳を塞いでしまった。ケイさんは無表情で扉を見ている。
『琥珀……開けておくれ……ここはとても寒いんだ……寒くて……私一人ではどうにかなってしまいそうなんだ……』
今度はとてもつもなく悲しそうな声が聞こえてきた。
そうだ……黒田さんのお爺さんは一人で自ら死を選んだ。愛すべき孫娘を残して……
『真白……琥珀……皆どこへ行った? 私を一人にしないでくれ……』
ドンドンとけたたましくドアは叩かれ続けていたが、黒田さんのお爺さんの悲痛な声だけが聞こえてきた。
と、なぜかケイさんがいきなり扉に向かって歩き出した。
「え……ケイさん?」
僕がそう言うと心配するなと言う顔で僕を見るケイさん。そして、未だに叩かれ続けている扉に手を当てる。
「……よく聞いて。ここには……もう誰もいないの」
ケイさんは悲しそうな声でそう言った。その間も扉は叩かれ続けている。
「アナタの愛した人達も、アナタ自身も……だから、もう気付いて。アナタなら気付けるはず」
ケイさんがそう言うと扉を叩く音は次第に弱くなっていった。
そして、しばらくすると扉を叩く音はピタリと止んだ。
ケイさんは扉に手を当てたまま、扉のノブに手を伸ばす。そして、ゆっくりと扉を開く。
僕は思わずゴクリと唾を飲み込んでしまった。扉の先には――
「……誰も……いない」
扉の向こうにはただただ、暗く寂しい廊下が広がっていた。
「そう。最初から扉の向こうには誰もいなかった……だから、もう大丈夫」
そういってケイさんは微笑む。
しかし、その顔は……どことなく悲しそうに見えたのだった。