邪悪な存在
そして、次の日。
「……賢吾。大丈夫?」
「え? 何が?」
家を出る時、母さんが心配そうに僕に訊ねて来た。
「だって……お父さんがあんな怪我して……賢吾にも、もしものことがあったらって……」
母さんは心配そうにそう言う。僕は思わず笑ってしまった。
「え? な、何がおかしいのよ?」
「ああ、ごめん……でも、大丈夫。僕は……大丈夫だから」
そういって、僕は家を出た。
ポケットには父さんからもらった十字架を握りしめている。
「おはよう、賢吾」
と、家を出ると、まるで待ち構えていたかのように白神琥珀が家の前に立っていた。
「……どうも、白神さん」
僕がそう言うと、白神さんは小さく首を振る。
「違いますよ、賢吾。私は琥珀です。アナタが云う白神さんではありません」
「……どっちでもいいよ。琥珀……君は黒田さんじゃないんだ。その身体は黒田さんのものなのに……君は一体――」
「だから、私は黒田琥珀ですよ」
何食わぬ顔で琥珀はそう言った。僕は絶句してしまう。
「え……だ、だって……君は黒田さんじゃ……」
「白神さんに取り憑かれて、黒田琥珀の人格は消滅し、琥珀という別人格が形成された……そういう話でしたよね?」
琥珀はそう言いながら僕のことを見る。
「……ふふっ。違います。本当はそうじゃないんです。私は黒田琥珀です。アナタと会った時からずっと変わらないままの人格ですよ」
「で、でも……黒田さんは……」
「こんな感じの人間じゃなかった? ええ。でしょうね。こんな小さな町の、小さい神社の掟に縛られた哀れな少女……それが黒田琥珀でした。でも、白神さんが教えてくれたんです。そんな人格は捨てるべきだ、って。これからは別の人間として生きていくことができる……私に取り憑いた時、白神さんはそう言ってくれたんです」
至極嬉しそうに琥珀はそう言う。それは……心の底から本気で言っているようだった。
「だから……私は変わったんです。黒須さん……いえ、賢吾。こんなになってしまった私の事……受け入れてくれますよね?」
琥珀は微笑みながらそう言う。
その顔は……僕が受け入れてくれることを確信している表情だった。
でも……僕にはどうしても今目の前にいる少女が……かつて、僕におにぎりを作ってくれて、白神神社から一緒に夕焼けを見た少女と同一人物とは……思えない。
「……違う」
「え?」
「……君は……僕の知っている黒田琥珀じゃない。だから……僕は……僕の知っている黒田琥珀を取り戻したい」
僕がそう言うと、琥珀はしばらくずっと僕のことを見ていた。
そして、不意に無表情になる。
「ええ、構いませんよ。別に。勝手にして下さい」
「え……」
「……どうせ最終的には否応なく、アナタは私達を受け入れざるを得ないんです」
すると、琥珀はいきなりこちらに駆けて来て、いきなり僕の耳元に口を近付け、囁いた。
「一緒に死んでくださいね、賢吾」
それだけ言うと、絶句する僕を嬉しそうに見ながら、琥珀は歩いて行った。
……違う。あれは、黒田さんじゃない。
僕は今一度強くそう思うのだった。




