後悔
黒田さんのお爺さんの言葉を、僕はすぐには理解できなかった。
白神さんになる……一体どういうことなのか。
ただ、その時はふと、父さんが言っていた、白神さんというのは巫女さんの総称である、という言葉を僕は思い出していた。
「え、えっと……それは、白神さんってのが個人の名称じゃなくて、八十神語りをする巫女さんの総称であることと何か関係があるんですか?」
「ええ。八十神語りは神様を招く儀式であると同時に、新たな白神さんを作る儀式でもあったのです」
「新たな白神さんを作る……どういうことですか?」
「黒須さん。お父様は、八十神語りや白神さんの話をするとき、お母様を遠ざけていませんでしたか?」
確かに、そうだ。僕は昨日、父さんが母さんをリビングから追い出していた。
父さんは単純に、女性は白神さんや八十神語りの話を聞かない方がいい、とだけ言っていたし、父さん自身もなぜ女性に聞かせてはいけないとまでは言っていなかったが……
「え、ええ……あれはどういう意味があるんですか?」
「女性に対して不用意に白神さんや八十神語りの話をしてしまうと、その八十神語りが女性に作用して、八十神の巫女……つまり、白神さんとしての覚醒を促してしまう、というのが原因です」
「え……それじゃあ、女の人なら誰でも白神さんになる可能性があるってことなんですか?」
僕がそう尋ねると、苦々しい顔でお爺さんは小さく頷いた。
「……私は、紅沢神社の巫女である琥珀ならば白神さんになることもないと思っていました……ですが、琥珀の様子を見ていると……例外というのは、存在しないのかもしれませんね」
そういってお爺さんは先程から怯えた様子でしきりに周囲を警戒している黒田さんのことを悲しげな目つきで見ていた。
「あ……その! 黒田さんは、もう白神さんになるしかないんですか?」
僕が不安げにそう訪ねると、お爺さんは苦々しい顔で唸った。
「……正直、あまり対策法は私も知りません……一応、ウシロガミ様が何を欲しがっているかはわかっていますから……それを差し出すしかないでしょう」
そう言ってお爺さんは今一度悲しげな顔で紅沢さんを見た。
「……琥珀。無力な私を許しておくれ」
「え……い、いいんです。お爺ちゃんは……悪くありませんから」
そう言っている間にも黒田さんは見えない何者かの視線を感じているようだった。
素人の僕からみても相当重症であるというのはなんとなくわかった。
「それでは……黒須さん。申し訳ないのですが……今日の所はお引き取りください」
「え……でも、黒田さんが……」
「琥珀には、これからしかるべき処置を施します。明日には、私が何をしたか、琥珀に会えばわかると思いますよ」
お爺さんはなんとか笑み浮かべてそう言った。
しかし、その笑顔はどこかぎこちないものであった。
「そ……そうですか」
「ええ。ですから……」
思わず僕は黒田さんのことを見てしまう。すると、黒田さんも僕のことを安心させようとしているのか力なく僕に向かって微笑んだ。
「大丈夫です……私だって、この神社の巫女ですから」
「黒田さん……」
そんな黒田さんを見ていると、何もできない自分が恨めしかったし、何より、何も知らずに白神さんと知り合ってしまったことに関して、今更ながらに後悔の念を抱き始めてしまったのであった。