狙い
「黒田さん……大丈夫?」
白神神社を出てから、すでに十回以上、黒田さんは後ろを振り返っていた。
それこそ、「後ろ髪を引かれ」ているかのように。
「……ごめんなさい。はっきり言います。ダメです」
「え……ダメって……」
黒田さんは立ち止まって、不安そうな表情で僕を見る。
「……白神さんの狙いはどうやら、私だったようなんです」
「え? ど、どういうこと?」
「……祖父の話では、紅沢神社の巫女ならば、八十神語りの影響も受けない……そう聞いていました。ですが、実際あの話を聞いてから……怖くて仕方ないんです」
「え……く、黒田さん、ああいう話、苦手なの?」
「違います! 祖父に聞いていた通りなんです! 八十神語りは、話そのものはそこまで恐ろしいものではない、と……ですが、影響を受けた女性は、恐怖に怯え、不安でたまらなくなる、と……」
「え……じゃあ……」
そう言っている最中にも、黒田さんは後ろを振り返っていた。
「ええ……黒須さん、本当に私の後ろに、誰もいないんですよね?」
「い、いないって……安心してよ」
すると、黒田さんは限界が来たのか、いきなり泣き始めてしまった。
困ってしまうのは僕の方である。
「あー……と、とりあえず、紅沢神社まで行こうよ。僕も行くから」
「え……い、いいんですか?」
「うん、だって、黒田さんがこうなっているの、元々は僕のせいだし……とにかく、その黒田さんのおじいさんに話を聞いてから考えようよ」
涙を拭いながら、黒田さんは小さく頷いた。
そして、僕と黒田さんはそれから二人で紅沢神社へと向かった。
紅沢神社は、白紙町の中央辺りにある大きな神社である。初詣なんかも全部この神社で済ますのが、白紙町の住民にとっては当たり前みたいな感じだ。
その鳥居の前に来たあたりで、黒田さんは大きくため息をついた。
「もう……大丈夫です」
「え? そうなの?」
「はい……おそらく、ここが分社だからでしょう。本社……白神神社の力が弱まったのだと思います」
僕はよくわからなかったが、とにかく納得することにした。
「えっと……これからどうすればいいのかな?」
「はい。とりあえず、社務所に行きましょう。祖父がお待ちしております」
言われるままに僕は黒田さんの後を付いて行く。
その間にも、黒田さんは何度も僕の方に振り返る。その度に怯えた様子で僕のことを……そして、周囲をキョロキョロと見回していた。
そして、なんとか僕と黒田さんは神社の境内の奥の方に立っている建物の前にたどり着いた。
黒田さんは不安そうな様子で鍵を取り出し、扉を開いた。
「どうぞ……入ってください」
黒田さんに言われるままに、僕は社務所の中に入っていった。
薄暗い玄関で靴を脱ぎ、そのまま廊下を歩いて行く。
「……たぶん、私、祖父に怒られると思います」
「え? どうして?」
僕が尋ねても、黒田さんは悲しそうな顔をするだけで答えてくれなかった。
それ以上の詮索はせず、そのまま廊下を歩いて行く。
そして、黒田さんは廊下の先にあった扉の前に立つと、小さくため息をついた。
それから意を決した様子で扉をノックした。
すると、部屋の中で何かが動く気配がした後で、扉が開いた。
中から現れたのは、厳格そうな初老の男性だった。
藍色の甚兵衛を着たその男性は厳しい顔で黒田さんのことを見ていた。
「……琥珀。お前……行ってきたのか?」
険しい顔で、初老の男性は黒田さんに尋ねる。黒田さんは戸惑いながら、観念したかのように小さく頷いた。
すると、男性の方は大きく、そして、悲しそうなため息をついた。そして、黒田さんのことを見てから、僕のことを見た。
「黒須さん……ですね?」
「え……あ、はい。そうです」
「初めまして。私は黒田銀蔵と申します。琥珀の祖父です」
「あ……どうも」
僕がお辞儀すると、男性もお辞儀した。
「その……今日は、白神さんの所に行ってきたのですか?」
「え……あ、はい……行ってきました」
「それは、琥珀も一緒でしたか?」
僕は思わず黒田さんを見てしまう。黒田さんは沈鬱な面持ちで俯いていた。
「あ……はい。一緒でした」
「そう、ですか……わかりました。とにかく、部屋の中に入ってください。琥珀、お前もだ」
黒田さんのお爺さんに言われるままに、僕、そして、悲しそうな表情の黒田さんは部屋の中へと入っていったのだった。