七 森を抜けて
二人は位置を変え、入れ替わり、動き回り、斬り合い続けた。
小さい身体に小さい剣で小回りが利くユリアは、速度の点では勝っている。しかし、相手のファルサの大剣と膂力を鑑みるに、力の点では遠く及ばない。ユリアが全力で打ち込む斬撃はいとも簡単に打ち払われるが、ファルサが一撃を打ち込む間にユリアの剣は三度打ち込まれている。
勝負は拮抗していた。どちらのものともわからぬ血飛沫が乱れ飛び、斬り合う二人の身体を朱に染めていく。二人の息づかいと金属同士がぶつかる甲高い音だけが空き地に響き渡っていた。
やがて、めまぐるしく位置を変えながら闘い続けていた二人に疲れが見え始めた。ファルサは先刻ほどの切れ味がなくなった刃で、斬るというよりもはや殴るように大剣を振るう。ユリアはそれを剣の腹で受け流し、捌く。隙を見つけては打ち込み、弾かれ、また打ち込む。二人が剣を振る速度はだんだんと落ちていき、二人の息が荒くなっていく。
決着は、突然に訪れた。
ファルサの横殴りの斬撃に対し、ユリアは渾身の力で剣を振り下ろす。大剣の先端に当たっていれば、結果は逆のものになっていただろう。しかしユリアが狙ったのは大剣の柄ギリギリの部分であった。剣は先端に行くほど速さも威力も増すが、手元に近づけば威力は落ちるーー鼓膜に響く不協和音と共に大剣がファルサの手からもぎ取られ、転がっていった。
試合では使ったことのない技術だ。相手も同じ大きさの剣を使う試合では、使う必要のなかった技だ。初めての大剣との闘いの中で、ユリアは技を吸収し、学び、成長したのだ。この短い時間で。
ユリアは立ちすくむファルサの喉に剣を突きつけ、静かに宣言した。
「俺の、勝ちだ」
静寂がその場を支配する。その場にいる全員が、身じろぎもせずに二人を見守っていた。
立ちすくんでいたファルサはやがて、諦めたように小さく笑うと目を閉じた。次の瞬間、ファルサの首が飛ぶことをその場の全員が予感した。
しかしユリアは、予想外の行動に出た。ファルサの喉から剣を引いたのだ。そのまま空き地の縁に置いていた背嚢を背負い上げると「行くぞ、ノックス」と言って歩き出す。
「待てよ」
ユリアが振り返る。血まみれの顔を怒りに震わせて、ファルサは叫んだ。
「俺はまだ死んでねえ……勝負はまだ着いてねえぞ!」
「いや、もう着いた。あんた、もう立てないだろ」
立っているのもやっとという様子だったファルサが、その言葉を聞いた瞬間、耐えきれなくなったようにがくりと膝を付く。
「俺が勝ったのは、実力じゃない。俺の服が頑丈だったから、俺は血を流す量が少なくて済んだ。だからあんたより体力が残ってただけだ。認めるよ、あんたのほうが強かった」
「そんなもん知るかよ! 俺が負けたことに変わりはねえんだ、さっさと殺せ!」
「ファルサ、あんたと闘ったことで俺は少し強くなれた。だから、俺はあんたを殺さない。もし、ある条件を飲んでくれるなら、俺はこれから用事を済ませたあともう一回ここに戻ってくる。あんたを一撃で倒せるぐらいに強くなって、帰ってきてやる。そのとき、また闘おう」
「……!」
ファルサの顔が嬉しそうに歪む。
「その言葉、嘘じゃねえよな?」
「ああ、約束だ。あんたは頑丈だから、今から手当てすれば助かるだろう。身体を治して、剣の練習でもしながら待ってな」
「で、どんな条件だ」
「今後一切、盗賊としての活動を止めること」
「何だと!?」
ファルサが悲鳴のような声を上げた。
「簡単な話だ。森を抜けたところにある草原や荒れ地に芋でも植えて、畑を作れ。森の動物を狩って、毛皮や干し肉をを売るんだ」
「俺たちは盗賊だぞ! そんな真似できるわけないだろうが!」
「これからの時期、旅人も少なくなるだろう。襲って金品を得るだけでは食うものに事欠くぞ。違うか?」
ファルサは、ぐっと言葉に詰まった。
「俺が言ったようにすれば、少なくとも飢えることはない。……条件は今言った通りだ。これを守るなら、俺は一月後ーーもしかしたらもう少しかかるかもしれないがーー用事を済ませてあんたと闘いに来る」
さあ、どうする、とユリアはファルサに迫った。ファルサは悔しそうな顔で俯いていたが、やがて顔を上げると成り行きを見守る部下に向かって問うた。
「お前らは、どうするべきだと思う」
盗賊の一人が進み出て言った。
「あんたのやりたいようにやってくれ。俺は、お頭、あんたが決めたことに従うまでだ」
「俺もだ」
「お、俺もそうだ」
賛同の声が口々に上がった。ファルサは唇を噛んでその声を聞いていたが、やがてふっと笑った。
「すまねえな、お前ら……俺は、どうしてもこいつともう一度闘いてえ。俺のわがままに付き合ってくれ。……盗賊稼業は、今日でお終いだ」
ユリアは安心したように笑った。
「じゃあ、約束は守れよ。人を襲うんじゃないぞ」
「お前こそ、約束だからな。絶対に戻ってこいよ」
「ああ、必ず」
そう言って、ユリアは歩き出した。今度は振り返らない。
私も、ユリアの後に続いた。
盗賊たちは、一人も追ってこなかった。
森の中を歩きながら、私はユリアに尋ねた。
「いいのか?」
「何がだ」
「また戻ってくるなんて約束して」
「ああ、いいんだ」
そう答えたユリアの顔には、血に汚れてはいたものの晴れ晴れとした表情が浮かんでいる。
「闘っていて、気づいたんだ。俺は、弱い。俺が勝てたのはこの服と剣のおかげで、俺自身の力は小さな森の盗賊の頭にも及ばないんだって」
「そんなことは……」
否定しようとした私を押しとどめて、ユリアは呟くように言った。
「俺は、悔しかった。俺の剣が相手に届かないのが悔しかった。打ち込んでも打ち込んでもはね返されるのが本当に悔しかったんだ。小さな村で剣が一番強いだなんて、ちっぽけにもほどがある。もっと強くなりたい。もっと強くなって、ファルサぐらい一撃で倒せるようになりたい。さっきの約束は、自分自身への約束だ。俺は絶対に強くなってやるっていう、誓いだ」
私はただ黙ってユリアの言葉を聞いていた。ファルサとの一戦は、どうやらこの少年の何かを変えてしまったらしい。それがいい方向なのか悪い方向なのかは、わからない。しかし、ユリアが決めたことなら私は全力で応援しよう。道を踏み外しそうになったら、噛み付いてでも止めてやろう。それが私の役割だ。
「ファルサも一月後にはもっと強くなっているだろう。今度は勝てるのか?」
「勝つさ。俺があいつより強くなってればいいんだ」
ユリアは微笑んだ。
休憩を挟みながらひたすら歩き続け、日が傾きだした。ユリアの身体がふらつき始めた。
「おい……まだか?」
死力を尽くした一戦のあとで、どうしてここまで歩き通せたのかが不思議なくらいだ。
「ほら、この三つの石がこれが最後の目印だ。あと少しだぞ」
剣を杖代わりに、ユリアはなんとか歩き続けた。やがて、森の奥に光が見えた。
「出口だ!」
ユリアは下草を一歩一歩踏みしめ、最後の力を振り絞って歩き、ついに森の外に出たと思ったらその場に倒れ伏した。
「駄目だ……もう……歩けない」
「逆に、あの闘いのあとでなぜお前はあれだけ歩けたんだ」
私が呆れて尋ねると、ユリアは顔だけこっちに向けて答えた。
「俺の身体に付いてる血は、ほとんどあいつのだ。俺は、本当ならあいつ以上に深手を負ってたはずなんだ。でも、見ろよこれ」
ユリアはごろりと仰向けになった。その黒いシャツは、血に染まってはいたもののどこも破れてはいなかった。
「すごいだろ、この服……全然切れないんだ。これのおかげであいつだけが一方的に血を流して、体力が削られていったんだ」
「だからお前には体力が残っていた、ということか」
「そういうこと」
「……村の皆に感謝しないとな」
「ああ」
私はユリアを小川まで引きずって行った。服に守られていなかった手足には生傷が至る所に付いているため、ユリアは「痛い痛い」と悲鳴を上げた。
「ほら、川だぞ。その血だらけの身体を洗え」
小川のほとりでユリアが身体に付いた血を洗い流しているうちに、私は草原や森を走り回ってエッセの葉とイドラの根、マレの実を見つけてきた。
全身の傷に、よく揉んだエッセの葉を貼り付ける。
「いてててて」
「我慢しろ、この草は傷に良く効く」
私はイドラの根とマレの実を指し示して言った。
「これをすり潰して粉にしろ。夕食の後で水に溶かして飲め」
ユリアが不思議そうな顔をした。
「ノックス、お前そんな知識をどこで身につけたんだ?」
「私にもわからん……ふと頭に浮かんできたのだ」
私は夕食を探していたのだが、ユリアの傷の手当てをしなければ……と思った瞬間に頭の中にぱっと浮かび上がったのだ。エッセは傷薬になる、と。イドラとマレは痛み止めと化膿止めの薬になるということも。浮かんできたというよりは、思い出した、に近いかもしれない。
「へえ……まあ、便利だからいいか」
「そうだな」
私も、深く考えないようにした。なんだか考えるのが怖かったからだ。
前日に続いて早めの夕食をとったあと(私はちゃんとユリアに見えない場所で食べた)、私たちは木陰に移動した。日が沈んで、山の端が紫と赤を混ぜたような不思議な色に染まっている。
「ほら、疲れてるのならもう寝ろ。私が見張っててやる」
「助かるよ、ノックス」
「礼はいい。今は身体を休めろ。さっきの粉でよく眠れるはずだ」
薬草の効き目はすぐに現れ、ユリアはすぐに寝息を立て始めた。
私は完全に日が沈んで辺りが真っ暗になるまで周囲に気を配っていたが、何も起こらなかった。今夜は月もない。朝までは安全だろうと判断し、私も横になった。
村を出てから、まだ二日である。
「ずいぶんと前途多難なことだなあ!」と私はひとりごちた。
ラピスは石、ミネラは鉱山という意味です。




