七 黒髪黒瞳
男が消え去り、室内に静寂が戻った。
「……おい、メルゴーは」
慌ててメルゴーに駆け寄る。血の泡を吹いているということは、肋骨が折れて肺に刺さったか。
しかし、それがわかれば治療も容易い。
「Recuperar」
柔らかい光が、一瞬だけ部屋を満たす。
メルゴーがパチリと目を開けた。がばっと起き上がり、慌てて構えを取る。
「すまん、取り逃がした」
ユリアが頭を下げると、メルゴーは状況を理解したらしく、恥ずかしそうに頭を下げ返した。
「いや、俺があっさりやられちまったせいで……」
「まあ、とりあえずは敵の顔もわかった。誰も死ななかっただけいいだろう」
私が言うと、ユリアも頷いた。
「まあ、そうだな」
メルゴーは私にも頭を下げる。
「また治してもらったんだな。この恩は必ず返すぜ」
「そんなに気にしなくていい。お互いに助け合っていこう……いろいろあったせいで、もはや秘密などないに等しいからな」
私は強化呪文を解き、壊れた天井を呪文で戻した。
「この宿を出て、河を渡ろう。できるだけ早く王都まで行かなければならない」
あの男は、あくまでも手紙に呪術と錬金術をかけた存在に過ぎない。
あの手紙の送り主はまた別の人物かもしれないし、メルゴーによると「あの男は、騎士の暗殺を依頼してきた男とは別人」だそうだ。
つまり、国王暗殺を企んでいるのはあの男一人ではない。
「ただ……これで、メルゴーの計画は失敗だな」
「え?」
「私とユリアを殺したことにして報酬だけもらう予定だったろう? 結局あの男に私たちが生きていると知られてしまった」
「ああ……まあな。でも、もういいんだ」
メルゴーはニヤリと笑う。
「あの男にはさっきのお返しをしてやらなきゃ気が済まないし、あいつがメルギトゥール商会の会長ってんならあいつはきっとかなりの金持ちだ。あいつから奪ってやるさ」
私たちは宿泊代金を払い、馬に乗った。
「さあ、河を渡ってソロルに向かうぞ」
「おう。頼むぜオルニット」
元気よく嘶くと、オルニットはメルゴーの乗る馬を追って走り出した。
その頃、王都レガリアにあるメルギトゥール商会本部では。
「緊急の呼び出しということですが」
会長リガートゥルの呼び出しに応じて、本部長とレガリア第一支部長とレガリア第二支部長の三人が集っていた。
「うむ。商会に敵対するものが現れたため、殲滅するために兵を動かす。その承認を頼む」
「兵はどの程度?」
「レガリアの兵の半数、そして無事なメモリア兵のうち三分の二。合わせて四百ほどいれば十分だろう。敵は北王都街道にいるから、挟み撃ちで潰す形になるな。すぐに手配してくれ」
本部長が不安そうな顔で尋ねた。
「そこまでする敵とは一体……」
「男一人、少年一人、猫が一匹」
三人とも、ポカンとしたような顔をした。
しかし、その次に続けたリガートゥルの言葉に表情が変わる。
「たった二人と一匹でメモリアの兵を潰走させたのがそやつらだ。潰さねば、商会の沽券に関わる」
三人とも、それなら異論はないといった表情で頷く。
「では、異論ありません」
「同じく」
「同じく」
リガートゥルは、軽く頷くと部屋を出て歩み去った。
そのまま向かったのは、地下の奥深く。
直属の組織『赤い夢』が控える部屋の扉を開け放ち、リガートゥルは呼びかけた。
「仕事だ。緊急事態につき、ここにいる全員でかかってもらう」
中にいたのは男が五人、女が一人。
全員が立ち上がり、背筋を正した。
「メルムとゲヌスが返り討ちにされた」
その一言で、居並ぶ暗殺者たちの顔が凍りつく。
「それほどの標的だ。決して油断するな。バレン、指揮をとれ」
「はっ」
「アモル、頼んだぞ」
「はい」
「ラクテンス、お前もだ」
「へい」
「アンゴル、お前ならできる」
「うっす」
「プロムスにカイレプス、普段通りやれば大丈夫だ」
「ははっ」
「ははっ」
「いいか、全員でかかれ。それと、お前たちとは別に、商会の兵が標的を襲う。協力してもいいし、勝手に動いてもいい。お前らがやりやすいように好きに決めろ。標的は、まず金髪長身、装身具をジャラジャラ付けた優男。そして黒髪黒瞳のやや背が低い少年。最後に、喋る黒猫だ。二度は言わない。バレン、あとは任せたぞ」
「はっ」
バレンと呼ばれた細身の男が膝をついて敬礼する。それに従い、その場の全員が片膝を付いて礼をした。
それを見たリガートゥルはわずかに微笑み、部屋を出ていく。
(メルムには劣るが、一人一人が高い技術の持ち主。束になってかかればあの中の一人ぐらい殺せるだろう……しかし、本命はあやつらではない)
リガートゥルは外に出て、大通りを歩いていった。
王都レガリアの街並みは、日光を受けたときの美しさは例えようもないとされている。純白の王城に始まり、街の建物の色はすべて淡い単色。建物によって水色であったり、薄桃色であったり、若草色であったりするが、それらすべてが優しい色で染められている。晴れた日の眺めは「虹に雲がかかったよう」と評される、ハルモニア王国随一の名勝。
虹色の街、レガリア。
そんな王都に立ち並ぶ家の中の、とある一軒。
リガートゥルが扉を叩くと、中から一人の男が姿を現した。
ぼさぼさの黒髪に、黒い瞳。黒い不思議な形の服は、伊都國の様式で「着流し」と言うらしい。腰に佩いた剣は、片刃でやや反り返っている。伊都國の高い製鉄技術を以て作られた「刀」であり、その切れ味はこの国の剣など比べものにならない。
男はリガートゥルを見るなり、嫌そうな顔をした。
「何の用ですか、旦那」
「仕事だ」
男は溜息を吐きながら、やれやれと肩を竦めた。
「あんたみたいな人に命を救われちまったのが俺の運の尽きってやつだな。命の恩はどう頑張ったって返せねえが、それにしてもひどい。あっしが逆らえないのをいいことに、殺したくもない人を無理やり殺させるなんて鬼の所業でさ」
「御託はいい。標的は二人と一匹……」
リガートゥルはユリアとノックスとメルゴーの容姿を説明し、現在標的に向けて兵と暗殺者をまとめて送っていることを告げた。
「……というわけだ。頼んだぞ、シュラ」
「黒髪黒瞳、ねえ……そいつは伊都國から来たんですかね?」
興味深そうなシュラ。
「知らん。殺す前にでも聞いてみるがいい。情が移って殺せない、なんてことは遠慮願いたいがな」
「へいへい。そこは安心してくだせえ、あっしの刀はその程度じゃ鈍りやせん」
シュラの刀の抜き身の刃を見たことがある者はいない。
なぜなら見た者は全員殺されているから、もしくは振るのが速すぎて視認できないからだ。
薄く笑うシュラの手が刀の柄にかかった瞬間、何か見えない闘気のようなものがシュラから噴き出した。リガートゥルは気圧されたように一歩下がり、低く「やめろ」と呟く。
「こりゃ失礼。刀を触るとどうしても、ね」
シュラは笑うと、「仕事は承りました」と奥に引っ込んでいった。
商会本部に戻りながら、リガートゥルはいつの間にかかいていた冷汗を拭う。
シュラは「居合」と呼ばれる抜刀術の達人。
腰に佩いた刀を抜き、斬る。その動きを最大限の速度で行う武術。
これの達人は、抜いた刀が見えないとされている。抜いたと思ったら刀は鞘に戻っており、相手は訝しく思いながらも十秒間立ち続け、そこでやっと自分が斬られたことに気付き、血を噴き出して息絶える……。
この噂が本当かどうか疑わしいが、シュラが強いのは事実。
メルムが「気づかれず殺す」ことに特化した暗殺者なら、シュラは「ただ斬り殺す」ことに特化した暗殺者。後始末は大変だが、相手がどんなに強かろうとも一刀で片がつく。
(なんにせよ、これほど頼もしい奴もいない)
リガートゥルはほくそ笑むと、本部地下にある研究室へと入っていった。
渡し舟に乗って、フェルム河を渡る。
大きな船は、馬が十頭以上楽に乗れるほど大きい。
「広い河でしょう」
先頭に立って船を漕ぐ船頭が、なぜか自慢げにユリアに話しかけてきた。
「ああ、こんなに広いとは思わなかったよ」
「アルカナ山脈から流れ出した川がいくつか合流しているので、とてつもない水量なんです。ここで獲れる魚は、山の栄養をたっぷり吸って育つからおいしいんですよ」
「確かにおいしかった」
そう言ったユリアの腹がぐるぐると鳴った。
「あ、忙しかったから朝飯食べてなかったな……」
恥ずかしそうに笑うユリア。
「それでしたら、いいものがありますよ」
船頭は釣竿を持ってきた。
「ほれ、これで釣ってみなさい。甲板の上に鉄の板を張ってる部分があるでしょう、あそこなら火を熾しても船が燃えませんからね。あそこで焼いて食べるとよろしい」
「なあなあ、俺も釣っていいか」
「もちろんですとも」
メルゴーと二人で釣り糸を垂らすユリア。
その穏やかな光景が長続きしないことは、今までの経験からわかっている。
それでも私は、束の間の平和を満喫した。
実際そのとき、レガリアとメモリアそれぞれで兵が集められていたのである。
レガリアの兵、二百人。メモリアの兵、百六十人。
武器と共に、隊商に偽装した荷馬車に乗り込んでいく。
そして、王都レガリアにあるメルギトゥール商会本部地下では、バレンの主導のもとで『赤い夢』の六人が作戦を立て終わっていた。
シュラは旅に必要な干し肉などをのんびりと買い集めていた。
二人と一匹を始末するために、リガートゥルは商会の戦力の半分以上を投入してきたのだった。
しばらくは戦闘ばっかり書くことになりそうですね!
武器についてもっと調べなくては…




