六 対決
「じゃ、しばらく寝ててもらうぜ。目を覚ましたとき、あんたには気配がある。素敵な人生を送りな」
「何を――」
メルムの問いは途中で遮られた。
メルゴーが頭を鋭く打ち、メルムはがくりと項垂れる。
「とりあえず眠らせた。ノックス、これ解いてくれよ」
「了解だ」
「Albol Volviendo」
メルムの身体を縛り付けていた木がうねって元の形に戻っていき、平らな床に戻る。
「すげえなあ」
感心しているメルゴーを押しのけ、私は気を失っているメルムに近づいた。
「どいてくれ、ちょっと調べたいことがある」
横になっているメルムの懐を探ると、やはりというべきか、小さな紙片が出てきた。細かく書き込まれたその術式は……案の定、追尾の術式。メルムの居場所は逐一把握しているということか。
そしてもう一つ、見覚えのない術式。
線の組み合わせから察するに、もう一つ、この紙と対になる紙があるはずだ。おそらくこれを破るなり燃やすなりすると、もう片方の紙にも同じ変化を起こす仕組みだ。これを用いて意思の疎通をしていたのだろう。
「なんだその紙」
メルゴーが不思議そうに紙を眺める。
「これがあると、こいつに命令を出した奴に場所を知られてしまう。そういう魔法がかけられている。……このメルムとやらはどうするつもりだ?」
「ああ、いろいろ考えたんだが、俺の知り合いのとこに預けとこう。そこなら一人で生きていけるだけの知恵は付けてくれるだろうさ。しっかり生きていけるかはこいつ次第だが」
「なるほど。それならいいだろう」
話しつつ、荷物をまとめる。
ちょうど夜も明けたし、さっさと出発してしまおう。早くフェルム河を渡って、ソロルの町まで北王都街道を北上しなければ。
メモリアから名前通り北へと伸びていく北王都街道は、ソロルの町で西へと折れ曲がる。
あとは王都までひたすら西に一直線だ。
「この紙はどうする? 捨てとくか?」
ユリアがメルムの紙を指差して聞いてきたとき、私の頭にとある考えが閃いた。
敵が呪術と錬金術を操るとしたら、空間移動も扱える可能性は極めて高い。そして、この紙はただの合図の役割しか果たせない。つまり、紙を使って会話をすることはできないのである。
となれば、この紙の合図があったらそいつが空間移動で近くに出現してくる……と考えるのが自然ではないか?
私は声をひそめ、呟いた。
「一つ、提案がある。こういうのはどうだ……」
とりあえずメルムを預けてから実行しようということで話がまとまった。
メルムを知人に預けに行ってから数十分後、走って戻ってきたメルゴーはだらだらと汗をかいている。
「やっぱり人一人担いで走るのは重いぜ」
「ちゃんと預けてきたのか?」
メルゴーは勢いよく頷く。
「おう、あそこなら大丈夫さ」
「よし。では、始めるぞ。準備はいいか」
私は身構えた。
「Mejorar y Albol Atando」
強化呪文と束縛術の重ねがけ。
これで、どこに現れても床板を変形させて捕まえることができるだろう。
さらに念のため、床を引っ掻いて呪印を刻んでいく。
メルゴーは右手で拳を作り、左手で首飾りを一本持った。首飾りの先端に付いた不思議な形の飾りは、当たれば痛いじゃ済まないだろう。
ユリアは狭い室内で邪魔になることを恐れ、カトラスは持っていない。ユリアの右手に握られた紙が日光に当たって白く輝く。
「やれ」
ユリアが紙を蝋燭の火に投げ込んだ。
朝の日差しが燦々と降り注ぐ王都レガリア。
当然ながらその日光は、商会本部の地下にいるリガートゥルに当たることはない。そのリガートゥルは、暗い部屋の中でメルムの報告の遅さに少し苛立っていた。
(日の出と共に、と言ったはずだが……何を手間取っているのか)
それと同時に、わずかな不安も横切る。
メルムが仕事を失敗するはずがないという思いに隠れて、万が一の場合もあるという懸念がじんわりと絡みついてくる。
そのとき、机の上の紙に変化が起きた。
みるみるうちに灰になって崩れていく。紙の片割れが燃やされた証拠だ。
任務に成功したら紙を燃やせと伝えてある……つまり、これは任務に成功したという合図に違いない。
「おお、やっとか」
すぐにメルムのもとへ空間移動しようとしたリガートゥルだが、その頭の中で、何かが警報を鳴らした。
(最低限の準備はしていくべきだ。万が一のことを考えるのだ)
ぱっと立ち止まったリガートゥルは自分の身体に呪文をかけ、机の上の首飾りを取って首にかけた。
そして呪文を唱え、今度こそ空間を渡る。
リガートゥルの姿がレガリアから消え、メモリアに現れた。
現れた先は、二人と一匹が待ち受ける宿屋の一室。
「来た!!」
部屋の中に眼鏡をかけた男が出現するのとほぼ同時に、私は床板を操った。
男に抵抗を許さないまま、素早く木で縛り上げる。
完全に縛り、男の動きが止まったのを見計らってメルゴーが大きく一歩踏み出し、拳の一撃を繰り出した。
当たれば完全に男を昏倒せしめていたであろう一撃が、空を切る。
「!」
男の口元が動き、呪文を唱えると同時に、男の姿が消え失せたのだ。
空間を渡って逃げたか……そう歯噛みする間も無く、ユリアが叫ぶ。
「後ろだ!」
誰の後ろか聞く暇もなく……背後に出現していた男のすくい上げるような蹴りで、私は天井板に突き刺さり、それを突き破って屋根裏に転がった。
「げぼっ」
もうもうと粉塵が立ち込める。
この威力……強化呪文をかけていなければ……死んでいた。
私は痛む身体を引きずり、天井裏から飛び降りる。
男はまっすぐにユリアに肉薄する。ユリアがその場に素早くしゃがみこみ、伸び上がるようにして蹴りを放った。まっすぐに顎めがけて吸い込まれていく爪先を、しかし男は悠然と受け止める。
もう片方の手でずれた眼鏡を直しつつ、男はユリアの脚を手刀で叩き折ろうとした。
その背後に回ったメルゴーの、左手の首飾り、いや、鎖分銅による強烈な一撃。
こめかみに命中した一撃で、男の身体は横転してベッドに突っ込んだ。
男から解放されたユリアは素早く立ち上がる。あの一撃を急所に受ければ、三日は目が覚めまい。私もユリアもメルゴーも、皆がそう思った。
それなのに、男はゆらりと立ち上がる。
メルゴーの顔が引きつった。
もう一撃、と拳を振り上げるが、その右手が後ろからがっちりと掴まれてしまう。
男はまた空間を渡り、メルゴーの真後ろに出現していたのである。
短距離の空間移動とはいえ、あそこまで乱発すると危ないはずだ。しかし、男の顔色には一向に変化が見られない。
……おそらく、何か仕掛けがある。
もがくメルゴーの背中に、強烈な突きが命中した。血を吐いてのけぞるメルゴーの背後から、男は再び消失する。
そのまま私の真上に出現し、落下して私を踏み潰そうとする。しかし、私がそれを受け止めたことでさすがに表情が変わった。男の体重を腕一本で受け止める……強化呪文の恩恵だ。
男は飛び退いた。
男の動きはどこか素人じみていて、力任せというような印象を受ける。力と肉体だけが強くなったような……そこまで考えた私は、やっと思い当たった。
「お前も強化呪文を使っているのか!」
男がぴくりとして、こちらに向き直る。
「貴様だな、呪術師は」
その声は無機質で、けれど確かに怒りを感じさせた。どこかで聞いたことのあるような声で、なんだか私の毛が嫌な逆立ち方をする。
顔は無表情だが、怒ってはいるようだ。
「手紙を渡せ。さもなくば全員殺す」
「今更か。全員殺そうとしていたくせに何を言っている」
「私の計画の邪魔ばかりしおって……後悔しても遅いぞ、獣め」
「後悔するのはどちらになるか試してみるといい」
私は不敵に笑い、飛びかかった。
迎え撃つ男の蹴りを身体を捻って躱し、突き出されて一瞬静止した足に尻尾を巻きつかせる。尻尾を軸に一回転して、その足を踏み台に、私は男の顔面に向かってもう一度宙を舞った。
鋭い爪の一撃が当たる直前、男はまたも姿を消す。
しかし、いくら空間を移動しようと、現れる先は大抵誰かの背後。ワンパターンの攻撃では、強化呪文を使っていようともユリアの敵ではない。
ユリアの背後に現れ、そのまま蹴ろうとした足が空を切り、男は大きくよろめいた。
蹴りを躱して男の懐に入り込んだユリアが、胸ぐらを掴む。そのまま身体を半回転、跳ね上げた足が男の股間を強打すると同時にユリアは身体をくの字に折り曲げ、背負った袋を投げ落とすようにして男を地面に叩きつけた。
「がっ」
男の喉から肺の中に入っていた空気が吐き出され、表情が苦悶に歪む。
追撃しようとしたユリアから少し離れた場所に空間移動した男は、体術では不利と悟ったのか、何らかの呪文を唱えようと口を開いた。
「そこに移動したのは失敗だったな」
私の声に、男がぎょっとしたように口を閉じて下を向く。
そこにあるのは私が描いておいた呪印――さあ、麻痺させるのに必要な二秒は過ぎた。
「Dormir!」
声高く叫んだ声に応じて呪印が一瞬光り、男が膝をつく。
私は今度こそ勝利を確信した。
「……何だと!」
しかし……これはさすがに想定外。
なんと男はそのまま立ち上がり、唇を歪めて笑ったのだ。
「今のは……危なかった」
それと同時に、男の下げていた首飾りが砕け散る。
私は直感的に悟った。
(あの首飾りに防がれたか……!)
おそらく、あの首飾りが呪術に対する防護壁のような役割を果たしていたに違いない。
さらに、あれだけ空間移動を乱発して平然としていたということは、魔力を首飾りの中に貯蔵していたのかもしれない。
それを裏付けるように、男は顔を歪めて床に散らばる欠片を見下ろした。
「残念ながら、これを失った今の私では不利だ。ここは一旦引くとする。だが!」
倒れているメルゴー、油断なく構えるユリア、そして私。
男は私たちを睨みつけながら、絞り出すように呟いた。
「あくまでも私の邪魔をするというのなら、もう容赦はせん。私の全てを使って貴様らを屍にしてくれるわ、覚悟しておくがいい」
「負け惜しみを言う前に名前ぐらい名乗ったらどうだ、クソメガネ」
ユリアの言葉を、男は完全に無視した。
「そこの猫、貴様は特に許さんぞ」
「そうか、奇遇だな。私もお前を許そうとは思わない」
しばらく睨み合い、やがて男が目を逸らす。
呪文を唱え、男は姿を消した。
今回ユリアが使った技は「内股」ですね。
合気のかけらもないです。柔道です。
では、今日の夜にもう一話投稿しようと思います。




