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一人と一匹、夜を征く  作者: 水尾
第四章 北王都街道・前半
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三 裏切り、欺き

 メルゴーは窓を開け、夜の闇に向かって声を上げた。

 ここは二階。下の地面を見下ろし、目を凝らす。

「どうせいるんだろ、出てきな」

 夜の闇がそのまま人型に切り取られて動き出したかのような錯覚。気配も何もなく、窓の外の影から声だけが這い上ってきた。

「どうして私がいるとわかった」

「勘だ」

 しばしの沈黙。

「あいつは、夜明けまでに仕事を成功させないと任務失敗と見なすと言った。個人契約の暗殺者にとって、任務の失敗は死を意味するからな。俺が失敗したら、俺を始末する奴が必要になるだろう」

「だから、誰かが見張っているはずだと?」

「そういうこった。自信はなかったけどな……あんた、隠れるのが上手すぎだよ」

 冷たい声は、少しも嬉しくなさそうに言った。

「それはどうも」

 メルゴーは窓の外の影に向かって手招きした。

「さあ、俺が任務を成功させた証拠を確認するかい? 見てたならわかったはずだけどな」

 メルゴーは自信に溢れた表情で言う。

「俺が狙った急所は亜門と言う。普通なら最も打ってはいけないところだ……即死するからな」

「一応確認する」

 黒い影はそう言うと、宿の中に入っていった。

(さあ、勝負どころだ。腹くくれよ)

 メルゴーはニヤリと笑った。成功すればよし。失敗すれば……今まで殺してきた奴らと同じように、野に屍を晒すだけだ。


 扉が開き、入ってきた人物を見て、メルゴーは口笛を吹いた。

「声聞いてからまさかとは思ってたが、あんた女だったのか」

「それがどうした」

 きつい口調とは似ても似つかない、目立たない、地味な外見の女だった。しかし、暗殺者にとって目立たないのは強力な武器になる。それをわかっているからこそ、メルゴーはひやりとしたものを感じていた。

 目立たないという言葉では言い表せない、影の薄さ。じっと見つめていないと、目を離したらそこからいなくなってしまいそうに……存在感がない。

 その女は床に転がるユリアとノックスの傍にしゃがみ込んだ。首を押さえ、指で血管を探ったあと、立ち上がる。

「確かに死んでいるようだな」

「当たり前さ。俺の技術にかかれば容易いことよ」

 メルゴーは自慢げに言うと、ユリアとノックスの頭を靴先で蹴飛ばした。

「偶然こいつらと一緒に行動してたからな、運が良かった。さっさと約束の金を払ってくれよ」

 女は少し考えるそぶりをしてから、「悪いが」と言った。

「生憎だが、私は持っていない。依頼主のところに手紙を持っていくがいい、そうすれば支払われるだろう」

 残念そうに腕を広げるメルゴー。

「やれやれ、人使いの荒い依頼主だ。……ところであんた、『亡霊(レムレス)』だろ。噂を聞いたことあるぜ」

 女は、少し驚いたようなそぶりを見せた。

「どうしてそれを」

「女の暗殺者で、気配を消す達人だって聞いてるぜ。幽霊のように忍び寄っては相手をあの世に送り込む、ってな。あんたを見てたらそんな気がしたんだ。当たりかい?」

「……いかにも、私は『亡霊(レムレス)』と呼ばれている」

「おっ、俺の勘ってたいしたもんだな」

「確かに、そうかもしれない。でも残念なことに、亡霊の場所は、勘では捉えられない」

 そう言うが早いか、女の姿がかき消える。

「……なんだとっ!」

 驚愕したメルゴーが慌てて振り向くと、女はいつの間にか真後ろに立っていた。

「これが『亡霊(レムレス)』の由来」

 淡々と呟くように話す女の顔には何の表情も宿っておらず、メルゴーはぞくりとした。そのまま掴まれて地獄まで引きずり込まれてしまいそうだ。

「……恐れ入ったよ。今のは一体どうやったんだ?」

「あなたに話す必要はない」

 メルゴーは苦笑した。

「冷てえな。それじゃ、俺の話を聞いてくれよ」

 女が少しだけ眉を上げる。何を話すというのか、と問いかけるように。

「最近、悩んでるのさ。同業者として、先輩として、相談に乗ってくれないかい?」


 メルムは、いぶかしく思いながらも頷いた。

 どうせ夜明けまでには始末する男だ。少しぐらい、付き合ってやってもいいだろう。

 それに、一目見ただけで自分の通り名『亡霊(レムレス)』を見抜いた人物は初めてだ。そのことが、本人でさえも気づかないほどの心の奥底に、喜びとなって漂っていた。

 自分のことを誰も見てくれない、その強迫観念から彼女が逃れられるのは、誰かが自分を見てくれているときだけ。……たとえ今から殺す男であっても、自分を見てくれることは嬉しかったのだ。


「俺には病気の妹がいる。……」

 メルゴーは、自分のことについて語り始めた。病気の妹を治す薬を買うために、金が必要なこと。それを稼ぐため、家を飛び出してきたこと。妹のために身につけたツボや急所の知識を使って、いつしか殺人に手を染め、暗殺者になってしまっていたこと。もう少しで薬代が貯まること。

 そして、妹と顔を合わせられなくなっていたこと。

「……というわけさ。なあ、俺はどんな顔して妹に会えばいいんだ? 教えてくれ、先輩」

 女は無表情のまましばらく黙っていたが、やがて口を開いた。

「……羨ましいな」

「えっ?」


 それは、メルムの本心だった。

 自分でも意識しないまま、顔が歪み、言葉が吐き出される。

「私は親に疎ましがられ、兄弟姉妹に嫌われ、憎まれ、とうとう家を追い出された。その理由が何だかわかるか? 『気配がないから、気持ち悪い』だ!」

 止まらなかった。

「お前は何を甘ったれたことを言っている? 家族のために人を殺す、立派なことじゃないか。家に帰れば暖かい家族が出迎えてくれるんだろう! 私は違う! あんな家族など家族と思わない。私に家族はいない。……しかし、仕事に成功すれば、あの方は私を見てくださる! そのためだ、そのためだけに殺してきた! これからもそうだ!」

 大きく息を吐き、目の前で戸惑ったような顔をする男をキッと睨みつける。

「お前にわかるか。誰にも気づいてもらえない孤独が、誰からも見てもらえない絶望が! 今までの人生も、これからの人生も、私は亡霊のように生きていくしかないのだ! 生まれ持ったこの忌まわしき特性のために! ……あの方だけが、私を褒めてくださった。私に利用価値があると、生きていてもいいんだと教えてくださった。あの方のために殺す、それが私が暗殺者を続ける理由だ。お前の質問は、私からすれば欲しいものをすべて与えられておきながらもまだ欲しがる、赤子と何ら変わりない」

 メルムは、男の目をまっすぐに見た。

 そして、少しだけ柔らかな口調で、そっと呟く。

「もしも私にそんな……そんな妹がいれば、私の人生はまた違ったものになっていたのかもしれないな」

 そのとき、窓の向こう、水平線から太陽の光が少しだけ顔を出した。

 ゆっくりと白んでいく空をちらりと見て、メルムは思い出したように言う。

「お前の質問、どんな顔をして会えばいいか……だったか?」

「ああ」

「答えは、こうだ。……もう会えない」


 再び、女の姿がかき消える。

「……っ!」

 突然の豹変に、メルゴーの反応が少し遅れた。

 メルゴーの脇腹を短剣が切り裂き、血しぶきが部屋の床を彩る。

「……どういうことだ!」

 叫びながらぐるりと部屋を見渡すと、女がベッドの脇に立っていた。

「悪いな、黙っていて。実はお前の始末が私の仕事だ」

 ズキズキと痛む脇腹を押さえる。傷は浅くはない。

「ちゃんと少年と黒猫は殺したはずだ! 任務には成功したのに殺すのか!」

「それが命令なのでな。心の中で妹に別れを告げておけ」

 メルゴーは目を凝らすようにして女を見つめる。

 女がふわりと足を踏み出し、メルゴーに駆け寄ってきた。

 迫り来る短剣。しかし、迎え撃とうとしたメルゴーの視界から、女はまたしても消え去る。

「があっ!」

 再び、死角からの一撃。

 今度は、鋭い痛みが足に走った。右足の腱を切られ、立てなくなったメルゴーはがくりと膝を着いた。必死で女の姿を探すが、見当たらない。

 物音がしたほうに勢いよく振り向くと、真横から声が聞こえた。

「残念、こちらだ」

 放たれた短剣の一撃。

 頭を守ろうとかろうじて持ち上げたメルゴーの左手を短剣が薙ぎ、血を吹き出してぶらりと垂れ下がった。目を血走らせて横を向くが、女の姿はそこにもない。

 これが『亡霊(レムレス)』……。

「くそっ、どういう仕組みだ……」

 それに答える声は、真後ろから聞こえてきた。

 ぎょっとするメルゴーの首に、短剣の刃が添えられる。

「そうだな、冥土の土産に教えてやろう……私には生まれつき気配がないと言ったな。これはつまり、私の姿を捉えるには目で見る必要があるということだ。目で見ない限り、私の動きは捉えられない。しかし人間は、視覚以外の感覚もふんだんに使っている。視覚のみに頼ると、世界は狭くなるのだ」

 荒い息を吐くメルゴー。ゆっくりと後ろを振り向き、短剣を持って無表情で佇む女を見つめる。

 その視線が、一瞬だけ女の後ろに向いた。

 メルゴーの目がわずかに見開かれる。

「暗殺は本来、気づかれないまま殺すのが正しい。しかし、手練の敵には気付かれ、暗殺から戦闘に変わることがある。そんなとき私は、相手の視線を一瞬だけ逸らす。手の動き、目の向き、それらの情報によって相手の動きを予測するのが戦いの定石だからな。わざと手を動かし、足を動かし、相手の視線を外してその一瞬の隙を突き、死角に潜り込む。そうすると、私を見失った相手は気配を探ろうとする。もちろん、できるはずもない。あとはそのまま、私の姿を慌てて探す相手を切り裂けばいい……そういうわけだ。さあ、覚悟はできたか」

 メルゴーの口元が、ゆっくりと笑みを形作った。

 低い笑い声が、その口から流れ出す。


「さあ、覚悟はできたか」

 首に当てた短剣の刃を横に動かそうとしたとき、男は突然笑い出した。

「……何がおかしい?」

「あんたの負けだ」

 男はメルムが短剣を持つ、その右手をがしっと握った。

 慌てずに、もう一本の短剣を左手で取り出すメルム。

「右手を封じた程度でか? 短剣はもう一本ある、残念だったな」

「違う」

 男の声に含まれた、自信といくぶんかの安心。

「そうやって背を向けて動きを止めた時点で、お前の負けなんだ。俺の、いや、俺たちの勝ちだ」

 構わず短剣を振りかぶるメルム。

 そのとき、背筋にぞくりとした感覚が走った。

(背を向けて……?)

 メルムに背を向けているのは、男のほうだ。では、誰に背を向けたというのか?

「さっき教えたな、こめかみは中指の第二関節で打つ。強く打ち過ぎるなよ、鉄の扉を叩いても関節が傷つかない程度の強さだ」

 男は語りかける。そこにいる、誰かに。

 後ろに気配を感じ、さっと振り向いたメルムの顔が驚きと恐怖で引きつった。

「なぜだ!」

 絶対に死んでいた。少なくとも、脈は止まっていたはずだ。

 男の声が部屋に響き渡る。

「やれ、ユリア!」

 混乱していたメルムは、迫ってきた腕を避けようとすることさえできなかった。

 鋭い一撃がメルムの頭を打ち抜く。

 こめかみを強打されたメルムの意識は闇に染まり、砂嵐の底にゆっくりと沈んでいった。


 糸が切れたように倒れ伏す女を見て、メルゴーは大きく息を吐いた。

(成功したか……命拾いしたぜ)

 その前に、鬼のような形相のユリアが立ちはだかる。

「よう、ユリア」

「どういうことか説明しろ、メルゴー。全てだ」

 メルゴーはニヤリと笑った。

「はいよ」

更新頻度は落ちましたが、一話あたりの分量は増えていますねえ…

レムレスは、ラテン語で亡霊という意味です

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