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一人と一匹、夜を征く  作者: 水尾
第三章 「赤」の街、メモリア
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十二 旅は道連れ

 ユリアと私がサンドイッチを食べ終わり、新鮮な果汁が入った容器の表面が結露して露が卓の上を円形に濡らす頃。

 メルゴーが、やっと目を覚ました。

「んがっ、あ、ユリアじゃねえか。なんだよ、笑いに来たのかよ」

 恨めしそうな顔のメルゴーは、なおも続ける。

「わかってんだよ、一晩中働いて結局出てきたのは本でしたーって、笑い話じゃねえか。遠慮なく笑えよ、俺は今から王都に戻って依頼主に前金を返してくるから。大赤字だ、俺はこれからどうやって生きていけばいいんだ」

 寝ぼけた顔でぶつぶつ呟くので、ユリアは店員に水を一杯注文した。

「おい、目を覚ませ」

 運ばれてきた水をメルゴーの前に置くと、メルゴーはそれをごくごくと飲み干す。

 ぷはあと大きく息を吐いて器を置いたメルゴーは、そこにユリアがいることにやっと気づいたかのようにぎょっとした顔をした。

「なんだお前、いたのかよ」

 ユリアは呆れた顔をした。

「いつまで寝ぼけてんだ、目を覚ませ」

「目は覚めた」

「いや、覚めてないね。目が半分閉じてる」

 私は笑いを噛み殺すのに必死になった。

 ユリアはやれやれと首を振り、果汁を持ち上げてメルゴーに差し出した。

「あんたに渡したいものがあるし提案もある。頭がはっきりしたら言ってくれ」

「はっきりしてるって」

 そう言いつつ果汁をぐびりと飲んだメルゴーの顔が急変する。

「んぐっ」

 ユリアがニヤニヤしながらメルゴーの肩を叩く。

「目覚ましにちょうどいいだろ」

「ご……げふっ……なんてものを飲ませやがる!」

「なんてものとは失礼だな。これはこの喫茶店の看板メニューだぞ。確か、ポ、ポ……」

「ポメロの搾りたて果汁です」

 近寄ってきた先程の女性店員が、つんとした顔で続けた。

「ポメロは果物の一種で、この辺りでよく栽培されています。風邪をひいたときに食べればたちどころに治ると言われるほど滋養に富む果物ですが、ちょっと酸っぱいのが玉に瑕ですね」

「ちょっと……だと?」

 涙目のメルゴーに、女性店員はなんだかスカッとしたような顔をしている。

「はい。普通は砂糖を加えて飲んだり、焼き魚に絞って食べたりしますが、この店では特別に搾りたてをそのまま提供しています。おいしいでしょう?」

 そう言って去っていった彼女を見送り、メルゴーはユリアに向き直った。

「お前のおかげでばっちり目が覚めたぜ。それで、何しに来たんだ?」

「おいおい、そんな邪険にしないでくれよ。メルゴーさん、あんたがただの本だと思ってたものは、ちゃんとした宝だったらしい……」

 ユリアは事の顛末を説明し、包みを取り出した。

「……ってことで、これを預かってきた。ほれ、あんたのぶんだ」

「ユリア、お前……いい奴だなあ」

 メルゴーは目を潤ませて包みを受け取った。先程の涙とは別物だ。

「まあ、それは頼まれたことだから感謝される謂れはない。それより、提案だ」

 ユリアはメルゴーの目を見て話し出した。

「あんたは今から王都に行くんだろ? 実は、俺も用事があって王都に行かなきゃならない。そして、俺はあんたにツボについて教わる約束をしてたはずだ。そこで思ったんだが、俺たちが一緒に王都まで行けば時間の短縮になるんじゃないか?」

 メルゴーは目を瞬かせた。

「昼は馬で進み、夜はあんたにツボや急所を教えてもらう。こうすれば効率的だ。それに、あんたは俺と一緒に商会の奴らを蹴散らしている。下手したら商会から追手が差し向けられているかもしれない。一緒のほうが安全じゃないか?」

 メルゴーは顎に手を当て、しばらく考え込んでいた。

(別に問題はないんだが、あんまり一緒にいると俺が本当は暗殺者だってばれちまいそうだなあ……まあ、そのときはそのときか。こいつにはこの包みの借りがあるし、付き合ってやるかな)

「いいぜ」

 メルゴーはニヤリと笑い、大きく頷いた。

「旅は道連れ、世は情けだ。王都までよろしくな」

 ユリアも笑って、手を差し出した。

「よろしく頼む」

「ただし、条件がいくつかある」

 ユリアの手を取らずに、メルゴーは低い声で言った。

「まず、お互いの詮索をしないことだ。お前にだって秘密の一つや二つあるだろう。俺も同じだ、俺にだって秘密がある。そこに触れないよう、余計な詮索はしないことだ」

 ユリアは黙って頷いた。

 これは私たちにとっても好都合だ。私のこと、手紙のこと……隠すべき秘密には事欠かない。

「そして、協力についてだ。万が一誰かに襲われた場合、助け合うということでいいな。ただし、手を出して欲しくないときはその限りではない」

 これも問題ない。

「最後に」

 メルゴーは殊更重々しく言った。

「ツボと急所は俺の、いわば商売道具だ。それを教えるんだ、きっちり金は払ってもらうぜ」

 ユリアも真面目な顔をして頷いた。

「もちろんだ。金はしっかり払わせてもらう」

「じゃ、交渉成立だ」

 メルゴーは表情を緩め、ユリアの手を取ってぶんぶんと振った。

「割引しとくぜ」

「……助かるよ」

 その様子を、「用事が済んだらさっさと出て行け」とでも言いたげに店員が見つめていた。



 リガートゥルの持つ紙が、突如熱を持った。

「……随分早いな」

 まだ命令して数時間しか経っていないはずだが。

 呪文を唱え、メモリア支部の地下室に移動する。そこには、縛られて床に転がされたウォークスの姿があった。仕事が早い……優秀な奴だ。

「ウォークスか」

「かっ、会長!」

 縛られた手足をばたつかせ、ウォークスは叫んだ。

「何の冗談ですか、これは!」

「兵の私的利用」

 リガートゥルの言葉に、ウォークスはぐっと言葉に詰まる。

「お前は有能だが、組織のルールを破りすぎた。私が求めているのは、もっと従順な人材だ」

「しかし……」

「言い訳は無用。除名だ」

 それを聞いたウォークスの顔が強張る。

「お前のおかげで商会が発展したのは明らか。しかし、現在のお前は商会に損失を与える存在だ……お前のせいでメモリアの兵が壊滅的被害を受けていること、知らぬとは言わせんぞ」

「それは、あの化け猫やガキのせいで……」

「ほう、我らの兵士数十人がたった二人にやられたと? もっとましな言い訳はなかったのか? おまけに、喋る猫ときたものだ」

「本当です! 真っ黒な、地獄からの使いのような黒猫でした。確かにあいつは人の言葉を喋っていたのです……しかも猫のくせに剣を持った兵士が敵わないほど強かった」

 黒猫か……おそらく、手紙を運んでいる黒猫と同一人物、いや同一猫と考えて間違いないだろう。

 何者、いや何猫かは知らないが、どこまでも私の邪魔をする気か。

「それで? 猫はもういい。その二人は一体何者だ」

「一人は金髪長身の男です。手や首にじゃらじゃらと飾りを付けている優男ですが、こいつに襲い掛かった兵たちは皆一撃で倒されていきました。もう一人は小柄なガキで、黒髪に黒瞳でした。こいつはよくわからない。こいつがちょっと触っただけで、兵が宙を舞うんだ。わけがわからなかった」

 そう言ってウォークスは何かを思い出したかのように顔を歪めた。

 ……どちらも武術の使い手だということか。

「なるほど、そいつらは商会に楯突いた者として始末しよう……メルム!」

「ここに」

 声は真後ろから聞こえ、リガートゥルはぎょっとして飛びすさった。

「……いつからそこにいた」

「最初からです」

 改めて彼女の気配のなさを見せつけられたリガートゥルの顔には、冷や汗と笑みが浮かんでいた。

「まったく気づかなかったぞ。相変わらずだな」

「光栄です」

「今言った、二人と一匹。先程の命令より一人増えたが、お前の仕事だ。確実に葬ってこい」

 メルムは小さく頷いた。

「では、あとは任せた」

 リガートゥルはそう言って呪文を唱え、姿を消す。

 その後、暗い室内に、一瞬だけウォークスの断末魔が響き渡った。



「準備はできたか?」

 メルゴーの声に、ユリアが頷く。

 宿を引き払った私たちは、ご無沙汰していたオルニットに乗って街の北の外れに来ていた。ここから王国の北東部を経由して王都に向かうのだ。

 メルゴーも馬に乗っている。栗色の毛で、やや大きめだ。いかにも速そうな馬だが、オルニットなら付いていけるだろう。

「じゃ、王都に向かうぞ。俺が通り慣れてる北王都街道で行くが、いいか?」

「もちろんだ。じゃ、道案内よろしく頼むよ、メルゴーさん」

「任せな!」

 メルゴーが手綱を引き、走り出す。

 ユリアもそれに続いた。

 目の前に続く道の両側には田畑が並んでいる。遠くのほうを透かすように見ると、大きな河のようなものがキラキラと輝いていた。

「この街道に沿って進めば、のんびり行っても一週間で王都に着く。この道の先に見えるのはフェルム河さ。両岸には宿屋も並んでいることだし、まず今日はあそこまで行こうじゃねえか」

 走りながらメルゴーが叫ぶ。

「わかった! あんたに任せる!」

 ユリアも叫び返した。

 この街道は、少ないものの人通りがある。

 北部から南部への旅と違い、北部の大都市間を結ぶ街道は危険が少ない。馬車も通るし歩く人もいるので、舗装された道にはメモリアと同じように馬車の道と人の道を分ける目印の線が引かれていた。

 ゆっくりと歩く、地味な女性を追い越した。すれ違いざま、私たちを見るその女性の目がやや細められる……まるで獲物を前にした蛇のように。いや、それは考えすぎか。

 馬車の横をすり抜け、二匹の馬は走っていく。

 ユリアは愛剣を失い、カトラスを手に入れた。ルナと出会い、メルゴーと出会った。短い滞在だったが、いろいろなことがあった。

 村から王都までの道のりも、これで半分以上進んだことになる。

 さらば、メモリア。


 足音高く駆けていく二匹の馬と、その背に乗った少年と男。少年の後ろには黒い猫がいた。

 メルムはすれ違いざまに確信した。標的を見つけた、と。

 旅人のふりをしてここで罠を張っていた甲斐があった。もちろん、西北街道を使われた場合のために、そちら側には金で雇った人を見張りに置いてあるのだが。

 メルムは急いでメモリア市街地に戻り、馬を一頭買った。

(聞こえてきた会話によれば、標的はフェルム河の辺りで一泊する。そのときに仕留めよう)

 手綱を引き、メルムは走り出す。

 彼女の頭にあるのは、命令の遂行。その一点のみ。

 懐に忍ばせた短剣を握りしめ、メルムは標的の後を淡々と追いかけた。

ポメロ…スペイン語で「グレープフルーツ」

これで第三章は完結です。

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