六 ただの猫
私は走った。
「Mejorar」
強化呪文で走る速度を高め、屋敷に向かって全力で駆けていく。この速度ならすぐに着けるだろう。
やがて見えてきた屋敷は門を固く閉ざしていたが、今の私には何の問題もない。勢いをそのままに大きく跳び上がり、私は軽々と門を飛び越えた。
「……他愛もない」
屋敷の二階の窓を通して、中の景色が見える。どうやら武装した兵が大量にいるようだ。あの数を一度に相手取るのはさすがに面倒だ……と、いい手がないかどうか考えていた時。
「……何を知っているのよ!」
微かな叫び声が響いた。
間違いない、ルナの声だ。
耳を澄ませつつ、屋敷に近づく。
「……地下に宝が埋まってる? そんなの知らない。関係ない! 毎日来てくれる常連さんも、初めて来た人も、皆が食事と会話を楽しんで笑顔になれる店。それが父さんの自慢の酒場《湖の獅子亭》よ! 宝があるっていうのなら、その人たちの笑顔と、「また来るね」っていう言葉が、あの酒場の宝よ! 何も知らないお前みたいな奴が、その汚い口でうちの酒場を語るんじゃない!」
今度はもっとはっきりと聞こえた。
ルナめ、なかなかいいことを言うじゃないか……と私は微笑んだ。
幸いにもルナは窓際にはいないようだ。やや手荒だが、直接侵入と洒落込もう。
「Luz Esfera Grande」
昨日の改良の成果だ。
通常より長めに力を溜めた私の前足から、特大サイズの光弾が放たれた。まっすぐ窓に向かって飛んでいき、当たった瞬間にぱっと閃光が走る。
轟音と共に光弾は炸裂し、悪趣味な彫刻の施された外壁を粉々にした。
私は思い切り駆け出し、壁に向かって跳んだ。所々にある彫刻を足がかりにしてひょいひょいと壁を登り、空いた穴から中に飛び込む。
「よく言った!」
粉塵が立ち込め、視界が真っ白に覆われている中で、私はルナを呼ぶ。
「ルナ、こっちに来い!」
奥からルナの声が響いてきた。
「逃げて! 私のことはいいから!」
そういうわけにもいかない。私は佇んで待ち、やがて室内が少しずつ見えてきた。
ルナを両脇から抱え込む二人の男。先程の光弾の余波を受けたのか、倒れて床に転がっている男たち。そして、壁際や扉、その向こうの廊下にある、十数人の武装した男たち。あいつの私兵だろう。
「……熱烈な歓迎だな」
私はぼそっと呟いた。
「ノックスちゃん! 逃げてって言ったのに!」
悲痛な声でルナが叫ぶ。両脇から男に抱え込まれているため、逃げられなかったのだろう。
「お前を助けに来たのにお前を置いて逃げるわけがないだろう! ウォークスはどこだ!」
そう叫び返すと、ルナが悔しそうに言った。
「あいつ、煙でもうもうとしてるうちに逃げ出しちゃった……」
逃げ足だけは早いようだ。振り返ると、護衛らしき兵たちに囲まれて街のほうに逃げていくウォークスの姿が見えた。あとで追いかけてやろうと心に誓って、私はルナのほうに一歩踏み出す。
たちまち、私兵たちが私とルナの間に立ち塞がった。
「おい、喋る猫を殺せって命令聞いてびっくりしたけど本当に喋ってやがるぜ!」
「でも見た目はただの猫だな」
「喋るだけだろ。さっさとやってしまおうや」
「誰から行く?」
口々に好き勝手言いつつ、武器をもてあそぶ。
男たちを見渡せば、ズラリと並ぶ剣、棍棒、ナイフに鞭。メイスにフレイル、モーニングスターまである。
どうやらメルギトゥール商会は武器を豊富に取り扱っているらしい。支部長の態度といい、過剰なまでの武装といい、少し引っかかるものがある。
……まあいい。
一人残して聞き出せばいいだけの話だ。
「よし、俺がやろう。小さい頃、猫に引っ掻かれたことがあってな……やり返したかったんだ」
そう言って進み出たのは禿頭の男。持っている剣は室内用なのか、細身で短い。
私はもう一歩進み出て、居並ぶ男たちに宣告した。
「一人ずつ来ても全員で来てもいい。だが、武器を持って襲いかかってきた者には容赦しない。妻や子供、老いた親など、大切な人がいる者は黙って下がっていろ!」
男たちが一斉に爆笑する。
「猫の分際で生意気言いやがって!」
「状況分かってんのか?」
「生きたまんま毛皮剥いでやろうか!」
様々なヤジが乱れ飛ぶ。
「おい、さっさと終わらせちまえよ! ここに別嬪さんがいることだし、早く仕事終わらせて楽しもうや」
「おいおい、そいつに手を出したら支部長がキレるぜ」
「支部長がどうした! 命令聞かなかったら涙目になるあいつが何だってんだ!」
再び室内が笑いの渦に包まれた。あの支部長、部下にもあまり快く思われていないようだ。
やがて笑いが収まり、剣を構えた男が近づいてくる。
「猫と戦うのは初めてだぜ。戦いになりゃいいがな」
ニヤニヤしながら言う男を完全に無視して、私はルナに呼びかけた。
「今から少し刺激の強い光景が見える。私がいいと言うまで目を閉じていろ。すぐに終わらせる」
「……うん、わかった!」
ルナがぎゅっと目を瞑ったのを確認して、私は目の前の男に向き直った。
「……すまないな、聞いていなかった。もう一度言ってくれ」
「舐めやがって!」
男は額に青筋を立てて剣を振り下ろしてきた。そこらへんの盗賊よりは速いが、ユリアよりは遅い。
目の前に迫る剣を、肉球で挟み込んで止める。ゲヌスが使った真剣白刃取りの真似だが、強化呪文のおかげで容易く成功したようだ。
「え?」
男は目の前の光景が信じられず、惚けたようなような声を上げる。
「どうした?」
私が余裕たっぷりの表情でそう聞くと、男は我に返ったように腕に力を込める。しばらくして、男は悔しそうにぶるぶると震え始めた。男は限界まで力を振り絞って私を斬ろうとしているのだが、私が挟み込んだ剣はピクリとも動かないのである。
「それが全力か? 見かけ倒しだな」
居並ぶ男たちが嘲笑する。「おい、何を手加減してんだ?」と誰かが言い、笑いが弾けた。
「ぐ、こ、この……」
怒りと力みでを真っ赤にしつつ、男が唸る。
ぱっと剣から手を放すと、男は後ろを向いて叫んだ。
「おい、なんか武器貸せ!」
モーニングスターを持っていた男が「ほらよ」と言って放り投げたそれを受け取り、禿頭の男は私を睨みつけた。
「叩き潰す!」
ゲヌスの使っていたモルゲンステルンは鉄棒の先に棘球が付いたものだが、モーニングスターはそれに鎖が付いたものだ。握りの付いた鉄棒と棘球が鎖で繋がっており、振り回したときの威力は段違いだがそのぶん扱いが難しい。
「やれやれ」
私は前足に挟んだままの剣を離し、同時に握りの部分を思い切り蹴り上げた。剣は一直線に喉元に飛んでいく。モーニングスターでそれをはたき落とそうとするも、残念ながら間に合わない。禿頭の男は喉を串刺しにされ、血を吐いて倒れた。
軽い細身の剣のあとにあんなに重い武器を使えば、当然初動が遅れる。少し考えればわかることだ。
室内はシーンと静まり返ってしまった。軽口を叩いていた男たちが、信じられないものを見たという表情で固まっている。
「さあ、次は誰だ?」
私の呼びかけに応え、やや背の低い男が進み出た。その手に持っているのは短槍、その名の通り短い槍だ。
「俺が行こう。どうやらただの猫じゃないらしい。俺が負けたらお前らは逃げな。あいつみたいに死ぬこたあねえ」
周囲に少し緊張が走る。この男、それなりの手練れのようだ。この兵士たちの中でもかなり格上の存在だと見ていいだろう。こいつを倒せば、残りは簡単に追い払えそうだ。
「残念ながら、ただの猫さ」
私はそう言って、手招きする。
男は鋭く一歩踏み込んだ。気合いとともに繰り出される短槍の穂先は、予想外の速さで銀の流線となって私の首に迫る。咄嗟に首を捻って躱すも、私の毛が数本切り取られてはらりと落ちた。
突き出された短槍が生き物のように踊り、私を切り刻もうと迫り来る。横薙ぎの穂先を躱し、転がった先に恐るべき速さで振り下ろされた短槍は尻尾で弾いて軌道を変える。しかし、普通なら床にめり込むはずの穂先は強引に軌道を捻じ曲げて私に襲いかかってきた。これも飛び上がって躱すが、私の動きを先読みしているかのように空中めがけて短槍が突き出される。体を最大まで折り曲げてなんとか避けたが、風圧で私の毛がふわりと逆立った。
短槍をすっと引き、男がさらに踏み込んで再び突きを放つ。今度は見逃さず、さっとかがんで避けると同時に短槍の柄をしっかり掴む。男が短槍を引き戻すのに合わせて、私は地を蹴った。
短槍に引っぱられる勢いを利用し、男の眼前に向かって飛ぶ。私はそのまま空中で一回転して、尻尾で男の目をぴしりと打った。
「ぎゃっ」
反射的に目を押さえてしまったことが、敗北に繋がった。床に降り立った瞬間に床を強く蹴りつけ、再び飛び上がった私は男の肩に飛び乗ると同時に力を流し込む。
「Dormir」
男が怯んでいなかったら、二秒以上触れることはできなかっただろう。自分の手で自分の視界を閉ざしてしまった男は、避けられたはずの呪文によって意識を失い、床に崩れ落ちた。
「さあ、次は誰だ! こいつの言いつけ通り、逃げてもいいぞ。向かってくるなら遠慮はしない。今見たように、私が触れて呪文を唱えれば必ず死に至るが……体験してみたい奴はいるか?」
私は男たちを睥睨し、問いかける。別に死にはせず、気絶するだけなのだが、少しハッタリをかましてみた。
男たちは急に押し黙ってしまい、誰も進み出てこない。仲間が二人殺されて、やっと目の前の敵の危険度に気づく……武装は立派だが、そこまで訓練されてはいないらしい。
「十秒だけ待ってやろう! その間に部屋から出なかった者は全員攻撃対象と見なす」
私は叫んだ。
「十!」
男たちがちらちらと視線を交わし合う。
「九!」
率先して逃げ出せば、あとから責任を押し付けられる。
「八……七……六……五……四」
誰も動かない。
そのとき、一人の男がルナの首に刃を突きつけて叫んだ。
「お前が動いたら、こいつを殺す!」
私は数えるのを止めた。
「変な術を使っても殺す! いいか、そのままじっとしてろ。おい皆、今の内にあいつを切り刻んでしまえ!」
ルナを人質にとれば私が動けなくなるとの判断……それは正しい。
男たちが動かない私ににじり寄ってくる。
しかし、男はこの術の存在を知らなかった。
私は指示に従ってじっとしつつ、右前足に力を溜めた。細く、細く螺旋を描いて力を凝縮していく……小さく、速い光弾を撃つために。昨日開発したばかりの技だ。
ルナの首に刃を突きつける男の目が、ほんの一瞬私から逸れた。その隙を逃さず、私は唱える。
「Luz Esfera Francotirador」
右前足から放たれた、木の実ほどの小さな光弾。それは反応さえ許さぬ速度で一筋の光線になり、狙い違わず男の脳天を射抜いた。
声もなく崩れ落ちる男に、周囲から恐怖の叫びが湧き上がる。
畳み掛けるように私は叫ぶ。
「三!」
とうとう扉に近い者から脱走を始めた。
「二!」
それを見た私兵たちが我先にと扉に殺到する。
「一!」
最後の一人が全力で部屋を飛び出していった。
「……零」
部屋に残ったのは私とルナ、気絶している男、そして死体。
一人残して、あとはほとんど追い払った。上出来だ。
仮免の試験、頑張ります。




