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一人と一匹、夜を征く  作者: 水尾
第三章 「赤」の街、メモリア
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一 古都の街並み

 身体を洗い、ゲヌスを放置した私たちは、メモリアの街に足を踏み入れた。

 と言っても明確な境界線があるわけではない。田畑がなくなり、道の両端に家が立ち並ぶようになった辺りからが「街」だろうと見当を付けただけだ。

 夕刻、街の外縁部にも関わらず人通りは多い。

「大きな街だな」

 私は嘆息した。

「ミネラに驚いていた自分が馬鹿らしくなってくる」

「王都はこんなもんじゃないぜ」

 ユリアが面白そうに笑った。

 メモリアの街は古くからの建築様式が多く、同じ石造りなのにミネラとは異質な感じだった。乱雑、とでも言えばいいのだろうか。石畳もやや凸凹が激しい。

 そして、よく見ると石自体が赤みを帯びている。夕日に照らされているから赤いというわけではないようだ。

「これは煉瓦って言うんだ」

 ユリアが周囲を指差しながら教えてくれた。

「まだミネラみたいに綺麗に石を切り出す技術がなかった頃から作られていた、泥なんかを焼いて固めたものだな。これをたくさん作って石畳にも建物にも使ってある」

 私は頷いた。街中で声を出すのは得策ではない。

 それをわかっているユリアは、気にした様子もなく話を続けた。

「この街が赤いのは実は夕日のせいじゃない、煉瓦が持ってる色なんだ。北部の三つの大都市にはそれぞれ色があってな、ここメモリアは当然『赤』の街だ。一番綺麗なのは王都レガリアの『白』なんだ、早くお前に見せたいぜ」

 歩きながら私は周囲を見回した。雑然とした街並みは、計画性を感じるミネラとは違った魅力を漂わせている。メモリアはかなり美しい都市だと思うが、王都はこれより美しいというのか。

 私は声を潜めて呟いた。

「……広いな」

「ああ、広い。この街も広いしこの国はもっと広い。どうせ世界はもっともっと広いんだ」

 ユリアは肩を竦めた。

「自分の小ささが身に沁みるぜ」

 私は吹き出した。シニカルな台詞と仕草が余りにも似合わなすぎて、しばらく呼吸困難に陥る。

「……どうせ似合ってないとか思ってんだろ」

 憮然としたユリアに私は大きく頷いてみせた。

「わかってるなら言うな。私を窒息死させる気か」

「いっそ本当にしてしまえばいいんだ」

 軽口を叩きながらメモリアの中心部に向かう。

「オルニットもいるし、厩舎付きの宿を探さなきゃな……」

 中心部の活気はミネラに匹敵するか、それ以上だった。

 道が三つに分かれていて、真ん中の広い道を馬車が走り、両側を人が歩くという仕組みのようだ。さすが大都市、便利なものだなあ……と私はしきりに感心しつつユリアに付いていった。

 歩道の人混みはかなりの人口密度で、馬を連れた私たちは周囲からやや迷惑がられているようだ。行き交う人は皆容赦ない早足で、私は蹴られないように細心の注意を払わなければならなかった。


 適当な宿を見つけてオルニットだけ預けた私たちは、夕飯を食べに街に繰り出した。

「周囲の田畑で取れた、新鮮な米と野菜。近くの湖や川で獲れた魚。草原で放牧させている牛や豚。メモリアの飯はおいしいぜ……素材の新鮮さが違うからな」

「期待しておこう」

 ユリアは酒場《湖の獅子亭》の扉を開く。村には酒場というものがなかったが、大都市の酒場に付いている名前は皆個性的で面白いものだ。

 入ってみて驚いた。夕刻にも関わらず、店内にはまばらに客の姿があるだけで、とても閑散としている。外にはたくさんの人がいるのに、この時間の酒場が混み合ってないとはどういうことだろうか。

 構わず席に座ると、ユリアは台の上に置いてある紙を開いた。

「ここは広くて、ミネラで行ったとこみたいに品書きを壁に張り出してたら、見えない客が出てくるんだ。だからそれぞれの卓にお品書きが置かれてるのさ」

 都市というのは、素晴らしい工夫で満ち溢れているなあ……と私はまた感心した。

「よし、決めた」

 ユリアが紙を畳んで店員を呼ぼうとしたとき、急に私は何者かに抱き上げられた。

「わっ、すべすべ!」

 見上げると、制服を着た若い少女……ここの店員だろうか。長い金髪を後ろで束ね、化粧っ気のない顔はまだ幼い。ユリアと同じくらいの年齢だろうか。その店員はしばらくうっとりとしながら胸に抱いた私を撫でていたが、はっと我に返るとぺこりとお辞儀をした。

「あっ、失礼いたしました。私、猫が大好きなもので……それで、ご注文はお決まりでしょうか?」

 突然のことにぽかんとしていたユリアは、それを聞いて慌てて口を開く。

「牛肉の鉄板焼き定食を一つ、それからこいつにも何か」

「かしこまりました! 猫ちゃんにはとっておきをお持ちしますね!」

 そう言って私を名残惜しそうに下ろし、店員は厨房のほうへ駆けていった。他の店員の姿はない。これだけの酒場なら、もう二、三人いてもいいはずだが。

 私とユリアは顔を見合わせた。

「何だあれは」

「知らん。でも、猫が好きらしいぞ。よかったなノックス」

「いいものか。心臓に悪い」

「とか言って、撫でられるのは満更でもないんじゃないか? お前、気持ちよさそうに目を細めてたぞ」

「なっ……!」

 私は愕然とした。そんなわけがない……と言おうとしたが、なんとなく否定できない自分がいる。

「やっぱりな。俺が撫でてやろうか?」

 ニヤニヤしながらユリアが言ってくるので、私はユリアに光弾を浴びせるべきかどうか真剣に悩んだ。

「お持ちしましたあ」

 先程の店員が皿を重ねて器用に運んできた。

「こちらが牛肉の鉄板焼きとサラダ、ご飯ですね。猫ちゃんにはこちらです」

 大きいが浅めの器にごはんを盛り、その上から濁ったスープをかけ、ほぐした焼き魚を載せてある。

「猫ちゃん用ご飯です! さあ食べて、少し冷ましてあるし味は薄めだよ、絶対においしいよ」

 それでも店員かというほど密着してくる。

 ユリアが困ったように声をかけた。

「あの……仕事は大丈夫なんですか?」

 店員はくるりと振り返り、にこやかに言った。

「私は雇われてるんじゃなくてお手伝いしてるだけですから。この店は父が経営してるんで」

「なるほど」

 納得したかしていないかわからない表情のユリア。

「この子のお名前は何と言うんですか?」

「あ、ノックスっていう」

 それを聞くなり、彼女はくるりと私のほうを向く。

「ノックスちゃん! 素敵な名前ですねえ! ねえノックスちゃん、いい子でちゅねえ〜」

 これが本物の『猫撫で声』か……と私は慄然とした。

 普通の猫ならば素直に甘えているところかもしれないが、生憎私は普通の猫ではない。そんなところを撫でるんじゃない。おい、やめてくれ。

 彼女の手が私の首筋を撫でると、ぞわぞわした感覚が背筋を走り抜けた。

「なあ……そいつ、触られるのあんまり好きじゃないから……」

 見かねたユリアが遠慮がちに言うが、どうやら耳に入っていないようだ。

 ユリアは肩を竦め、私に「まあ頑張れ」とでも言いたげな視線を投げかけると食事を始めてしまった。

 私は全身くまなく撫で回され続け、この娘に麻痺呪文をかけるかどうか真剣に悩み始めた頃……厨房から怒鳴り声がした。

「おい、ルナ! いつまで油を売ってるんだ!」

「はっ! 失礼しました、ついつい夢中になってしまって……」

 どうやらルナという名前らしい。店員はその場で飛び上がると、私を下ろして頭を下げた。

「では、お食事をお楽しみくださいませ。猫ちゃんまたね〜」

 そう言って厨房のほうに歩み去る。

 私はしばらくぐったりとしていたが、食事に手を付けていなかったことを思い出して椅子の上に這い上がった。

「大変だったな」

 ユリアは沈痛な面持ちを作ってみせたが、今にも笑い出しそうなのは明らかだった。

「何がおかしい」

 私が憮然として尋ねると、ユリアは即答する。

「お前の顔」

「……私はどんな顔をしていた?」

 私は自分でもびっくりするほど小さな声で聞いた。

「なんか、幸せそうな顔」

 ユリアが笑いを噛み殺しながら言う。

「表情がわかりにくいお前があんなに緩んだ顔をするとこ、初めて見たぜ。そういえば村の皆もお前を撫でたりしてなかったもんなあ……気持ちいいならいいじゃないか」

 気持ちいい……のだろうか。

 私は喉元や腹を優しく掻かれる感触を思い出してみた。確かにあれは……。

「ほら、その顔だよ」

 ユリアに指摘されて、私は自分の顔をぺたぺた触ってみた。

 自分より年下の少女に撫でられて甘えるなど、人間としてのプライドが許さない。しかし、心は拒否してもその手の気持ちよさに自然と顔は緩むのだ。なんだか人間としての自分と猫としての自分がせめぎ合っているような感覚だ。

「いいから食え、冷めるぞ」

 ユリアが皿を私のほうに押しやる。

「そうだったな……すっかり忘れていた」

 私は「猫ちゃん用ご飯」を食べ始めた。

 不思議な人間がいるものだなあ、と思いながら。


 結局、「猫ちゃん用ご飯」は、名前はともかくとして味は最高だった。

「そのナントカご飯はおいしかったか?」

「ああ。最高だ。それなのに、なんでこんなに客が入ってないんだろうな」

 私たちは支払いを済ませ、店を出てから宿に向かって歩き出した。

メモリア編、開始です。

第一章と第二章よりは短くなる予定です。

あくまでも予定ですが…

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