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一人と一匹、夜を征く  作者: 水尾
第二章 中央街道
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二十 過去は消えない

 店の扉が軋みながら開く。

「ミセリア!」

 ドミナがにこにこと笑いながら店内に入ってきた。

「あらドミナ、また来たの?」

「うん」

 ドミナは椅子に座って、溜息を吐く。その顔はなんだか悩ましげだ。

「なんだか、ノックスちゃんが行ってしまってから寂しくて……」

「あらあら」

 ミセリアは身を乗り出した。

「ひょっとして、恋の予感? あなたもそんな歳になったのねえ……嬉しくて泣いちゃいそう」

 そう言って袖で目を拭うふりをするミセリア。

「ち、違うよ! それに、いつまでも子供扱いしないでよ。もう二十四なんだから」

「応援するわよ? それにしても、人間と猫のラブストーリーだなんて。困難な道だからこそ燃え上がるのかしらねえ」

「違うってば!」

 顔を真っ赤にするドミナを見て、ミセリアはそっと微笑んだ。その笑顔は我が子に向ける母親のそれとよく似ている。……実際、ミセリアはドミナの母親も同然だった。ドミナの両親が殺されてから、ドミナを引き取って代わりに育ててきたのはミセリアなのである。

 成人してからはミセリアの庇護下を離れ、宿屋を営みつつ呪術の研究に精を出している。そんなドミナがぶらりと店に訪ねてくるのは、ミセリアにとって大変嬉しいことであった。

「大きくなったわねえ……昔はあんなに小さくて可愛かった女の子が」

 昔を懐かしむようにミセリアは遠い目をした。

「こんなに立派になっちゃって。育てた甲斐があったってものだわ」

 ドミナは照れたように笑った。

「私を引き取って育ててくれた恩は、いつか必ず返すからね」

「いいのよ、あなたがたまに元気な姿を見せてくれれば、それが一番」

「でも……」

 ドミナが頬を膨らませる。今日は化粧をしていないため、やや子供っぽい表情もよく似合っていた。

「そんなことより、ノックスちゃんの修行の様子が聞きたいわ。どうだったの?」

「そう! それを話したかったの!」

 ドミナは嬉しそうに語り始めた。

「二日目だったかな? ノックスったら、私が例として描いた呪印見てしばらく考え込んでね。そのあと何て言ったと思う? 『ここの線はここに繋げたほうがいいのではないか?』だって! まだ力の基本的な流れしか教えてなかったのに、私が描いた呪印を訂正しちゃったのよ。しかも、訂正したらすごく効率がよくなって……なんだか自信喪失しちゃった」

「言ったでしょ? ノックスちゃんはデキるって」

 ドミナは勢いよく頷く。

「本当だった。そのあとも、どんな呪術を作りたいかって言ったら麻痺とか強化とかいろいろ言ってたんだけどね……私が口を挟むまでもなかったの。基本的な組み合わせを教えたら、しばらく考え込んだあと『こんな感じだった気がするのだが、どうだろう』なんて言って見せてきて、それがまた綺麗な呪印で……」

 ミセリアはくすりと笑った。

「目に浮かぶわね」

「二日目で七つも作っちゃったの! 治癒と感知はやっぱり複雑だから難しかったみたいだけど、強化呪印なんかひょいって描いちゃったのよ」

 ミセリアは、ノックスの真っ黒な毛並みを思い浮かべた。やや高飛車な喋り方が、もう懐かしく感じる。

「ノックスちゃんと出会ったのもつい最近なのに、なんだか旧知の間柄みたいな気分だわ……案外、人間だった頃は本当に知り合いだったりしてね」

「あり得る!」

 ドミナはころころ笑った。

「それで? 三日目は?」

「そう! 三日目は更にすごかったの。呪印に沿って力を流すって、コツが要るんだけど……平然とやってのけちゃうんだもの。強化呪文なんか三回目には完璧に発動してて、『ちょっと確かめてみよう』なんて言ってその場で思いっきり飛び上がって天井に頭をぶつけてたわ」

 二人は声を上げて笑った。

「はあ……それで、強化呪文かけてるから痛くないらしいの。笑い転げる私に、ぶすっとした声で『痛くないぞ』なんて言うものだから、もうおかしくておかしくて」

「喋り方はすごく高飛車な感じなのに、どこか抜けてるのよね」

 顔を見合わせてまた笑う。

「結局、呪印があれば七つ全部発動に成功してね。『呪印なしでもできるかどうかやってみよう』ってことでかなり頑張ったの。そしたら三つ、呪印がなくてもできるようになったのよ。一日で三つの呪術を覚えるだけでもすごいのに」

「なんだか予想以上ねえ」

「最後のほうは、教えてるのか教えられてるのかわからなくなっちゃった」

 ドミナは恥ずかしげに笑った。その顔が、突如歪む。

「ノックスちゃんが開発した攻撃系呪文の使い方も教えてもらったの。これでまた一歩近づいた」

 ミセリアはドミナをじっと見て、諭すように言う。

「本当に、そんなことするつもりなの?」

「もちろんよ。父さんと母さんの仇を討つために呪術を研究してきたんだもの。もっとたくさんの呪術を使えるようになったら、あいつらを全員殺してやるんだ」

 ドミナの表情は固い。悲壮感さえ漂わせるほどの決意は、簡単には揺るがない。

「でも、そんなことしたらあなたの身が」

 ミセリアを遮って、強い口調でドミナが宣言する。

「私はどうなってもいい。あいつらを全員殺せさえすれば、私は死んだって構わない」

 ミセリアは肩を落として溜息を吐いた。

「そんな悲しいこと言わないの」

「ごめんね、ミセリア。あなたには感謝してるけど、それとこれとは話が別よ。私はあの獣使いの呪術師たちを全員殺すために生きてるし、これからもそれは変わらない」

 ドミナは立ち上がった。

「じゃあ、また来るね」

 店を出て行くドミナ。

 扉が閉まり、伸ばしかけた手を引っ込めてミセリアが呟く。

「私にあなたを引き止める資格はないわね」

 ずっと隠し通してきた真実。

 あの夜、私はあなたの両親を殺すのに加担してしまったの——そのことを打ち明けられないまま、気づけば長い年月が経っていた。

 ドミナの両親は優秀な呪術師だった。それ故に、獣使いの呪術師たちに目を付けられた。

 家を呪術障壁で守っている二人を襲うには、錬金術が必要だった。錬金術師であったミセリアは、何も知らないままその襲撃で最も重要な役目を果たしてしまっていたのだ。



「この家の中とあの家の中を繋ぐんだ。できるか?」

「できるわよ。私を誰だと思ってるの?」

「さすがだな!」

 当時の恋人の頼みを、断りきれなかった。頼りにされているという思いもあった。空間を操る錬金術の使い手であった彼女は、指示された通りの場所を錬金術で作った白いトンネルのような『通路』で繋ぐ。

「じゃあ、ここで待っててくれ」

 恋人の家の外でしばらく待っていると、家の中から鋭い悲鳴が聞こえた。慌てて家の中に入り、通路に飛び込む。

 通路をくぐった彼女が見たのは、口が血に塗れた三匹の狼だった。

 通路を繋いでしまった家の住人だろうか、床には二人の男女が喉笛を噛みちぎられて倒れ伏している。その横に、同じく頭から血を流して倒れている小さい女の子が一人。そのときは、その後何年もその子と共に過ごすことになろうとは思ってもいなかった。

 狼のうち一匹がゆっくりと口を開く。

「待ってろって言っただろ」

「……え?」

 認めたくなかった。その声が、最愛の恋人のものだと。

「おい、見られたぞ。どうする」

「殺すしかないな」

「ガキと一緒に殺しておけ」

「お前の恋人じゃなかったのか? 殺していいのか?」

「別にいい。そろそろ飽きてきたところだしな」

 三匹の狼による耳障りな笑い声が響く。

 彼女の頭の中は真っ白だった。恋人の裏切り、殺人の現場、そんな言葉が頭に浮かんでは消えていく。そんな中で咄嗟にとった行動が、奇跡的に二人の命を救ったのだ。

 彼女は反射的に通路を閉じ、倒れているドミナに飛びつくと、自分の真下に自宅と繋がる通路を開く。

「……待て!」

 ドミナを抱きしめ、重力に身を任せて落下する。

 通路から出た瞬間、二人を追って通路に飛び込もうとする狼たちより早く通路を閉じた。トンネルが消え去り、狼たちの姿もかき消える。ドミナを抱えたままドサリと床に落ちた彼女は、打った腰の痛みすら感じていなかった。

「……逃げなきゃ」

 この自宅は恋人に知られている。……いや、「元」恋人だ。彼女は必要最低限のものだけ持ち、気を失っているドミナを抱いて泣きながら自宅を後にした。

 そうして、ドミナを連れてひたすら逃げ回った。元の名前も捨てた。どん底の中で、自嘲を込めて新しく名乗った名前は……悲惨(ミセリア)

 執拗な追跡を錬金術を使って躱しつつ、ミセリアとドミナはついに南部まで辿り着いた。数年が経過し、追っ手が二人の追跡を諦め、二人が足音に怯えなくてもよくなった頃。ミセリアは、ミネラの路地裏に雑貨屋を開業した。

 店を営みつつドミナを育て、やがて長い年月が流れ去り……そうして今に至るのである。



(いつかは、言わないといけない……)

 それはミセリア自身が一番よくわかっていることだ。

 暗く沈んだ顔を、蝋燭の灯りがゆらゆらと照らしていた。

中央街道編、完結です。

第三章 メモリア編 に続きます。

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