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一人と一匹、夜を征く  作者: 水尾
第二章 中央街道
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十九 この世界の中で

 長いこと、ユリアは泣いていた。胸の中に蟠っていたものを、全て流し出そうとするかのように。

 私はその頭をずっと撫でていた。

 人を殺すことについて悩み苦しむ、その心がある限りユリアは大丈夫だ。

 やがて、ユリアが顔を上げた。

「落ち着いたか」

 泣きはらした目でユリアは頷き、照れ臭そうに笑った。

「みっともないとこ見せてしまったな」

「何を今更」

 私はユリアの背中をポンポンと叩いた。

「その涙は、お前が持つ純粋さの証だ。これからも悩み続けろ。しっかり悩んで、考えて、するべき行動を選び取れ。お前が道を踏み外しそうになったらまた止めてやる」

 ユリアは大きく頷き、涙を拭って立ち上がった。そして脇腹を押さえて座り込む。

「あいてててて」

 ゲヌスの攻撃は鉄でできた服をあっさりと貫通して、ユリアの脇腹を抉っていた。

「ほら、こっちに来い」

 ユリアを呪印の上に座らせて、もう一度治癒呪文を唱える。

Recuperar(治癒せよ)

 ユリアの脇腹の傷がゆっくりと塞がっていく。

「くすぐったい」

「我慢しろ。まだ使い慣れんのだ」

 血を止めるぐらいならすぐできるが、深い傷の治癒には時間がかかる。

 数分後、すっかり塞がった穴を見てユリアは感嘆の声を上げ、立ち上がろうとした。

「塞がった! ありがとう。さあ、出発しよいてててて」

 再び座り込むユリア。

「すまんが、痛みはしばらく残るぞ。消えるまで我慢しろ」

「先に言えよ……」

 涙目のユリアが恨めしげな声を出した。


 ゲヌスは馬に乗せてメモリアの外れに放置しておくことにした。

「そうすれば誰かが見つけるだろう」

「確かにな」

 ユリアはオルニットに跨り、手綱を引っ張る。

 ゲヌスが乗ってきた馬に、まだ気絶しているゲヌスを乗せる。その馬の手綱は私が操ることになった。

「……まさか本格的に乗馬することになるとは思わなかった」

 ユリアがからからと笑う。

「まあそう言うな、いつかその技術が役に立つ日が来るさ」

「……そうは思えんがな」

 再び中央街道を北上する。

 幸いにも賢い馬で、オルニットの後を追えばいいとわかってくれたので手綱の操作はかなり楽だった。

 盗賊に出会うこともなく、順調に石畳を駆ける。

「ユリア!」

「何だ?」

「その格好でメモリアに入ったら怪しまれるぞ。というより、入れてもらえないだろう」

 ユリアは返り血をたっぷり浴びた自分の服を見て、納得したように笑った。

「こりゃひどい……でもな、メモリアに壁はないんだ」

「そうなのか!」

 てっきりミネラと同じような都市だと思っていた。

「王国で一番古くからある都市で、だから明確な境目はない。中心部はミネラ以上に活気があるし、中心部から離れるにつれて人は少なくなって、代わりに田畑の割合が大きくなっていく。メモリアはそんな街だよ」

「楽しみだな」

「壁がない代わりに警備兵の詰所が至る所にあって、常に五人以上の兵が待機してる。何かあったらすぐに警備兵が来るから、治安はミネラよりいいんだ」

 警備兵が今のユリアを見たら、確実に拘束、尋問されることだろう。

「お前を見たら警備兵がすっ飛んでくるだろうな」

「だろうな。どっかで身体を洗わないと」

 そのとき、茂みを掻き分けて二人の盗賊が現れた。

「!」

 とっさに剣を抜いて構えるユリア。しかし、二人は予想外の行動をとった。

「わっ」

「ぎゃっ」

 二人はぎょっとした顔で大きく飛び退る。

 その視線はユリアではなく、白目を剥くゲヌスに向いていた。

 そのまま茂みの中に駆け戻ろうとする二人に、ユリアが叫んだ。

「おい、ちょっと待て!」

 ビクッとして動きを止めた二人は血塗れのユリアを見て息を飲む。

「何だ、お前ら。盗賊じゃないのか?」

 一人が恐る恐るといった様子で口を開いた。

「さっきまで盗賊でした。仲間とお頭がそいつに殺されて、二人じゃ何もできないしもう盗賊なんてやめてしまおう、と山を降りてきて……」

 もう一人がユリアに尋ねた。

「もしかして、そいつを殺したんですか……?」

「いや、殺してはない。それで? お前らは盗賊をやめて何をするつもりだ?」

 ユリアの恫喝に、二人は身を縮めた。

「メモリアの職業斡旋所に行こうかと思ってました。あそこなら日雇いで仕事を貰えるし、真っ当に稼いで生きていけます」

「そうか」

 ユリアは剣を鞘に戻した。

「じゃあ、いろいろ聞きたいことがあるんだが」

 二人はほっとした顔で頷いた。

「何でしょう」

「お前ら盗賊は、なんで真昼に動き回ってるのにあの化物に襲われないんだ?」

「ああ、それは」

 一人が腰に下げた袋から何かの葉を取り出す。

「これです。シーの葉です。動物はこの匂いを嫌がるので、こうやって持っておけば動物のほうから避けてくれます」

 ユリアと私は顔を見合わせた。シーの木なら街道の途中で数本目にしたはずだ。そんな便利な効能があったとは……。

「よろしければ差し上げますが……」

 一人がおずおずと袋を差し出すが、ユリアは断った。

「いや、いい。どうせ出てきても追い払えるしな」

 驚いたようにユリアを見る二人。

「で、次だ。お前ら、今までに何人殺した?」

 明らかに怒りを抑えているユリアに、二人は怯えたような目を向ける。

「実は……一人も殺したことがないんです」

 ユリアが目を見開く。

「お頭みたいに人を殺せないと一人前じゃないってわかってはいたけど、いざ殺そうとすると身体が竦んでしまって……」

「田舎から稼ぎに来たけどいい職がなくて、食うに困って盗賊を始めたけどもういいです。俺たちに人殺しは向いてませんでした」

「真っ当に働いたほうが、腹は減っても気持ち良く生きていけるし」

「そうですそうです」

 ユリアの顔に、驚きが浮かぶ。怯えながらユリアを見上げる二人に向ける視線は、きついものではなくなっていた。

「そうか……」

 私とユリアは顔を見合わせて微笑んだ。ユリアが二人に向き直る。

「それなら見逃すけど、一回盗賊になった過去は消えないからな。忘れるなよ」

 二人は大きく頷いた。

「わかってます」

「もちろんです」

 頭を下げる二人を後にして、私たちは先に進んだ。

「……ユリア!」

 振り返ったユリアの顔は、微笑んでいた。

「何だ?」

「お前、嬉しがってるだろう」

「……まあな」

 ユリアは頭を掻いた。

「最初から真っ当に稼いで、毎日を生きている人たちのほうがよっぽど偉い。それはわかってるんだけど、こう……一旦悪いほうに染まって、それから改心したやつを見ると嬉しいんだよなあ」

「そうだな」

 私も同意する。

「きっと、必要とする勇気の量が違うのだろう。道を踏み外すのはとても簡単だが、正しい道に戻るのはその何倍も難しい……並大抵の覚悟ではそれを成し遂げることはできまい。先程の二人も、ゲヌスに仲間を殺されていなければきっとあのままだっただろう」

 ユリアは唸った。

「運が良かったってことか?」

「運も必要だ、ということだな。勇気と運が揃って、初めてできることだ」

 しばらく黙っていたユリアは、躊躇いつつも口を開いた。

「村を出て、旅をして……出会った人が皆、俺に何かしらのいい影響を与えてる。最近思うんだ。全部が運ってやつだとしたら俺はなんて運がいいんだろう、ってな。もしそうなら、不公平じゃないか? 俺だけがいい思いをしてるみたいだ」

「お前がそんな複雑なことを考えるとはな」

 ユリアは苦笑した。

「自分でもそう思うよ」

「……私が考える運とは、何か大きな力のことだ。それを神だとか運命だとか呼ぶ人もいる。運がいいとか悪いとかそんなことは関係ない。偶然か必然かはわからないが、出会いも別れも、私たちに起きる全ての出来事は積もり積もって重なり合って、一つの大きな流れを形作っている。何か得体の知れない大きな力が作り出す、この世界の中で私たちは生きているんだ。否応無しに流されながらな」

「世界、か……」

 ユリアが顔を向けた先には澄んだ水の流れる小川があった。

 馬を寄せ、立ち止まって小川を眺める。清流が沈みゆく太陽を反射して、ユリアの頬を赤く染めた。

「クラヴィスさんにも言われたな、力の流れを掴めって」

「私もドミナから言われた。力の流れを操るのが呪術だ、とな」

 目の前の小川は、静かに流れていく。

「もしかしたら世界って、とてつもなく大きな一つの流れなのかもしれないな」

「そうだな。いいことも悪いこともその流れの中に内包されていて、突然、偶然、私たちに降りかかってくる。その中で流されながら、なんとか生きていくしかないのだろう……それを呪うか、受け止めるかはそれぞれの自由だ。お前の運がいいか悪いか……それはお前の受け取り方ひとつで変わるんだ」

 前を見ると、沈みゆく夕日が何かに当たってキラキラ輝いていた。

「ノックス、見ろよ。メモリアの時計塔だ」

 それは街の中心部に位置する、天高くそびえる塔だった。夕日に照らされて、石造りの街並みが軒並み赤に染まっている。

 とうとう北部に辿り着いたのだ。

 ユリアが振り返って、にっと笑う。

「無事に辿り着けたぜ。運がいいな」

「ああ……そうだな」

 遠くに見えるメモリアを眺めながら、私とユリアは静かに佇んでいた。

中央街道編はあと一話で終わります

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