十五 手紙
朝が来た。
太陽がアルカナ山脈の山の端からゆっくりと顔を出していく。
一晩中走り続けたオルニットはかなり疲弊していて、ときどき現れる化物を放り投げ続けたユリアの顔にも疲労が色濃くなっている。私はというと、目を見開いたまま風を切って走っていたので、朝日が目に沁みて涙がボロボロ出ていた。
「よし、どこかにいい岩陰か木陰はないかな」
ユリアはオルニットの首を巡らせ、街道を外れて近くの岩陰に向かっていった。
「ここでいいか」
大きく張り出した岩の下に、ちょうどいい影ができている。
私たちはその影に入り、一息ついた。
「ふう」
どっかりと腰を下ろすユリア。
オルニットも疲れたように首を振った。
「一晩中は疲れるな」
「ああ」
私も目を皿のようにしていたので、目が乾いて充血している。
「また夜まで休むか」
「いや」
ユリアは首を横に振った。
「できれば少し寝て、疲れが取れたらすぐに出発したい……でも化物とか盗賊が出るたびにいちいち立ち止まってたら結局は意味がないな。何かいい方法はないか、ノックス?」
「あるぞ」
私は平然と頷いた。
「呪印があれば、私の光弾は連射ができる。オルニットから降りなくても私が薙ぎ払えるさ」
「連射……」
ユリアは目を細め、心底嫌そうに言った。
「あれ一個で岩が砕けるってのに、何個も来たらたまったもんじゃないな……敵がかわいそうだ」
私は胸を張った。
「そうだろう」
「じゃあ連射できるようにしておいてくれ」
「承知した」
「じゃ、俺は少し寝ていいか?」
ユリアが言った。一晩中馬の上にいれば、足腰にはかなり疲労が溜まっているはずだ。
「いいぞ、ゆっくり休め」
「ありがとう」
ユリアはごろりと横になった。
オルニットも膝を折り、うとうとと眠っている。
周囲に人や動物の気配はないが、予防線は張っておくに越したことはない。私は呪印が予め描いてある紙を取り出し、地面に置いた。
複雑な呪印に沿って力を流す。これは力を薄く広げ、空気に拡散させるイメージ。
「Desconfie」
私の呪文と共に、呪印を中心にして力が半球状に広がる。その広さはファルサと闘った空き地ほど。他の魂のエネルギーを感知し、その半球の中に人や動物が足を踏み入れれば即座に伝わる……感知呪文。
これで、刺客が近づけば必ずわかるはずだ。
私は安心し、オルニットの横で丸くなった。目を閉じ、深い眠りに落ちていく。
目を覚ますと真昼だった。
ユリアはとっくに起きていて、芝生の上で不思議な動きを繰り返している。ゆっくりと円を描くように手を動かし、足を踏み出し、身体を揺らし……その動きはまるで踊っているようだ。
「ユリア、その動きは何だ?」
「おっ、起きたのか」
ユリアは私に笑いかけた。
「これは、『型』っていうらしい。一連の流れの中に攻撃や防御の基本がたくさん含まれてて、一人でも練習できるように工夫されてる。クラヴィスさんからたくさん教えてもらったぜ」
私は感心した。クラヴィスがいなくても上達できるように、ということか。大雑把なようでなかなか細やかな師匠だ。
「なるほどな」
ユリアはそのまま動き続ける。ゆっくりだった動きがだんだんと速くなっていく。足元からは踏まれた芝が、顔からは汗の雫が、キラキラ光りながらそれぞれ宙を舞った。
クラヴィスが言っていた通り、「流れるような」という表現が相応しい動きだ。
穏やかな清流に激しい濁流。ユリアの動きは様々な流れを内包して凛と流れる河川を彷彿とさせる。
しばらくぼんやりと見とれていたら、どうやら終わったらしく、汗を拭きながらユリアが戻ってきた。
「疲れは取れたか?」
私は頷き、少し釘を刺した。
「私は取れたが……お前はせっかく寝たのにまた疲れてどうするんだ?」
「……それもそうだな」
ユリアは笑いながら頭を掻いて、草を食んでいるオルニットを連れ戻そうと歩き始めた。
「ところでーー」
私の声にユリアが振り向く。
「どうだ、出発の前に手紙を読んでおかないか」
夜だと暗くて読めない。今がちょうどいいだろうと思ってのことだ。
「なるほど……そうだな、読むか」
ユリアは戻ってきて私の隣に腰を下ろした。背嚢から手紙を取り出す。
「しわくちゃじゃないか。よく守りきったな」
野犬に襲われたときのことか。
「もうあんな追いかけっこはご免だが……これがないと何のための旅がわからないからな」
「よくやったけど……あくまでもお前の命が優先だからな。はっきり言って、俺は会ったこともない国王よりもお前のほうが大事だ。命を大事にしろよ」
「今更何を言っている」
私は恥ずかしくなって顔を背けた。
「いいからさっさと開けろ。しかし、せっかく解除したが結局私たちに害がある類のものではなかったな……まあ顔を知られたという点では、かなりの害があったとも言えるかもしれんが」
「顔ぐらい!」
ユリアは笑い飛ばした。
「どうってことないだろ、そんなもん」
「だといいがな…」
私は苦笑いした。ユリアにかかれば大抵のものは「どうってことない」ようだ。
そんな相棒が微笑ましくも、頼もしくもあった。
「よし、取り出してくれ」
ユリアが封筒を開け、呪印と術式の描かれた手紙をつまみ出す。ゆっくりと折り目を開いていくと、やがて、手紙の本文が姿を現した。
計画の詳細を記す。
疾く読み、内容を頭に入れて後、即座に焼き捨てよ。
来る感謝祭の日、王から『鏡守り』が離れる瞬間を狙う。
王が山に入り、ポルタ山の麓に辿り着くまでは手出しができぬ。
王が一人で山に登り始めたときこそが好機。
私は儀式が始まる前にあらかじめ従者をポルタ山に潜ませておく。
山調べの際にそなたが受け持つ場所なので、見つかることもない。
山を登る王に向けて、矢を射かける手筈になっている。
先端にはモルスの汁を煮詰めたものを塗っておく。
かすりさえすれば王は助からぬ。
王の死を確認してからどこかに埋めて、そっと立ち去れと言ってある。
そなたは王が神殿から戻らぬと言って騒ぎ立てよ。
『鏡守り』の長という立場を存分に活かす時だ。
醜い心を持った王は神殿で死んだのだと誰もが思うだろう。
そうして私が次の王となった暁には、そなたを高く取り立ててやろう。
そなたの協力はこの計画に欠かせぬものだ。
手筈通りにせよ。
失敗は許されぬ。
もちろん、これを口外するなど以ての外だ。
では引き続き、連絡を待て。
数回読んで、私とユリアは顔を見合わせた。
「……聞き覚えのある単語があるな」
「俺もだ」
クラヴィスが言っていた『鏡守り』がこんな所で出てくるとは。
ユリアが顔をしかめて言った。
「これは、誰に向かって送ってるんだ? 署名も宛名もないけど」
「人手に渡ることを警戒して書かなかったのだろうが……おそらく『鏡守り』の長だな。クラヴィスだとは思いたくないが……」
「クラヴィスさんが言ってた仕事って、まさかこれじゃないよな」
不安げなユリア。
「お前が信じたいものを信じろ。クラヴィスが暗殺に加担するように見えるか?」
ユリアは即答した。
「……見えん!」
「それならば、それでいいだろう」
ユリアは力強く頷いた。
「でも、これならクラヴィスさんと別れる前に読んどくべきだったな」
「まったくその通りだ。すまない」
言われるまでもなく、私は後悔していた。なぜもっと早くに手紙を開けなかったのか。開けるチャンスはいくらでもあったというのに。
「整理すると、これは『鏡守り』の長と手紙の送り主が共謀してるってことだよな。そして、感謝祭の日に王が毒矢で狙われる……感謝祭っていつだっけな、かなり近いはずだけど」
私は首を捻った。
「うーむ、まずはできるだけ急いでメモリアに着かねばならんな。そこで感謝祭について詳しく聞いてみよう……それにしても、この手紙の送り主は自身で手を下さず、従者に任せるようだ。まったくもって汚いやり口だな」
ユリアが同調する。
「そうだそうだ、王になりたいなら自分で剣持って王のとこ行って決闘ぐらいしてみろってんだ」
あまりに暴力的かつ短絡的な方法だったので、私は呆れを通り越して面白くなってしまった。
それも悪くない方法だな……などと考えている自分に気づき、愕然とする。ユリアの短絡思考が感染したかもしれない。いや、確実に感染している。
「……お前のせいで最近、私の思考が暴力的になってきているのだが」
ユリアはニヤリとした。
「そりゃいいや」
テストです。
テストです。
苦手な物理のテストです…。




