四 力の流れ
私は跳ね起きた。
窓から差し込む朝日が目を射る。
身体のじっとりとした感触が、また例の夢を見ていたことを伝えていた。私は苛立ちに似た感情が湧いてくるのを感じた。ずっと夢の内容を思い出せないまま、この不快な気分を味わい続けるのか……。
そのとき、ある考えが脳裏に閃いた。
見た夢を忘れないようにする魔法が、あるのではないか? 夢の内容を覚えておける、そんな魔法。あるとしたら、試さない手はない。ミセリアなら何か手がかりを知っているに違いない。
それに、国王への手紙もまだ読めていない。あの危険そうな呪印とやらを無効化することができはしないだろうか。
ミセリアのいるミネラまでは馬でおよそ十四ドゥム(七時間)かかる。私の足なら半日というところだろう。ユリアが五日間ここにいるというのなら、私が一度ミネラに戻ってミセリアに会い、またここまで来るのに時間は十分すぎるほどある。
私はこの思いつきを実行してみることにした。起き上がり、伸びをし、毛づくろいをする。家の中に響く大きな鼾と小さな寝息。ユリアとクラヴィスはまだ寝ているらしい。
ユリアたちが起きるまで少し散歩することにして、私は窓から外へと飛び出した。
しっとりと足を濡らす朝露が、いよいよ秋が深まってきたことを告げていた。朝日に照らされたアルカナ山脈は燃えるような赤色に染まっている。下に炎の竜が眠っているというのも頷ける、神秘的な光景だった。
草原を走り回り、まだ寝ている哀れなコオロギ数匹で腹を満たした。足が喉に引っ掛かり、少し顔をしかめる。小川まで走り、水面に顔を映してみた。しかめたはずの顔は、ほぼ無表情。私はにっこり笑ってみたが、水面の私はなんだか眠そうな顔をしただけだった。
「……ここまで表情が変わっていなかったとは」
もう少し豊かな表情を心がければなるまい。
私はそう決意し、赤い家まで走って戻った。
窓から家に飛び込むと、二人はもう起きていた。窓から飛び込む私を見て、クラヴィスが驚いたように言う。
「おうネコ助、どこに行ってたんだい」
「散歩だ。それと、ネコ助ではなくノックスだ」
これで二回目だ。ユリアがニヤニヤしながらしゃがんで私に耳打ちした。
「いい名前じゃないか、ネコ助」
私は尻尾でユリアの顔を思い切りひっぱたいた。
「それで、だ」
クラヴィスの話に、私たちは耳を傾けた。
「化物への対抗手段と言っても、あいつらを殺すことは得策じゃない」
「なんでですか?」
「仲間を呼ぶからだ」
クラヴィスはこともなげに言う。私は昨日の化物がわらわらと集まってくる様を想像して、思わずぞっとした。
「あいつらは群れで行動する。一匹だけ出てくるのは、群れの斥候だ。もし斥候が俺に殺されれば、群れが俺を『敵』と認識し、俺に向かって襲いかかってくる。だから追い払う。追い払えば、斥候は群れに戻ってそれを群れに伝えるだろ。そうすれば、俺の存在は群れにとっては『敵』ではなく『避けるべきもの』になるのさ。群れのほうから離れていってくれるから、願ったり叶ったりだ。じゃあ、どうやって追い払うかーー」
クラヴィスはユリアの全身をじろじろ眺めた。
「お前のその体格では力が強いとは言い難いな。腕も足も細い。あの化物に力で打ち勝つなんてことは、一生かかっても無理だろう……だが!」
クラヴィスは芝居がかった仕草でニヤリと笑う。
「俺が教える技術に、力はあまり重要じゃない」
ユリアの顔が輝いた。ファルサとの闘いで自分の非力を思い知ったユリアだが、生まれついての体格もあって膂力に関しては諦めている部分もあったのだ。
「重要なのは、速さ、そして正確さーーおい、俺は昨日どうやってあの化物を投げ飛ばしたと思う」
「持ち上げて……ではないんですか」
「馬鹿野郎! あんな重いもん持ち上げられるわけないだろうが」
「でも……」
昨日の化物は、明らかに宙を舞っていた。
「あいつはな、自分で飛んだんだ」
私もユリアもぽかんとした。
「もっと正確に言うと、あいつを投げ飛ばしたのはあいつ自身の力だってことさ……おい、ちょっと外に出な」
クラヴィスは立ち上がり、扉を開けて外へ出た。
慌てて付いていくユリアに向かって、落ちていた木の枝を放る。それはちょうどユリアの剣ほどの太さと長さであった。
「それを剣だと思って、俺を斬ってみな」
「えっ、でも……」
「いいからやってみろ。俺の身体に当てられたら褒めてやるよ」
小馬鹿にしたようなクラヴィスの一言に、ユリアの顔付きが少し変わった。ユリアめ、あんなわかりやすい挑発に乗ってどうする。私は溜息を吐いた。
クラヴィスにまんまと乗せられたユリアは、素早く肉迫すると枝を横薙ぎにした。枝は剣より軽い。普段よりはるかに速いはずの斬撃だが、クラヴィスは余裕の表情で数歩下がってそれを躱す。続けて踏み込むと同時に枝を袈裟懸けに振り下ろそうとしたユリアの手に、クラヴィスの手がそっと重なる。軽く触れただけのように見えたが、ユリアの身体は空中で一回転して背中から地面に叩きつけられた。枝が手を離れて転がっていく。
ユリアは跳ね起きると、その勢いを利用して拳を叩きつける。普通の盗賊レベルなら確実に当たっていただろうその拳をふわりと避け、クラヴィスはその手を掴んで少し捻った。再び回転したユリアの身体が地面に落ちる。ただし、今度はうつ伏せだ。
ユリアは低い姿勢のまま半回転して蹴りを放つ。クラヴィスの足を狙ったその蹴りは鋭かったが、次の瞬間ユリアの足はクラヴィスの足によって絡め取られていた。クラヴィスの足に跳ね上げられ、ユリアが再び宙に浮く。今度はまた背中から落ち、手を使わずに投げられたと知ったユリアはさすがに反撃する気力を失ったようだった。
「わかったか?」
ユリアは悔しそうに首を振った。
「何が起こったのか全然わからねえ……気づいたらひっくり返ってる」
「ああ、そういう技だ。海の向こうの国に伝わる武術で、『合気』という」
クラヴィスはユリアの手をよっこらしょと引っ張って起こした。
「言っておくが、今お前を投げ飛ばしたとき、俺はほとんど力をいれていない。お前の踏み込む勢いに少し上乗せして、お前に返しただけだ」
指先で、空中をなぞる。
「力には、流れがある。まずはそれを知れ。剣同士の戦いってのは、お互いガンガンと剣をぶつけ合うだろう。悪いが、これは愚の骨頂だ。流れは断ち切られ、相手も自分も力を消耗するばかり、これでは長く戦えない」
ユリアは大きく頷いた。身に覚えがあるからだろう。
「では、斬撃を剣の腹で受け流す。これはどうだ。消耗するのは相手の力だけ。技術があれば相手の斬撃をすべて受け切って相手だけを疲れさせることができる……だが、これもいい戦い方とは言い難い。流れに身を任せているだけだからだ。いいか、剣にできるのはここまでだ。しかし、素手ならその先ができる」
クラヴィスは指先で円を描いた。
「相手の力を利用して、そのまま相手に返す。力の流れる向きを変えてやるんだ。そうすれば、相手の力が大きいほど、相手に強い攻撃ができる。もちろん、自分の力を上乗せすれば威力は二人分。さっきもそう、お前の踏み込む勢いや力を利用しただけだ。どうだ、素晴らしいだろう」
私とユリアは頷いた。そんなことが可能なのだろうかと思ったが、目の前で何度も見せられている以上信じないわけにはいかない。
「力に対して力で対抗するな。受け流す? いや、まだもったいない。円を描いて相手に返せ。そこに自分の力を上乗せしてな」
クラヴィスはにっと笑った。
「五日間で、それを身体に叩き込んでやる」
ユリアは深々と頭を下げた。
「お願いします!」
「ああ、それとーー」
クラヴィスは困ったようにこちらを見た。
「この技は人間用でな。悪いがネコ助には教えられないぜ」
私は頷いた。
「わかっている。それと、急で悪いが私は少々ここを離れることにした。五日目には戻ってくるから、それまでユリアをよろしく頼む」
ポカンとするクラヴィス。
「おい、そんなの聞いてないぞ。どこに何しに行くっていうんだ?」
問い詰めるユリアに向かって、私は宣言した。
「自分の記憶を、取り戻しに」
残念ながら合気道の経験がありません
空手と拳法ならあるんですが…




