三 赤い家の住人
男は街道を逸れて歩いていき、例の家の前で立ち止まった。
私とユリアは顔を見合わせた。どうやらあの家の住人らしい。
「おい、早くしろ」
男の声に、私たちは慌ててオルニットの背から飛び降りた。
「馬はこっちだ」
家の横に少し小さな納屋があり、男はそこを指し示していた。ユリアは手綱を納屋の柱に結びつける。さっきは助かったよ、と言ってユリアはオルニットの顔をちょっと撫でた。
「入りな」
男は扉を開け、家の中に入る。柔らかい光で満たされた家の中にあるのは、机と棚、ベッド、窓、壁に立てかけられた剣。質素な部屋だ。男は松明の火を消し、玄関に放り出す。
「さっきは危なかったな。ほれ、そこらへんに座れ」
男が床を指し示した。何かの毛皮が敷いてある。私とユリアは、素直に腰を下ろした。ユリアは背嚢の紐を肩から外し、隣に置く。
部屋と同じく質素な服、短く刈り込んだ髭と髪。三十過ぎだろうか。森で闘ったファルサのような巨漢ではないが、鍛え抜かれた身体からは威圧感のようなものが滲み出ている。男は棚から何かの瓶を取り出し、それを持って自身もどっかりと座り込む。男が瓶を開けると、酒の匂いが辺りに漂った。ぐびりと一口飲むと、男は口を拭って「で?」と言った。
「なんでこの季節に街道を通る? 危ないのは知ってるはずだろう」
ユリアが答える。
「王都に急ぎの用事があって……」
「それは、自分の命を捨てるほどの用事か?」
男はユリアを遮って強い口調で言った。
「この季節に旅をするなんざ、自殺志願者としか思えねえ。熟練の旅人や護衛士ならともかく、お前はそんな風には見えない。何歳だ」
「二十二歳」
ユリアは淀みなく答えた……はずだった。男はゆっくりと目を細めた。やがて瓶を置き、静かな口調で言う。
「いいか、俺は嘘を吐く奴が大っ嫌いだ。一回目だから許してやるが、二回目はないぞ。何歳だ」
穏やかな口調とは裏腹に、男からは刺すような怒気が伝わってくる。部屋の中の空気がピンと張り詰めた。
「……十八です」
ユリアの答えに、男は頷いた。
「いいか、嘘を吐くぐらいなら質問に答えなくていい。だから二度と俺の前で嘘を吐くな」
「はい」
ユリアが、萎縮している。男はそれを悟ったのか、歯を見せて笑った。
「すまねえな、別に怖がらせるつもりはなかった。でもよ、さっき俺はお前とそのネコ助を助けたんだぜ。自分で言うのもなんだが、恩人じゃねえか。命を助けてもらって平然と嘘吐くなんて、あまりにも恩知らずな仕打ちじゃねえか。違うかい?」
「……その通りです」
ユリアはますます縮こまった。今度は萎縮ではなく罪悪感だ。男はニヤリとして、ユリアの肩をぽんぽんと叩く。
「まっ、気にすんな。それだけの事情があるってことだろ? 遅くなったが、俺はクラヴィスという。で、お前の名前は?」
「ユリアです」
「どこの出身だ?」
「ラピス」
「ラピスってえと……最南端の村じゃねえか! よくここまで来られたな」
クラヴィスは驚いたように言う。酒瓶を持ち上げ、またぐびりと飲んだ。
「この季節に一人で、おっと失礼、一人と一匹でそれだけ旅ができるってのは大したもんだぜ。剣をぶら下げてるが、どれほどの腕だ?」
ユリアはやや逡巡したが、小さな声で答えた。
「森の盗賊団の頭より、少し弱いぐらいです」
「おいおい、それじゃ全然わからねえよ。まあいいや、ところで……なんでわざわざそんなネコ助を連れてきた?」
「こいつが来たいって言ったから」
「そのネコ助がか!? おいおい、冗談でも言ってんのか?」
私は観念した。ユリアは嘘がつけない。この男を信用するしかあるまい……命を救ってもらったことは事実なのだ。
「ああ、私が言った」
クラヴィスは酒瓶をぽとりと手から落とした。
「先程は危ないところを助けていただき、感謝する」
口をあんぐりと開け、まじまじと私の顔を眺める。
「今喋ったのはお前か、ネコ助?」
「ああ、私だ。それと、ネコ助ではなくノックスという」
クラヴィスはしばらく口をぱくぱくさせ、私とユリアを交互に見た。その光景に、ユリアが思わず笑う。先程の威圧感は影も形もない。
「こんな感じです。こいつは喋る猫で、盗賊ぐらいなら倒せるしいろいろなことを知ってる。こいつがいなければ、俺はここまで辿り着けませんでした」
「驚いたなあ……」
クラヴィスは額の汗を拭った。
「喋るネコ助なんて生まれて初めて見たぜ。不思議なこともあるもんだなあ! それで、何のために王都へ向かう? よっぽどのことがない限り、引き返した方が身のためだと思うが」
ユリアは言葉を選びつつ、柄にもなく慎重に答えた。嘘にならないよう気をつけているのだろう。
「王都の……ある人に手紙を届けないといけないんです。あと三週間以内で。間に合わなかったら、その人の命が危ないんです」
「うーむ」
男は髭を弄りながら唸った。
「人助けは立派なことだが……このまま行ってもたぶんお前らは王都に辿り着けないぜ。中央街道は、夜でもたまに化物が出る。お前らもさっきわかったと思うが、出会った時点でお終いだ。昼は盗賊も出るからなおのこと危ないしな。悪いこた言わねえ、今日は泊めてやるから明日引き返しな」
「じゃあ……」
ユリアが身を乗り出した。目が輝いている。
「俺に、あの化物の追い払い方を教えてください!」
「は?」
「さっき、あのでかい化物を投げ飛ばして追い払ってましたよね! 俺に、あのやり方を教えてください」
男は頭を掻きながら、困ったように言う。
「教えてやりたいのは山々なんだが、あいにく俺は五日後に仕事があってここを出なきゃいけなくてな」
「じゃあ五日間だけでいいです! クラヴィスさんが教えてくれなくても、俺たちは行きます。そして俺たちが化物にやられたら、クラヴィスさんもあまりいい気分はしないでしょう」
「おいおい、今度は脅迫か!」
クラヴィスは一瞬目を丸くしたあと呵呵と笑った。
「なかなか大物じゃねえか。いいぜ、五日間みっちり教えてやる。ただし!」
酒瓶を床に置き、クラヴィスは真剣な目でユリアを見た。
「五日間じゃ、普通は何もできやしない。素人なら、化物を追い払うまで強くなるには最低でも二年はかかるんだぜ。お前はある程度闘いの心得があるようだが、たぶん無理だ。もしかしたら間に合うかもしれんが……間に合わなかったら、引き返せ。この先に進むことは許さん。いいな」
ユリアは頷いた。
「約束は守ります。そして、引き返すつもりもありません」
「その意気だ」
クラヴィスはニヤッと笑って、立ち上がる。
「明日の朝から教え始める。今日はもう寝ろ。ベッドは貸せんが、どこで寝てもいい」
「はい!」
ユリアは背嚢から毛布を取り出し、その場に横になった。
クラヴィスが蝋燭を吹き消すと、部屋の中は闇に包まれた。やがて、ベッドから鼾が聞こえ始める。クラヴィスという男が何者なのかわからないが、少なくとも私たちに敵意を抱いてはいないようだ。味方と考えていいだろう。
それにしても、妙な成り行きになったものだ。私は大きく伸びをすると、目を閉じた。
昨日の真夜中のことが頭の中を駆け巡る。私はしばらく自分の正体について考えていたが、やがてゆっくりと意識が暗く沈んでいった。
浮かび上がる記憶ーー暗い、ぼやけた部屋。地下室だろうか、窓は存在しない。床に描いてある不思議な図形は呪印だろうか。少なくとも、魔法陣であることは間違いないようだ。机の上に置いてある、何に使うのかわからない道具の数々。生き物の標本や、何かの頭蓋骨。金属板や、水の入った盥。これは何だ。あれは何だ。私は自分の手のひらを見る。これは間違いなく私の手だ。では私は誰だ。何者だ。疑問が渦巻く。視界がぼやけたり明瞭になったりする。わからない。何もわからない。何もーー。
ファンタジーの王道、修行パートへ!
しっかり描けるように頑張ります




