一 存在理由
一人と一匹を乗せ、一頭はひたすら駆けて行く。
「知ってはいたが、馬というのは速いものだな!」
私はユリアに話しかけた。馬を御している最中のユリアは、振り向かずに答える。
「ああ、こいつは特に速い。大した馬だ。値切ったのが申し訳ないぐらいだな」
労うようにオルニットを軽く叩いてやると、嬉しそうに一声嘶いた。
馬上からの景色にほとんど変化はなく、両側には相変わらずの広い草原が続いている。変化といえば、遠くに見えている山脈が少しずつ近づいてきていることぐらいか。
石畳を駆ける、規則的な蹄の音が刻むリズム。
私も全力を出せばこの馬と同じ速さで走ることはできる。しかし、距離が段違いだ。この速さで長距離を走るような身体は持ち合わせていない。とはいえ、同じ四本足の動物として、背に乗せてもらうのはなんだか心苦しい。降りて走ることもできず、現時点ではただの荷物である私は居心地が悪くなって身体をもじもじさせた。
思えば私は村を出てから特に何もしていない。ユリアの旅に私は果たして必要だったのだろうかーーそんな思いが突然頭の中を駆け巡った。
ユリアの傷を癒す薬草を見つけた。他には? 他に私は何をした? 自分の記憶のことで精一杯の今の私は、完全に邪魔者でしかない。私は何のためにここにいるのだ。私の存在する価値とは何なのだ。オルニットのほうがよほど役に立っている、という思いを拭いきれず、私はどうしていいかわからなくなった。
「さっきの兵士が言ってたように、山の手前で一旦止まるぞ。夜になったら山に入る」
ユリアが相変わらず後ろを振り向かずに言う。私は返事をしなかった。ユリアはやや不思議そうな顔をしたものの、何も言わなかった。
しばらく黙って走り続け、三ドゥム(一時間半)ほど経過した頃。
「盗賊だ!」
ユリアが鋭い叫びを上げた。見れば、街道の前方に剣を持った人影が七つ。
「数が多い。お前はオルニットを守れ!」
ユリアはオルニットの手綱を素早く引いて速度を緩めると、剣を掴んで飛び降りた。すかさずオルニットの尻を思い切りひっぱたく。
驚いたオルニットはいきなり走り出し、私は危うく振り落とされるところだった。後ろを振り返ると、六人の盗賊がユリアに迫っている。一人が私とオルニットを追いかけ、追い付けぬと知るや否やこちらに向かって素早く矢を放ってきた。盗賊にとって、馬は貴重品だ。逃すくらいなら食料にしようと思ったのだろう。
甘い。
狙いはなかなかに正確だった。乗り手の不在に気づいて足を止めたオルニットに、空を裂いて数本の矢が迫り来る。しかし一本目の矢がオルニットの背に突き刺さる直前に、私は前足でその矢を払いのけた。矢自体に推力はなく、横に払えば軌道は逸らすことができる。
盗賊が持つ短弓は、長弓に比べて威力こそないものの連射ができる武器だ。威力がないのは私にとっても好都合なのである。二本目の矢は狙いが外れる。オルニットの頭めがけて飛んできた三本目の矢は、尻尾ではたき落した。
矢を三本放った盗賊はしばし愕然としていたが、それならばと幅広の剣を抜いて私とオルニットのほうに走り寄ってきた。私は飛び降り、盗賊を迎え撃つ。私も少しは役に立たなければ。
盗賊が振り下ろした剣を必要最小限の動きで躱す。おそらく盗賊には、私が剣をすり抜けたように見えたに違いない。剣は下の草花を数本潰して地面にめり込む。その一瞬で、私は盗賊の腕を伝って肩へと駆け上がっていた。その勢いを利用して、爪で首を横薙ぎにする。
「ユリアのようにはいかないか」
私は着地して、呟いた。
後ろで盗賊が首を押さえて地面に倒れ伏す。私の爪は、剣ほどではないがとても鋭い。頚動脈を掻き切られた盗賊は首から血を噴き上げながらしばらくもがいていたが、やがて静かになった。
私はオルニットの背に飛び乗り、ユリアのほうを眺める。六人のうち二人の盗賊が、すでに血の海に沈んでいた。
残る四人はユリアと距離をとり、剣を構えてユリアを睨みつけている。四対一ながらも攻めきれずにいるようだ。
やがて、ユリアが動いた。一人の男に向かって素早く距離を詰める。鋼と鋼が噛み合う音。幅広の剣は弾き飛ばされて地面に突き刺さり、ユリアの剣は男の首を切り裂く。その場に倒れこむ男には目もくれず、地面に刺さった剣を抜いてユリアは二刀流の構えをとった。三人になった男たちは距離をとりつつユリアを囲み、一斉に襲いかかってくる。ユリアは正面の男が振り下ろす剣を半身になって躱し、左斜め後ろの男に向けて片手で剣を思い切り投擲する。幅広の剣は男の顔面に突き刺さり、後頭部からその切っ先をのぞかせた。右斜め後ろの男が足を狙って放った低い斬撃は柄の部分を上から踏みつけて手ごと地面に縫い付け、そのまま男の顔面を蹴り砕く。正面の男がもう一度振り上げた剣は腕ごと切り飛ばし、翻った剣は全く勢いを緩めずに両手を失った男の首をも失わせた。顔を押さえて悶絶する男にとどめを刺すと、ユリアは剣についた血糊を盗賊の服で拭った。どうやら終わったようだ。
「終わったか」
私が叫ぶと、ユリアも叫び返した。
「終わった。戻ってこい」
私は少し困ったが、やってみることにした。手綱を口に咥えて、軽く引っ張る。オルニットがゆっくりと歩き出したので、私は楽しくなって手綱を右に引っ張ったり、左に引っ張ったりした。オルニットはやや迷惑そうな顔をしながらも、手綱に従って右を向いたり左を向いたりしてくれる。
「乗馬する猫か。いいね」
ユリアが私たちを眺めて言うので、「上手だろう」と私は鼻を鳴らした。
「無事だったか?」
「ああ、無傷だ。それよりもお前、蹴りを使ってたな。あいつから盗んだか?」
ユリアは嬉しそうな顔をした。
「見てたのか。両手が剣で塞がってても、空いてる足で攻撃できるってことをファルサが証明してくれたからな、やってみたらうまくいったんだ。それよりも」
ユリアは少し離れた場所に倒れ伏す盗賊の死体を眺めて言った。
「剣を持った盗賊をあっさり倒すなんて、お前もけっこう強いじゃないか」
私は素直に喜ぶ気になれなかった。
「ああ、でもお前なら私がいなくとも七人全員倒せただろう」
「まあな」
ユリアがあっさり首肯するので、私は少し落ち込んだ。
「まだ草原なのに、いきなり七人も出てきやがった。山に入ったら、盗賊がもっとうじゃうじゃ出てくるんだろうな。走るのは夜って教えてもらってなかったらさすがに危なかったかもな」
「馬というのは夜目が利くのか?」
私は聞いた。
「いや、全然」
ユリアの答えは簡潔で、私は何度目かの脱力感を覚えた。
「お前もオルニットも夜目が利かないというのに、どうやって夜道を走るつもりだったんだ!」
「お前がいるじゃないか」
ユリアはこともなげに言った。
「お前は夜でも目が見えるだろ? お前が見て、俺に教えてくれ。俺がその通りに手綱を動かすから」
私は虚を突かれてしばし黙った。
「なんだ、何黙ってるんだ? お前がいなきゃ夜道なんて走れないぜ」
言外に「お前は必要だ」と言ってくれている気がして、嬉しさが込み上げてくる。私は自分の顔が綻んでいるのに気づいた。
「ああ、そうだな」
さりげない返しの中の隠しきれなかった喜びに、ユリアは気付いただろうか。
きっと私は、不安だったのだ。ずっとユリアと共にいたため、オルニットという第三者の介入によって自分の居場所がなくなりはしないかと怯えていたのだ。私はそんなことでぐだぐだと悩んでいた自分を恥じた。
「なあユリア、」
私は遠慮がちに尋ねた。
「私を連れてきてよかったか?」
ユリアは驚いたように言った。
「何言ってんだ。お前がいなきゃここまで来られなかったぜ」
その口調はいつもと変わらない。本心からそう思っているのは明らかだった。私は、先程までの不安が嘘のように消えていくのを感じた。
「ありがとう」
小さい声でそう言うと、ユリアは「こっちの台詞だ」と照れたように笑った。
中央街道を抜けたあとのストーリーを全く考えていないんですが、まあなんとかなるでしょう……いや、なんとかします。




