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一人と一匹、夜を征く  作者: 水尾
第一章 ハルモニア王国南部
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十一 真夜中の約束

「おい、どういうことだ」

 ユリアは不思議そうな顔で問い詰めてきた。

「手紙を読みたいって言ったのはお前だろ」

「ああ……」

 一番驚き、戸惑っていたのは私自身だった。自分で言った「呪印」が何のことやら、自分でもさっぱりわからないのだから。

「なぜかはわからないが、私はどうやらあの赤い模様に見覚えがあるようだ。あれを見た瞬間、一刻も早くあれを封筒の中にしまい込まなければならないと思った」

「さっき呟いてたのは何だったんだ?」

 私は弱弱しく首を振った。

「わからない。……自分でも、わからない」

「自分でもわからないなら、俺にわかるはずがないな」

 ユリアはそう言うと、ベッドの上に飛び乗った。ややあって、呟くように言う。

「よくわからんが、昨日も薬草が頭に浮かんできたって言ってたな。それと同じような感じか?」

「ああ」

「じゃ、深く考えなくてもいいさ。お前が言うんならあれは見ちゃいけないものだったってことだ。違うか?」

「たぶん、そうだろうな」

「それなら俺たちは見ずに済んで助かったってことだ。よかったじゃないか。……おい、いつまで惚けた顔してるんだ? お前がやけに人間臭い猫なのは、もしかして前世が人間だったからじゃないか?」

 ユリアが笑いながら言った説に、私ははっとした。前世の記憶が残っているというのなら、この不自然な記憶に辻褄が合わないこともない。

「案外そうかもしれないな。そういうことにしておこう」

「なんにせよ、お前が思い出すことは何かしらの役に立ってるんだ。あまり思いつめるなよ」

 わかった、ありがとう、と答え、私は寝そべった。ユリアの優しさがありがたかった。

「じゃ、もう寝るか」

「うむ、そうしよう。おやすみ」

「おやすみ」

 ユリアが蝋燭の火を吹き消し、部屋は闇に包まれた。


 真夜中。

 ユリアの規則正しい寝息が聞こえる。どうやら完全に寝入っているようだ。

 私はそっと起き上がり、窓を少しだけ開いて外に飛び出した。隣家の屋根に着地し、そこから地面に降りる。右、右、左。私は覚えておいた道順を復唱すると、闇と松明の光が溶け合う夜の路地裏を走り出した。

 やがて、見覚えのある看板が目に入った。窓からは光が漏れている。一体何時から何時まで営業しているのだろうか。私は助走をつけて飛び上がると、呼び鈴を鳴らした。涼やかな音と共に扉がひとりでに開き、私は深呼吸を一つしてから店の中に入る。

「あら、ちゃんと来てくれたのね」

 女主人ミセリアは、カウンターの奥でにっこり笑って手を振った。

「どうぞどうぞ、その椅子に座ってちょうだい」

 私はミセリアの正面にある椅子に飛び乗る。カウンターを挟んで向かい合うと、ミセリアも店の奥から椅子を引っ張り出してきてそこに座った。

「来ないかと思ってたわ。さて、」

 店の中の空気が変わった。ミセリアは笑顔をかき消し、私を睨みつける。

「単刀直入に聞くけど、あなたはどういう目的でユリアちゃんに付きまとっているのかしら?」

 凍えるような声。

「すごく純粋な子だから、私、あの子のこと気に入ってるのよ。あなたがあの子に何かしようとしてるのなら、悪いけどこの店からあなたが外に出ることは永遠にない」

 私の口の中がカラカラに乾いていく。ミセリアは、本気だーーと私は思った。何かを誤解しているようだが、どうすればよいものか。私は、震える喉から言葉を紡ぎ出した。

「まず、私が聞きたい。私は、何者なんだ」

「えっ?」

「自分でも知らない記憶が、私の中に眠っている。それは何かのきっかけで急に浮かび上がってくるのだ。村を出てから二回、そういうことがあった。私は猫だ。ずっと猫として暮らしてきた。……人語を喋りながら、だが。しかし、私が突然思い出した知識は、明らかに猫が持ちうるそれとは遠くかけ離れている」

 ミセリアは、品定めするように私を見た。嘘か本当か探っているのだろうか。

「ユリアは、私の前世が人間だったのではないか、と言っていた。私にはそれが正しいのか間違っているのかわからない。あなたならわかるのか? わかるのであれば、教えてくれ」

 私は、ミセリアの目をじっと見つめた。その目には、思慮と戸惑いの色が浮かんでいる。何かを考えているのか、何かを躊躇っているのか。

「……あなた、以前に頭を強く打ったりした?」

「十年前に私が熊に襲われているところをユリアが助けてくれたと聞く。そのときに打ったかもしれない。私には、それ以前の記憶はない」

「なるほどねえ」

 ミセリアは複雑な面持ちで呟いた。

「あなた、魔法についての知識は?」

「魔法!?」

 思いもよらない方向に話が転がっていき、私はびっくりした。

「魔法というと、空を飛んだり人を豚に変えたりする、あの魔法か」

 わけもわからぬままそう答えると、ミセリアはくすりと笑った。

「……嘘を吐いているようには見えないわね。いいわ、信じましょう。ところで、ユリアちゃんとはどういう仲なの?」

 再びがらりと変わった話題に戸惑いながらも、私は正直に答えた。

「助けてもらって以来、ずっと一緒に暮らしてきた。以前は村の老夫婦が私たちの面倒を見てくれていたが、その二人が亡くなってからはずっと二人暮らしだ」

「へえ! ずいぶん長いのねえ!」

 ミセリアは驚く。ころころと表情を変える女性だ。

「初めて私の店に来てくれたときから、あの子のことが気に入っちゃったの。飾らないし、正直だし、とても純粋な子だと思わない?」

 私はしかめっ面で応じた。

「あれは純粋とか正直ではなく、単に何も考えていないと言うのだ」

 何が面白いのか、ミセリアは声を上げて笑った。

「そうとも言うわね」

 そう言って立ち上がる。

「わざわざ来てもらって悪かったわね。てっきりあなたがユリアちゃんに何か良からぬことをしようとしてると思ったものだから。もういいわよ、ちゃんと店からは出してあげるわ」

「……待ってくれ!」

 結局自分のことについて、何も手掛かりが得られていない。

「私は、自分が何者であるかを知りたいのだ。あなたは知っているのか?」

「……残念ながら、知らないわね」

 どこか含みのある口調だ。

「私の前世が人間だったというのは、正しいのか?」

 ミセリアは、やや逡巡してから答えた。

「違うわね。それ以上のことは私にはわからないわ、申し訳ないけど」

 そう言われると、食い下がれなかった。

「では、記憶というのは、いつかは戻るのか?」

「それはわからないわ。でも戻るとしたら、強い刺激でしょうね。感情の昂り、生命の危機、それから頭部への物理的な衝撃……あとはその記憶に関連した事物との接触」

 私は納得した。私の記憶に関連した事物との接触。だから昨日の薬草も先程の模様も、見た瞬間に思い出したのか。

「……最後に一つだけ教えてくれ」

「私に答えられることなら」

「呪印とは、何だ?」

 ミセリアは警戒心を露わにした。

「魔法を知らないあなたが、なぜ呪印を知っているのかしら」

「知らないから聞いているんだ。私が思い出すものは、細切れの記憶の欠片だ。先程、呪印という名称だけを思い出した。それが如何なるものなのかが知りたい」

 しばらくして、ミセリアは溜息を吐いた。

「まあ、それくらいならいいでしょう。呪印は魔法陣の一種。そして魔法陣は、魔法を使うための記号のようなものよ。使う魔法の種類によって、魔法陣の描き方も変わる。正しい魔法陣が描けないと、正しい魔法も使えないわ」

「……では、魔法というのは実際に存在するのか!」

「やりにくいわねえ」

 ミセリアは困ったように笑った。

「あなたの持ってる知識がちぐはぐすぎて、何をどこからどこまで話せばいいか混乱しちゃう」

「では、魔法について基本的なことを教えてくれ」

 私は必死だった。私の正体へと繋がる手掛かりかもしれないのだ。

「そうね、実は魔法には二種類あるのよ。物質に関する魔法が錬金術、生命に関する魔法が呪術と呼ばれていて、この二つをまとめて魔法と呼ぶわけ。さっき言った呪印は、呪術で使う記号よ。錬金術で使うのは術式と呼ばれている。魔法の研究をしている人は、それぞれ錬金術師、呪術師と呼ばれているわ。魔法使いという名称は本来、両方の研究をしている人を指すわね。……大抵はどちらかで手一杯、しかも一生かかったってどちらかを極めることすら難しいから、そんな酔狂な人めったにいないけれど。あ、もちろん表向きは普通の人間よ。誰だって、自分の家の隣にそんな怪しい人が住んでいる、と思うといい気はしないでしょう?」

 私は頷いた。ミセリアはゆっくりと続ける。

「だから、魔法使いたちーー正確には錬金術師と呪術師たちーーは一般の人々に混じって生活しているの。その存在をひた隠しにして。薬屋や宿屋、本屋に医者なんかが多いわね……人から怪しまれない、自然な職業に就いている。そうして地下に自分だけの研究室を持ってたりするわけよ」

「あなたも魔法使いなのか?」

 ミセリアは笑うだけで、答えようとしない。

「ほとんどの人は純粋な学術的興味と、使命感なんかで研究を続けているのよ。特に呪術師は、重病人の治療なんかを請け負ったりすることもあるわ。でも、中には金を貰って汚いことをするような不逞な輩もいるのよね。……目に見える証拠が残らないからなかなか捕まらないし、便利だもの」

 そう言って、ミセリアはにっこり笑った。

「もちろんそんな人はいつか自分の術で身を滅ぼす、って相場が決まっているけれど。……あらあら、一つだけ、って言ったのにたくさん教えちゃったわね。この辺でやめておきましょう」

 不服そうな顔をする私を宥めるように、「またいつかいらっしゃい」と言う。

「あなたが嘘を吐いていないことはわかったし、私に教えられることならいつでも教えるわ。それともう一つ……記憶が戻ったら、あなたはどうするの?」

「それは、戻るまでわからない。一つだけ言えるのは、私は記憶が戻ろうと戻るまいとずっとユリアと共にいるということだ」

 ミセリアは私の目を見つめた。

「その言葉、忘れないでね」

「約束しよう」

 私は、頭を下げた。

「いろいろと教えてくれて感謝する」

 そのまま椅子から飛び降り、出口に向かって歩く。背後から「ユリアちゃんによろしくね」と声がしたので、私は振り向かずに少し頷いてから店の外に出た。

 秋も深まり、夜は冷え込むようになってきている。外に出た私の肌を冷気が刺した。

(大きな進歩だが……まだわからないことが多すぎる)

 私は苦笑した。真夜中の密会は、想像以上の成果をもたらした。ミセリアの私に対する警戒心を消してくれたようだし、私の記憶が薬草や魔法に関係があるということもわかった。ということは、私の前世はミセリアの言う魔法使いだったということか。しかし「前世」という説は間違いだと先程言われたではないか。では一体……。

 どれだけ考えても、明らかに情報が足りない今の状態では無駄だろう。もっと知識が必要だ。

「魔法、か」

 声に出して呟いてみる。

 それはなんだか懐かしいような響きで私の耳をくすぐった。


 がらんとした店の中で、ミセリアは小さく呟いた。

「あなたの場合、その記憶は思い出さないほうがいいかもしれないわ。ねえ、ノックスちゃん……あなたの正体について、私の予想が外れていればいいのだけれど」

 誰もいない店内に、声が響く。

「もしもーーあなたが本当にそうだとしたら、獣使(けだものつか)いの呪術師さん、記憶が戻ってもあなたはユリアちゃんの側にいられるかしらーー」

文中に出てくるカタカナの単語は、基本的にラテン語です。

そろそろラテン語の辞書が欲しいですね…

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