九 雑貨屋の女主人
三日連続更新です。
たぶん四日目は無理です。
店内は狭く、調度品といえば壁の蝋燭とカウンターの前に三つ並んでいる椅子だけだ。
カウンターの向こう側には扉が一つ。その扉が開き、一人の女性が姿を現した。ゆったりした服を身に纏い、肩まである長い髪は綺麗な銀色だ。柔らかな蝋燭の灯りに照らされて優しそうな表情を浮かべている顔は、二十代前半のようにも四十代後半のようにも見える。要するに年齢不詳である。美しいが、どこか得体の知れないものを感じさせる女性だった。……どうやらこの女性がこの雑貨屋の主人らしい。
「ユリアちゃんじゃないの、久しぶりねえ! もう荷馬車の季節かしら?」
やや低めの、ハスキーな声。
「ちゃん、はやめてくれよ、ミセリアさん。今日は別件だ。護衛じゃない」
ユリアは照れくさそうに頭を掻いた。
「今日は可愛らしいお友達を連れてるのね」
「ああ、こいつはノックスだ」
「いい名前じゃない。よろしくね、ノックス」
女主人ミセリアはにっこり笑って私を見つめたが、やがてはっとした顔をした。カウンターから身を乗り出し、私の全身を探るように見つめる。微笑んだ表情はそのままに、目だけは笑わずに私を射抜いていた。私の全身から冷や汗が吹き出す。やがて顔を背け、しばらく不思議そうな顔をした後「ちょっと待ってて」と言い残し、彼女は店の奥の扉を開けてその中に入って行った。
「ノックス、お前気に入られたらしいな」
ユリアがニヤニヤしながら言うが、私は答える気にもならなかった。なんだ、今のは。
やがて戻ってきたミセリアは、黒縁の眼鏡をかけていた。縁の部分には何かの文字がびっしり刻み込まれている。その眼鏡をかけた状態で、今度は「なるほどねえ」と言いながら興味深げに私を見つめてきた。何がなるほどだ。先程のような威圧感はないものの、なんだか自分の身体の内側を覗き込まれているような気分になって、私は身をよじらせた。
「あらあら、ごめんなさいね。気分悪くなったかしら」
そう言って慌てて眼鏡を外し、カウンターの上にコトリと置く。それからミセリアは悪戯っぽい表情で、そっと囁いた。
「喋ってもいいわよ、ノックスちゃん」
「えっ……!」
これはユリアの声だ。私はといえば、驚きで固まってしまい声も出せなかった。ラピスを出てからは人前で喋らないように気をつけていた。喋ったのは人ごみの中にいるときか、二人きりのときだけだ。この女性は、どこかで私が喋るのを聞いていたのだろうか。いや、違う。私が人語を解し、それを話すことができるということを、先程の数分で見抜いたのだ。おそらくは、あの眼鏡を使って。私の全身から、再び冷や汗が吹き出した。
「な、なぜそれを……」
私が喘ぐように言うと、ミセリアは「あら、いい声してるじゃない」とウィンクした。
「別に取って食おうとしてるわけじゃないんだし、もう少しリラックスしてちょうだい。あなたの声を聞いてみたかっただけよ」
しれっとそう言うと、ユリアのほうに向き直る。
「さて、今日はどういう御用件でいらっしゃったのかしら?」
口をあんぐり開けていたユリアは、その一言で我に返った。
「そ、そうだった。地図はあるかな? ハルモニア王国全土の、詳しい地図」
「あるわよ。ちょっとお待ちなさい」
そう言って再び店の奥に消えていく。私とユリアは、奥の扉が閉まった瞬間お互いに顔を見合わせた。
「おいユリア、あれは一体何者だ」
「複数の雑貨屋を一人で営んでるらしい。不思議な人だ。それしか知らん。年齢も知らん」
「役に立たんやつだな」
ユリアは何か言い返そうとしたが、扉が開いたので慌てて口を閉じた。ミセリアは扉から出てくると、二枚の羊皮紙をカウンターにパサリと置く。
「はい、王国全体の地図よ。こっちはこうやって折って持ち運びしやすいし、こっちはちょっと嵩張るけど細かいところまで書き込んであるわ。どっちがいいかしら」
「細かいほうにしてくれ」
「はい。六ノルと五十フォンスね」
ユリアは十ノル紙幣を取り出し、カウンターに置いた。ミセリアはカウンターの下から三ノルと五十フォンス数えて取り出し、地図と共にユリアに握らせた。
「毎度あり。他には何か?」
「いや、地図だけでいい。……なあ、なんでノックスのこと、わかったんだ?」
ユリアが恐る恐る尋ねる。
「職業柄、鼻が利くのよ」
ミセリアはそれだけ言って、この先は答える気は無いとでも言いたげににっこり笑った。そして、私のほうを意味ありげにじっと見つめながら手を振った。
「また来てね、待ってるわ」
そして、ユリアには見えないようにして唇をそっと動かす。ま、よ、な、か、に。
何も見ていなかったユリアが地図を懐にしまいこみ、立ち上がった。
「ああ、また来るよ」
そうして私とユリアは扉をくぐり、暗い路地裏に出てしばらく立ち尽くした。
「……とりあえず、飯を食いに行こうか」
「そ、そうだな」
私たちは先程の衝撃から立ち直れず、しばらくふらふらと路地裏を歩き続けた。
「あの女主人ーーミセリアとか言ったかーーについて何を知っている?」
「さっきも言ったけど、あんまり知らん。護衛として初めてこの街に来たとき、先輩方がここに立ち寄ると言うから俺も付いていった、それが初めての出会いだ。どうやら人の顔と名前を覚えるのが得意らしくて、二回目に行ったとき名前を呼ばれて驚いたよ」
「ふむ」
「今までに四回、先輩と一緒にあの店に行った。俺だけで行くのはこれが初めてだ。あの人は出身とか年齢とか、聞かれたくないことを聞かれるとにっこり笑ってはぐらかすからな。詳しいことは何もわからないんだ」
「ふむ……」
私は上の空だった。店を出るときのミセリアの唇の動き……あれは明らかに私に向けて言っていた。おそらく私は今日の真夜中、彼女のもとへもう一度行かなければならない。それも一人で。私はミセリアの意図について考えながらぼんやりと歩き続けたため、石壁に三回ほど頭をぶつけてしまった。
「おいおい、さっきのことまだ気にしてるのか?」
「ああ……」
「心配すんなって。あの人は悪い人じゃない」
私はユリアの能天気さが羨ましかった。ミセリアが私に向けた視線を見ていないから、仕方のないことかもしれないが。「そうだな」と生返事をしたあと、私はなるべく考えまいとして頭をぶんぶん振った。
大通り沿いにある酒場《草原の狼亭》は、すでに人で混み合っていた。ユリアはなんとか壁際のテーブルに空きを見つけて座ると、バタバタと走り回っている店員の一人を捕まえて料理を注文する。
「肉野菜炒め大盛りとご飯、焼き魚、それから水を二杯」
「はいよ」
店員は注文を書き留めると、忙しそうに店の奥に消えていく。
ユリアは干し肉とパン以外のものを食べられることに喜んでいるらしい。既に先刻の出来事など頭から消え去っているだろう。そこがユリアの長所でもあるが、残念ながら私はそんなに単純にはできていない。私は不安な気持ちを落ち着けるため、仕方なくマタタビ酒の恩恵に預かることにした。
「ユリア、マタタビ酒を出してくれ」
「おっ、飲むのは初めてだな」
ユリアは背嚢をがさごそとかき回し、中から瓶を取り出した。蓋を開けて中身の匂いを嗅ぎ、うえっと顔をしかめる。その横で、漏れ出てくる香りに私は陶然となった。
「これがいい匂いだって?」
「うむ。この世のものとは思えないほど、な」
「これがか? 俺にはわかんねえや」
料理が運ばれてきた。湯気の立つ肉野菜炒め、大振りの茶碗によそった炊きたての玄米のご飯、それから皮がパリパリとして食欲をそそる焼き魚。
「あ、小さな平皿を一枚」
店員は店の奥に引っ込むと、すぐに持ってきてくれた。ユリアはそこにマタタビ酒をとくとくと注ぐと、私のほうへ滑らせた。私は前足でそれを受け止める。
「いろいろあったけど、まずはミネラに到着だ。ほれ、乾杯しよう」
「そうだな」
ユリアは水の入ったグラスを持ち上げ、私は平皿を軽く滑らせる。二つがぶつかり、カチン、という澄んだ音が響いた。
「無事を祝して、乾杯」
「乾杯」




