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自嘲、自重

 土砂降りの中の古びた喫茶店、その店内の角に位置する席に一人の男が居りました。それが小生であります。小生がそこに存在する理由は単純明快です。こんな雨の中、寂れた喫茶店に来る理由は一つしかありません。この喫茶店でアルバイトをやっている彼女、その一択に尽きます。

 現在の店内には都合の良いことに客が一人も居らず、彼女と二人きりです。彼女はその沈黙に耐えかね、その綺麗な黒の長髪を翻しながら小生に話しかけます。

 「今日は誰も来ないね」

 「そうだね。こんな大雨じゃ仕方ないよ」

 小生は平静を装って答えます。今にも心臓が胸部を切り裂いて主張しようとしているのに、小生はそれを悟らせたりはしないのです。それが小生には御似合いです。

 彼女はその白魚のような美しい手にペンを持ち、反対の手で伝票を取り出しました。察してメニューを開きます。しかしながら、小生が頼むのはこの二品と決まっています。

 「紅茶と目玉トーストで」

 「ご注文承ります。いつもそれだね?」

 彼女は冗談めかした笑顔を浮かべながら言います。当然です。貴方が唯一手作りするこの二品を、小生が注文しない道理がありましょうか。それを微塵も表に出さず、愛想笑いを彼女に向って浮かべました。彼女が小生の想いを知る必要はありません。その透き通るような黒い瞳に、一点でも曇りを与えてはいけないのです。

 彼女は私の注文を聞いてカウンタへと向います。ポットに茶葉を入れ、予め沸かしてあった熱湯を注いだかと思うと、手にもって数回ゆっくりと上下に振ります。彼女曰く、それが美味しさの秘訣なのだとか。そのまま洒落たカップに注ぎ、こちらへと持ってきます。どうやら目玉トーストは作り置きしていたようで、お盆には二品が載せられています。彼女が甲斐甲斐しく作る様を眺めるのも中々有意義なのですが、叶わぬのなら仕方ありません。

 彼女は規範に則った接客態度で小生のテーブルに注文品を並べると、向かいの席へと座ってしまいました。いくら来客が無いとは言え、それは如何なものでしょう? しかし、小生からしてみれば棚から落ちてきたぼた餅です。下手に咎める必要もないでしょう。

 「そういえばこの前のテストはどうだった?」

 彼女はそう小生に問いました。両頬に手を添えながら肘を着くその仕草はまた愛らしい。その愛らしさながらも的確な部分を突いて来る御人です。さすがに小生のことを良く解ってらっしゃいます。

 「あまり良くなかったよ」

 淡々と答えます。自身の恥など、彼女には知られたくないのです。それを聞くと彼女は芳しくない表情を浮かべます。そんな表情をなさらないでください。貴方にそんな表情をされると、小生は悲嘆してしまうの他無いのです。彼女はしばらく窓の外を眺めたかと思うと、何か思いついたようで頬に添えていた手を離しました。

 「そうだ、じゃあお姉さんが今度勉強を教えてあげよう」

 「え、本当に?」

 「うん、約束だよ?」

 どうやら予想以上のぼた餅が棚から落ちてきたようです。我が家では彼女と二人きりになれる数少ないシチュエーション、後に細かい計画でも立てるとしましょう。

 その後も他愛も無いことを話す彼女。学校のこと、家庭のこと、他ならぬ小生のこと。激しい雨の音をすり抜けるように、彼女の鈴の音のような美しい声が小生に届きます。小生は、彼女の楽しそうに話す様子を見ると胸を締め付けられます。


 嗚呼、何故貴方は血の繋がった姉なのでしょう。


 小生はきっと狂っているに違いありません。物心あるときから貴方に恋焦がれているのですから。小生は貴方にそれを打ち明けたことはありません。きっと貴方は小生の想いを受け入れたりはしないでしょう。それに貴方は傷付きます。純粋な心を持った貴方は、想いを拒否した時に自分を責めるのでしょう。だから小生は言いません。何も伝えません。

 でも時折あるのです。貴方の幸せをぶち壊してしまいそうになる時が。知っています、貴方に好いている男性が居ることも。知っていますとも、その男性が貴方にピッタリの熱血漢であることも。でもそれが堪らなく嫌になることもあるのです。引き裂いて、蹂躙して、略奪したくなるのです。

 小生は汚物です。実の姉にそんな感情を抱くなどあってはならないのです。社会不適合者です。小生という自称が御似合いなのです。それでもなお如何し様も無いのです。この劣情だけは何をしても消え失せないのです。

 小生はきっとこんな笑顔を貴方に見せ続けるのでしょう。例え貴方が誰かと交際を始めても、結婚しても、子どもが生まれたとしても、小生はこのみっともない笑顔を見せ続けるに違いないのです。今日もまた、貴方の話に相槌を打ちながら、可笑しくもないのに愛想笑いを浮かべます。

 

 ごめんな、姉さん。

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