3 帰宅
沙希が自宅に帰り着いたのは午後五時半を回った頃。
夕飯の買い物を片手にぶら下げて玄関の鍵を開ける。まだ誰も帰っていないその屋内は静かで、少し寂しい。
けれど、それはもう慣れっこだ。
沙希の父親は、沙希が四歳の時不慮の事故でこの世を去った。
実家からそう遠くない場所にマイホームを手に入れて、これから幸せな家庭を築いていこうとしていた矢先だった。
それからはずっと母とふたりっきり。
父の実家に来ないかとも誘われたが、母は「ここはあの人が願いを込めて建てた家だから」とこの場所を離れなかった。
再婚もすることなく、あれからもう二十年に近い年月が流れている。
「……ただいま」
誰もいない家の玄関に飾られた家族写真。小さな沙希の頭に手を置いた父親に帰宅の挨拶をした。
そのあと向かったのは台所。
冷蔵庫の前に立って、買い物してきた中身を確認する。
牛肉とタマネギと卵。
「久しぶりに牛丼食べたくなっちゃったんだよね~」
朝、母がしていたエプロンが椅子の背もたれに掛けてあって、沙希はそれを着けて袖を捲る。
すると。
ぴんぽーん。
玄関のチャイムが鳴った。
「え?」
母親は、チャイムを鳴らしたりはせずにそのまま帰ってくるから彼女ではない。
「……誰だろう」
呟いてインターホンに声をかける。
「はい。どなたですか?」
「あ。沙希ちゃん」
聞こえてきたのは年のいった女性の声だった。
聞き覚えがある。
「……おばあちゃん?」
父方の祖母だ。
「沙希。わしもいるぞ」
祖父の声もする。
距離にして二キロと離れていない場所にある彼らがこの家を尋ねてくるのは決して珍しいことではないのだが。
なにやら奇妙な違和感を覚えて沙希は首をかしげた。
「あ、今開けるから」
とりあえずそう言って玄関へ向かい、戸を開ける。
白髪交じりの高年者夫婦が仲良くそこに立っていた。
「なに? どうしたの急に」
連絡もなしに急に尋ねてくるのは珍しい。
「あら。翔子さんに聞いてないの?」
「……え。何が?」
母の名前を出されても、沙希には何がなにやらわからない。
「あらやだ。翔子さんったら。こんな大事なこと沙希ちゃんに言ってないなんて」
「おばあちゃん?」
どこか深刻そうな祖母の物言いに、沙希は今朝の母の言葉を思い出した。
病院。
心配するようなことではないと言っていたが、母親は辛いことも笑顔で乗り越えてしまうような人間だ。
沙希の脳裏にまさか、という不安が過ぎる。
だが、そんな沙希の様子など気にもとめていない様子で祖母は夕飯のことを尋ねてきた。
「沙希ちゃん。ご飯は?」
「え。ああ。今から作ろうと思ってたんだけど」
「そう。何を作るの?」
「……牛丼」
言うと、祖母はなにやら考え込み。
「そう。じゃあ。わたしも手伝いましょうね」
と笑った。
「わしは?」
祖父が手持ちぶさただと言わんばかりに祖母を見る。
「じゃああなたは、人数分の器でも用意しておいてくださいな」
「うむ」
こうして、首を傾げる沙希は理由も知らないまま五人分の牛丼を作ることになった。