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 鋭い犬の悲鳴。そして銃声。ここは何処だろう? レイはゆっくりと目を開けた。身体中が痛かったが力を振り絞って上半身を起こした。車の外では見知らぬ男が大きな犬に何度も銃を撃っている。何て酷いことをするんだろう。それに……ああ、喉が渇いた。震える身体を起こしてドアを開け、掴まりながら何とか立ち上がったとき、男が犬を撃つのを止めてレイの方を見た。あれは……あの男は。レイは車を離れた。だが、足元がふらついて上手く歩けない。

「おやおや、病み上がりの身体に夜露は毒だってママに聞かなかったか? レイ」

「……どうして俺の名を知ってるんだ」

「はは! お前は自分の首に二十五万ドルの値がついてるのを知らないようだな。馬鹿な奴め」

 二十五万だって? いつの間に五万ドル増えたんだ?

 男が銃を構える。次の瞬間、二発の弾がレイの両膝の骨を正確に撃ち砕いた。銃弾の雨が胸に降り注ぎ、レイはのけぞるようにしてその場に倒れた。

 男は甲高い笑い声を上げながら近付いてきた。レイは目を瞑り、苦しそうに息をしている。

「今度は前以上に可愛がってやる。覚悟しな!」

 その時、重くたれ込めた雲の隙間から煌々と輝く月が姿を現した。レイの身体の奥に眠っていたヴァンパイアの力が目を覚ます。冗談じゃない。こんな変態野郎に二度とやられるものか! 

 男が跪き、片手でレイの腕を抑えながら銃を懐にしまいポケットに手を入れた瞬間、レイは素早く身を起こし、男に飛び掛った。男の手から落ちた注射器が割れる軽い音は叫び声にかき消された。

 


 フィルは銃弾を撃ち込まれるたびに激しく鳴いた。痛い。あまりの痛みに何も考えることが出来ない。吹き出す血で身体中が濡れている。気が遠くなりそうになったとき男が急に攻撃を止めた。フィルは怖さと痛さに固く目を瞑り、じっとしていた。

 男の声、別の誰かの声。銃声。そして……悲鳴。

 フィルは力なく首を持ち上げて車のほうを見た。男の影の後ろにもう一人の影が重なって見える。蒼い月の光に照らされて浮かび上がったのは男に覆いかぶさるようにして血を啜る長い金髪の青年だった。あれはレイだ。よかった。そう思った途端、フィルは何も分からなくなった。


 

 俺が戻ってきた時、すでに全ては終わっていた。レザーコートから食らった弾の痛みが足の動きを鈍らせ、車に着くまで酷く時間が掛かってしまった。

 レイは裸足で、絹のパジャマを朱に染めながらフィルを抱え上げて車に運ぼうとしていた。

「ああ、デビィ。この犬、凄い怪我をしているんだ。動物病院に連れていこう」

「そいつはフィルだよ、レイ。奴には変身能力が備わったようなんだ」

 レイは驚いて犬の顔を見た。

「フィルか! ああ、懐かしいな。でもちょっと見ないうちにずいぶん毛深くなったな」

 だから、犬になってるんだって。

「まあ、冗談はさておき、いったい何が起こったのか説明してくれよ。俺達、揃いも揃ってボニーとクライドみたいじゃないか」

 よかった。いつものレイが戻ってきたんだ。ほっとした途端に涙がでそうになるのをじっと堪えた。

「さあ、とにかく帰ろう、レイ。こんなところに長居は無用だ。運転は俺がするよ」


 

 イブの前日。午後七時半。

「よかったな。レイ。すっかりよくなったじゃないか」

 開店前のその時間に、レイは黒いセーターにジーンズという服装で、『ブルー・ムーン』のカウンターにいた。

 マスターは背後の棚にある色とりどりの酒瓶を手に取ってはまっ白な布で丁寧に拭いている。

「ありがとうございます。今日は突然お邪魔してすみません。本当は明日まで休むつもりだったんですけれど、突然休んでしまったお詫びをと思いまして。本当にすみませんでした」

「いや、お前が悪いんじゃない。気にするな。まったく、ハンター共は何処にでもいるんだな。これからは気をつけろよ」

 レイは少し微笑んでマスターの顔をちらりと見た。

「ええ、いつも気をつけてはいるんですが……」

「快気祝いに今日は取って置きのものをプレゼントするよ。ちょっと後ろを向いててくれないか」

「ええ、いいですよ」

 マスターはワインのコルクを抜き、ガーネット色の液体をゆっくりとワイングラスに注ぎこむ。そして……。

「1970年物のシャトー・ラトゥールだ。全快おめでとう」

 振り向いたレイの前にグラスを置き、マスターはライオンと塔のラベルの貼られた瓶を見せた。

 レイはグラスを取り上げ、香りを嗅いだ。

「さすがにいい香りですね。それじゃ、遠慮なく」

 レイがワインを飲み干すのを、マスターは無表情に眺めていた。そうだ。飲め。飲んでしまえ。

 レイはグラスを置いた途端、表情を強張らせた。

「マスター……まさ……か」

 レイは信じられないというようにマスターを見詰め、首を押さえながらスツールから転げ落ちた。

 マスターはカウンターを出て、苦しそうに呻くレイの傍に近付いた。

「気の毒だったな、レイ。あんまり簡単に人を信用するものじゃないぜ。シャトー・ラトゥールはせめてもの餞だ。ただし『ヴァンプ・キラー入り』だがね。この薬は飲ませても効くんだよ」

 レイは敵意の篭った目でマスターを睨みつけていたが何も言わなかった。

「さてと、どのハンターに連絡しようか。せめて十万はもらわないとな」

 マスターはカウンターの中に戻ると携帯を取り上げた。レイが助かり、あのハンターがいなくなったと聞いた時、マスターは『ヴァンプ・キラー』を手に入れた。ハンターに全て任せるより、自分で倒した方が報酬は多くもらえる。

 ハンターの名が書かれた手帳を捲りながら、マスターは鼻歌を歌った。ジングルベル、ジングルベル……。今年はいいクリスマスになりそうだ。


「ご機嫌だな。マスター」

 背中から突然聞えた声に、マスターは身体を強張らせた。どうして……ワインは確かに飲ませたのに。

「デビィから研究所内での一部始終を聞いたとき、俺は何か心に引っ掛かるものを感じていたんだ。あのハンターのことでね」

 声はゆっくりと近付いてくる。マスターの全身がガタガタと震え始めた。

「奴は俺の名を知ってた。賞金のことも。でもそれは俺を襲ったあとで調べた可能性もある。暗い夜道で出会って間違いなく俺だとは判断できないだろう。だが奴はデビィのことをヴァンパイアだと思っていた。あの状況ではそう思うのが普通だ。でも、俺が襲われたあの夜、奴は擦れ違いざまに注射を打ってきたんだ。どうしてだろう? 奴はヴァンパイアを嗅ぎ分ける力は持っていない。だとしたら、襲う前から俺がヴァンパイアだと分かっていたに違いない」

 声は背中のすぐ後ろまで来ている。マスターは恐怖で何も考えられなくなった。

「俺はいつも朝の六時にこの店を出る。あの日はたまたま早く帰ったのに奴は俺を待ち伏せていた。ということは、マスター、あんたが奴に密告したってことだ」 

 マスターはゆっくりとレイの方に向き直った。

「今日は来る前にフィルに解毒剤を打ってもらったのさ。こんなこともあろうかと思ってね。マスター、俺はあんたを信じていたかったよ。残念だ」

「ゆ、許してくれ。つい出来心で……なあ、だから」

 そう言った途端、マスターは後ろにあったワインの瓶でレイに殴りかかった。

 レイはマスターの振り下ろした腕を掴むとそのまま一気に身体を引き寄せ、首筋に白く長い牙を突き立てた。



「かんぱ~い!」

 イブの夜。熱々の七面鳥のローストを前にして、俺達は祝杯を挙げた。

「おい、何でもいいけど飲みすぎるなよ。また犬ころになったら困るからな」

「え、ええと、犬じゃなくて……その~あれは狼のつもりだったんですが」

「ええ? あれが狼? どう見たって犬ころだったぞ」

 それも思い切り弱そうな犬だった。

 フィルはものすごく悲しそうな顔をした。

「いや、心配すんな。まだ修行が足りないだけだ。そのうち狼にだってカバにだってなれるさ」

「あは、そうですね。あはは……」

 もうこうなったら浴びるほど酒を飲んでやる。レイはいない。奴はデートだとかほざいてまっ白なスーツを着込んで赤い薔薇の花束を抱え、鏡の前で散々自分の姿に見とれていたから、俺は外へ蹴り出してやったんだ。まったく、散々人に心配かけたくせに治った途端にけろっとしてやがる。

 あの日、俺は気絶しているカーミラを拾い、裸で傷だらけのフィル(犬のまま)を毛布に包んで寝かせ、レイを助手席に乗せて銃で撃たれた傷の痛みに堪えながらチェロキーを運転して帰ってきた。レイが完全に回復するとフィルは一旦自分のアパートに帰ったが、毒薬と解毒剤を旅行から帰ってきたクロード先生に渡し、また俺達のアパートに戻ってきた。そして未だに居座っている。年が明けたら帰るつもりらしい。余談だが酒を飲むと変身出来ることには最近になって気が付いたんだそうだ。

 エルザのその後のことだが、ニュースで聞いた話では研究所に賊が押し入り、たまたま資料を取りに来ていた研究員のエルザを撃ち殺そうして、逆に撃たれて死亡したとのことだ。エルザは銃撃の際、自分の銃とダンボールに入った『ヴァンプ・キラー』で応戦し、瓶を全て割ってしまった。彼女は頭がいい。恐らく正当防衛で罪にはならないだろう。レザーコートの死体は俺達が帰る途中で森の中に捨ててきた。

 イブを過ごす彼女がいない俺達はマーケットで食い物をしこたま買い込んでパーティを始めたってわけだ。

『うんめえなあ~。このしちめんちょ~』

 カーミラはご機嫌で七面鳥の切れ端を齧り、ワイングラスに頭を突っ込んだ。

 ホラー映画上映会(上映作品は「悪魔のいけにえ」とか、「死霊のしたたり」とか、素晴らしくご機嫌なやつだ)をしながらワインのボトルを三本ほど空にした頃、いきなりドアが開いた。レイがぼーっとした顔でふらふらと部屋に入ってきてソファに座り込むのを俺達は呆然として見ていた。

「レイ。デートはどうしたんだよ? ひょっとしてジェシカちゃんに振られたか?」

 レイは一瞬、俺を睨みつけたが、顔を真っ赤にして下を向いてしまった。よく見ると服はよれよれだし、スラックスの裾からシャツがはみ出している。

「振られちゃいないさ。ジェシカの料理は美味かったし、プレゼントだって喜んでくれた。上手くいってたんだよ。途中までは」

「じゃあ、問題ないじゃないか」

「食事の後に俺は先にシャワーを浴びてバスタオルを巻いてベッドまで行ったんだ。そうしたらロザリーの顔が浮かんできた。……やっぱり駄目だった。彼女が忘れられない。俺はシャワーから出てきたジェシカに正直に話して謝った」

「酷い男だなあ、お前」

「そうだな。確かに弁解のしようがない。だけど問題はそれからだ。ジェシカはそんなこと構わない。あたしに抱かれれば彼女のことなんか忘れさせてあげるって、いきなり俺をベッドに押し倒してバスローブを脱いだんだ。そしたら……」

「そしたら?」

「胸がぺしゃんこだった。それに……」

「それに?」

「……余計なものがついてたんだ」

「……やられたのか?」

「やられてない! そのまま服を持って逃げてきた」

「ぶっ……ぶわははははは~!」

 俺は思わず噴き出してしまった。まったくこいつも本当に女運がないやつだ。フィルは今にも爆発しそうに唇を震わせている。

 レイはこめかみをぴくぴくさせながら立ち上がるとテーブルにあった開けたばかりの赤ワインのボトルを一気に飲み干した。

「おい、デビィ! ワインもっと寄越せ!」

『かんとれ~ろ~。たいくめ~ほ~♪』(注1)

 それから一晩中、男三人(と美人の蝙蝠一羽)の惨めな自棄酒パーティが続いたのは言うまでもない。

<END>

(注1・カーミラに言わせれば「カントリー・ロード」らしい

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