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「お前、何をしているんだ!」
女はぎくりとしてこちらを見た。
「あんた達、誰なの? ……分かったわ。『ヴァンプ・キラー』を盗みに来たハンターね! もうあんた達には渡さないわ!」
女は傍にあったテーブルに手を伸ばし、小さな銃を取り、両手で握るとこちらに銃口を向けた。
俺はゆっくりと両手をあげた。フィルも同じように手を上げる。
「来ないで! 出て行きなさい。さもないと撃つわよ! あんた達みたいにヴァンパイアを殺してばかりいる奴らは大嫌いなの」
「僕達はハンターじゃありません。仲間がその毒にやられました。今、彼は死にかけているんです」
女はすっと眉を顰めた。
「それじゃあ、あんた達はヴァンパイア?」
「そうだ。俺は違うけれどね。あんたには何もしない。約束するよ。だから解毒剤を渡して欲しい。お願いだ。一刻を争うんだ」
俺達は女にゆっくりと近付いていく。彼女は銃口をこちらに向けたまま叫んだ。
「来ないでって言ったでしょう! ヴァンパイアだっていうのなら証拠を見せて!」
俺達は女の5フィートほど手前で立ち止まった。
「分かりました。証拠をお見せしましょう」
フィルはジャケットに手を突っ込むと小さな折りたたみ式のナイフを取り出し、左の掌を女に見せながら、すっと鋭い刃を走らせた。傷口から滴り落ちる血に彼は少し顔を顰める。数分後、傷口は完全に塞がった。
「そのナイフを見せて」
女は仕掛けがないかどうかナイフの刃を良く調べてからフィルに返した。
「分かった。信用するわ」
床には割れたガラスと毒薬が散乱している。女は俺達を見詰めながらゆっくりと銃を下ろした。そして、そのままダンボール箱の上に腰掛け、ふうっと溜息をついた。
「で、あんたは何故そんなことをしてるんだ?」
「そうね。何故なのかしら。分かっているのよ、こんなことしても無駄だってこと。でも、私は父が許せないの」
「お父さん、ですか?」
「ええ。この毒薬を作ったのは父。ジョン・J・カートライト。ここの所長であり、ポール・J・K・ファーマーの社長の息子よ。私の名はエルザ。あなた達は? ヴァンパイアさん」
「僕はフィル。彼はデビィです」
「そう。お仲間がやられたってことはもう使われてるのね」
エルザはきゅっと唇を噛み締めた。よく見るとちょっと癖のあるショートヘアがよく似合ってるし、メグ・ライアン似の可愛い娘だ。
「私はこの研究所で働いているの。父のことは尊敬してたわ。人々を救うために新薬を開発して販売する素晴らしい人だと思っていたの。でも一ヶ月くらい前に見たのよ。父が十三歳くらいの男の子を実験室に連れ込むのを」
エルザはフィルの顔を見ながら続ける。
「その後、実験室の前を通りかかったら中から悲鳴が聞えたわ。私が入ってみたら、父は鞭で何度も男の子を打っていた。その子が動かなくなると、父は腕に注射をしたの。そして、実験室の奥にある檻に放り込んだのよ。私が何度も止めてっていったのに。可愛そうに、その子は苦しそうに身体を痙攣させていたわ。身体中に刺し傷や切り傷があった。翌日にはもう死んでいたわ。それから何度も父はヴァンパイアを連れてきては殺していたのよ。父は数人のハンターに実験体としてヴァンパイアを捕らえさせ、代わりに『ヴァンプ・キラー』を渡していたの」
「ああ、そういうことだったんですね。それで、あなたはヴァンパイアを敵だとは思っていないのですか?」
「……私にはヴァンパイアの友人がいたわ。アリスと言って、小さな古本屋に勤めていた。彼女とはよく話をしたわ。フランス文学やイギリス文学に造詣が深い彼女の話はとても楽しかった。ある日私がヴァンパイアに同情しているという話をしたら、自分もそうだって打ち明けてくれたの。何の疑いもせずにね。父の実験を知った時に、私は彼女に町を離れて遠くへ行くように言ったわ。でも、彼女、古本屋の仕事が好きだからって――」
アリスが捕まったことを話す彼女の頬を一筋の涙が伝う。
「――昨日の朝、気がついたときには家のベッドに寝かされていた。研究所にはもう彼女の姿はなかったの。その時、思ったのよ。父の邪魔をしてやろう、とりあえず、ここにある『ヴァンプ・キラー』を全て破棄してやろうって」
エルザは立ち上がり、銃を置くと、奥にある棚の上から小型のダンボール箱を取り出して持ってきた。
「これが解毒剤よ。このまま持っていけばいいわ。アンプル一個分が使用量。注射器とそれから」
エルザは今まで座っていた箱に手を伸ばす。『ヴァンプ・キラー』を一瓶取って、注射器と一緒に『ヴァンプ・キラー用解毒剤』と書かれたダンボール箱の中に入れた。
「必要でしょう? 分析すれば成分が分かるわ。というより、ぜひそうして欲しいのよ」
「さすがは研究員ですね。大丈夫。僕は医者の卵ですから」
フィルはふっと笑顔を見せて箱を受け取り、手を差し出した。エルザはそっと彼の手を取って握手した。
「本当にありがとう。感謝するよ」
「いいのよ。早く行って、お友達を助けてあげて」
「君は?」
「とりあえず、作業を続けるわ」
「でも、そんなことをしても……」
「ええ、分かってるわ。製法はもう工場に持っていってしまってるし、無駄だということは。でも、せめてここにある分だけでも破棄してしまいたいのよ」
「君は素晴らしいね」
「そう? あなた達もよ。お友達が羨ましいわ。じゃ」
エルザは右手をちょっと上げて微笑んだ。
フィルと俺が部屋から出て行こうとしたとき、ドアの外から別の足音が聞えてきた。
「おや? お前たちは何をしているんだ? そこの兄ちゃんは見覚えがあるぞ。この間は恥をかかせてくれたな。……ははあ、ひょっとして解毒剤を取りにきたのか? 汚らわしいヴァンプ共」
ドアから入ってきた黒いレザーコートの男を見て俺は唸った。そいつはレイを襲った男だったからだ。男の後ろには体格はいいが頭の悪そうなスキンヘッドの黒い革ジャンの男が一人、薄笑いを浮かべて立っている。
レザーコートは懐からでかい銃を取り出してこちらに向けた。エルザは男達を睨み、銃を取ろうとテーブルに手を伸ばす。だが、レザーコートが撃った弾が彼女の銃を遠くへ弾き飛ばした。
「抵抗しても無駄だよ。姉ちゃん。まあ、殺したくはねえが見られちゃ仕方ねえな。死んでもらおうか」
フィルは蒼ざめ、微かに身体を震わせながら、ジャケットのポケットから何かを取り出そうとしている。こいつ、いったい何をしているんだ! レザーコートがその動きに気付き、フィルに銃口を向けた。やばい。
「フィル! エルザ! 伏せろ!」
俺はレザーコートの前に立ち塞がったが、奴はすかさず銃を撃ってきた。その時、俺の脇を大きな茶色い犬が何かを咥えたまま凄いスピードで走り抜け、外へ出て行った。銃口が火を噴く。命中した数発の弾が肉を削りながら身体の奥に潜り込んでくる。激しい痛みに俺は思わず身体を折り曲げる。焼けるような痛みをどうにかやり過ごして無理やり足を動かし、レザーコートに襲い掛かろうとした俺の顔をスキンヘッドの拳が直撃した。俺は堪らずその場に倒れてしまった。
「おい、ボブ! 俺はあの犬の後を追うから、こいつに杭を打っておけ!」
レザーコートが叫ぶ。あの犬はフィルに違いない。急げ、フィル! スキンヘッドが俺の上に跨って革ジャンの懐から銃を取り出し、歯をむき出してニヤニヤしながら俺の額にぴたりと押し当てた。嫌なツラだ。
「どうだ? 一発撃てば数分の間、お前は動けなくなる。その間に俺が杭を打ち込んでやる。ぐさり、とな」
なんだって? 冗談じゃない。俺はこの弾だけで死んでしまうんだ。畜生。もう、どうにもならないのか……。
次の瞬間。
俺の人生に終わりを告げるように銃声が鳴り響いた。
いや……いや、まてよ。撃たれたのは俺じゃない。
俺の額から銃口が離れた。
スキンヘッドが右腕を押さえて唸っている。力の抜けた腕から、ごとり、と銃が落ちた。右腕の上腕筋に綺麗に穴が開いている。
続いて数度の銃声。
銃弾は右の脇腹に数発命中し、スキンヘッドは叫び声と共にその場に崩れ落ちた。
エルザだ。彼女は銃を構えたまま、俺に目配せした。
俺は歯を食いしばって起き上がると、銃を拾い、倒れたスキンヘッドの額に銃口を押し付けてやった。
「た、助けてくれ……お願いだ」
急に弱気になって命乞いをする男の情けない顔に無性に腹が立った。
「もし俺がそう言ったらお前は何と答えた?」
ゆっくりと引き金を引く。
ずん! と銃声が床に響いた。男が完全に死んだのを確認すると俺はエルザに向き直った。
「ありがとう、エルザ。助かったよ」
「まぐれ当たりよ。さあ、後始末は私がするから早く行って」
「すまなかったな」
「いいのよ」
エルザはまたダンボール箱の上に座り込んだ。突然の出来事に少しショックを受けているようだったが、俺に視線を向けると、ちょっとだけ笑顔を見せた。
「あなた達が来てなきゃきっと私は殺されていたわ。感謝するのは私の方よ」
フィルは車の傍まで来ると、口に咥えたダンボール箱を地面に置いた。後から追ってきた男はまだ車のある場所に気付いていない。今のうちだ。フィルは空を仰ぎ、身体を震わせる。すると犬の特徴である牙や尻尾や耳や全身の体毛は消えうせ、フィルは人間に戻った。変身した時に服が破れてしまったために裸だったが、急いで車のドアを開け、震える手で箱から注射器とアンプルを取り出した。車内灯をつけてレイの腕に解毒剤を注射した時、外からぞっとするような笑い声が聞えてきた。見るとレザーコートの男が銃を構えたまま車の後ろのほうから近付いてくる。フィルは犬の姿に戻ると車の外へ飛び出した。男に飛び掛り、肩に噛み付いたが、男はフィルの首筋を掴むと高々と持ち上げ、そのまま地面に叩きつけた。
「この野郎。ふざけやがって!」
男はフィル目掛けて銃を撃ち放つ。その時、何かが男の腕にぶつかった。カーミラだった。再び襲い掛かってきたカーミラを男は軽々と叩き落した。




