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 クリスマスも近い十二月の週末。町外れの小さなバー『ブルー・ムーン』の店内は色とりどりのオーナメントで飾りつけられたツリーやリースで、華やいだ雰囲気に満たされている。

 黒いベルベットのリボンで長い金髪を結んだレイは鮮やかな手さばきでシェーカーを操ると、海の色に輝く液体をグラスに注ぎいれる。カウンター越しにグラスを差し出すレイの手をジェシカはそっと握った。そのまま身を乗り出すようにしてレイの首に手を掛けて引き寄せ、キスをする。レイはジェシカの菫色のドレスの背中に手を回し、キスに応えた。

「おいおい、もうそれくらいで止しておけよ。氷が溶けちまうぜ」

 栗色の髪を短く刈り、口髭を生やした中年のマスターは、グラスを拭きながら苦笑する。

「イブの夜、七時よ。ご馳走を作って待ってるわ」

「分かった。必ず行くよ」

 ストレートなキャラメル色の髪に深いブルーの瞳が印象的なジェシカはカクテルを飲み干すと熱い眼差しでレイを見つめたまま、マスターの差し出す白いコートを受け取った。

 ジェシカが出て行き、午前一時を過ぎた辺りでマスターに電話が掛かってきた。

「息子が熱を出したらしい。悪いけど今日はこれで店を閉めることにするよ」

 

「マスター、お先に失礼します」

 レイは店の片付けを終えるとバーテンダーの服の上に黒いウールのコートを引っ掛け、店の主人に挨拶した。

「ああ、すまないね。俺の都合で」

「いえ、構いませんよ。マスターも早く帰ってあげてください。それじゃ、明日」

 レイは店のドアを開けて出て行った。

 マスターはその様子をじっと見ていたが、やがて携帯電話に手を伸ばした。

「ああ、今、出て行きました。後の金の方も早めにお願いしますよ」

 レイは腕のいいバーテンダーだし、男女問わず彼目当てに訪れる客も多い。だが、仕方がない。彼が人間として生まれてこなかったこと自体が不幸なのだ。マスターは今日、下ろしてきたばかりの金の束を見つめてにやりと笑った。



 まただ。廊下から悲しげな女の声が聞える。まだ父はあの実験を続けるつもりなのか。エルザは急いで廊下へ出た。二人の研究員が手錠をかけられた若い女を両側から抱え込み、引き摺るようにして歩いてくる。その女の顔を見た途端、エルザは蒼ざめた。

「まさか……! アリス!」

 エルザはアリスに駆け寄った。

「なんてことするの! 彼女は私の友人よ! さあ、帰りましょう。アリス」

 エルザは研究員の手を払いのけると、アリスの手を取って玄関に向かった。

「何処へ行く、エルザ」

 背中を氷のような声が突き刺さす。急いで外へ出ようとした二人の身体を数人の研究員が押さえ込んだ。

 たちまち引き離されるアリスはエルザを見て悲しそうに微笑んだ。

「どうして……どうしてこんなに酷いことするの!」

「ヴァンパイアは化け物だ。生きる権利などない」

 エルザは腕に刺すような痛みを感じた。気が遠くなる前に見た父親は、飢えたような目付きでアリスを見詰めていた。



 午前二時。裏通りには冷たい夜気以外には何者も存在していない。

 レイは足早にアパートへと向かっていた。こんなに早く帰るとデビィは驚くだろうな。奴は今夜も深夜テレビを見て夜更かししてるはずだ。

 息が白い。だが、それほど寒さを感じることはなかった。ヴァンパイアは人間よりも体温調節機能が優れているので、寒さに震えたり、暑さに喘いだりしたことはない。


 ――マスター。本当にいい人だな、彼は。割れたグラスで手を切り、ヴァンパイアであることがばれた時も何も心配することはないと言ってくれた。彼は俺達の種族に同情的なんだ。

 ジェシカ。俺にとって二人目の恋人。彼女はヴァンパイアで、しかもとてもチャーミングだ。デビィに感謝しなければいけないな。ロザリーのことが忘れられなくて、恋に消極的になっていた俺に彼はこう言ってくれた。

『ロザリーはお前と別れてから新しい人生を歩んでいるんだ。きっと幸せになっているし、彼女だって、お前の幸せを望んでいるんじゃねえかな』と。

 心がふっと軽くなった気がした。今でもロザリーに対する気持ちは変わらない。でも新しい恋をすることは裏切りではない。心の奥底にある彼女の面影は永遠に消えることはないのだから。

 ジェシカはいい娘だ。ああ、イブの夜が楽しみだ。――


 レイは嬉しさを隠しきれずに笑みを漏らす。プレゼントは何にしようか。

 大通りへ向かうために角を曲がり、しばらくして前方から人影が近づいてくるのに気が付いた。男だ。黒のレザーコートを羽織った大柄なその男は黒い長髪に黒っぽいニット帽を目深に被り、片手で大きなボストンバッグを持っている。そいつはポケットにもう片方の手を突っ込んだまま、レイの腕を掠めるようにしてすれ違った。

「メリー・クリスマス」

 男がそう呟くと同時にレイの左腕に激痛が走った。

「!」

 レイは立ち止まり、腕を上げて見ようとした。だが、どういうわけか腕が動かない。いったい何が起こったんだ。レイは急いで後ろを振り返った。そこには擦れ違った男が獲物を捕らえた狼のように不気味な光を湛えた目で、レイを見つめていた。歯を見せて下卑た笑い声を漏らしながら。

「お、お前……いったい何……」

「俺からのプレゼントだ」

 身体全体の力が一気に抜け始めた。それはレイが初めて経験する感覚だった。彼はその場でがっくりと膝を落とし、くず折れた。

「すっかり毒が回ったようだな。さて、それじゃあ、しばらく楽しませてもらおうか」

 男はにやにや笑いながら近づいてくる。その手には短い鉄パイプが握られている。男はレイの脇に立つと振り上げた鉄パイプを力任せに背中に振り下ろした。

 バキッと鈍い音がして激しい痛みが全身に走り、レイは悲鳴を上げた。

「さあ、次はどこを殴って欲しい? その長い足を粉々にしてやろうか」

 レイは男を睨みつけ、鋭い牙を剥き出しにして唸り声をあげた。

「おやおや、狂犬病の予防注射を忘れたみたいだな。悪い子だ」

 男は足でレイの身体を仰向けにすると、首を目掛けて鉄パイプを思い切り振り下ろした。

「ぐぁ!」

 レイの口から血が噴出したのに興奮した男は、狂ったような笑い声を上げながら無防備な腹や胸を容赦なく殴り続けた。 


 

 俺はその夜、紺のTシャツにジーンズといういつものスタイルでソファに寝転がり、もう何度も放映されているホラー映画を欠伸を噛み殺しながら見ていた。不気味な目をしたモノクロのノスフェラトゥが、ベッドの上の女に襲い掛かろうとするまさにその時、頭の中にレイの声が響いてきたのだ。「デビィ……」と一言。弱々しい、今にも消え入りそうな声。驚いてドアの方を見たが誰もいない。急いでドアを開けてみたが、外にも誰の気配も感じない。胸騒ぎがした。この時間、レイはまだ店にいるはずだ。だが、押し潰されそうなほどの不安を感じた俺はそのまま、部屋の外へ飛び出した。 

 レイが勤めている店へは一度冷やかしで行ったことがあるので道は分かっていた。大通りから路地へと走り続けてしばらく経った頃、前方に人影が見えた。地面に倒れている人物の上に誰かが馬乗りになっている。近づくうちにそいつが何かを振り上げた。ハンマーだ。

「てめえ、何をしている!」

 男はハンマーを下げて振り向いた。

「こいつはヴァンパイア、俺はハンターだ。邪魔をするな!」

 男は再びレイの方に向き直り、ハンマーを振り上げる。俺は奇声を上げながら、そいつの首の斜め後ろから回し蹴りをくらわせる。男はそのまま横様に倒れ、ハンマーを取り落とした。

「てめえ! 何しやがる!」

 男は起き上がると懐から銃を取り出した。だが、俺の蹴りが効いたのか身体がふらついている。男の銃口が俺のほうを向く前に腹に何度か蹴りを入れると男はぐう、と変な声をあげて気を失った。ぶち殺してやろうかと思ったが、レイの様子の方が気になってそのまま放っておいた。

 俺は仰向けに倒れているレイの胸から杭を叩き落とすと、起こそうとレイの背中に手を回した。レイは顔を顰め、唇を「痛い」という形に動かす。俺はレイの腕を持ち上げて見た。ぐにゃりとボロ布のように垂れ下がる腕を掴んだ途端、ぞっとした。骨がコートの布を破って飛び出している。俺はレイの横に落ちている鉄パイプを見た。あの男、レイを何十回も殴ったに違いない。俺は出来るだけそっとレイの身体を起こした。レイはうっすらと目を開けて俺の顔を見た。俺が動かすたびに身体に響くのか苦痛に顔を歪め、呻き声を上げる。彼の死んだように血の気のない顔を俺は初めて見た。

「大丈夫か、レイ」

 レイは俺を見て薄く笑みを浮かべてみせる。

「……どうってことないさ。一晩寝れば……」

 レイは掠れた声で囁くと、また顔を顰めて目を閉じた。俺はどうにかこうにかレイを背中に背負うとその場を後にした。

 息が荒く、熱い。背中に感じる彼の身体が次第に熱くなってきていることに気付き、俺は愕然とした。こいつは普通じゃない。ヴァンパイアが熱を出すなんて。震えだした身体を背負ったまま、俺は足を速めた。

アパートに帰り、コートを脱がせてベッドにレイを寝かせた。首に紫色の痣が見える。普通ならこんな痣はすぐに消えてしまうはずなのに。ぐったりとして目を瞑っているレイを起こそうと声を掛けたが、いくら呼びかけても返事はなかった。額に手を当てると燃えるように熱い。水を飲ませようとしてみたが、口から零れてしまう。俺は氷嚢を持ってくると氷を入れて彼の額に乗せた。不安だったが一晩待ってみることにした。胸を剣で刺し貫かれても一晩で治ってしまう彼のことだ。朝には何事もなかったように起きてくるに違いない。俺は毛布を被ってソファに横になったがとうとう一睡も出来なかった。


 翌朝、レイは相変らず眠ったままだった。腕の骨折も身体の傷も一向に治る気配はない。レイは時々、身体を動かそうとして苦しそうに呻き声をあげる。これはいったいどういうことなのか。まったく人間と同じようになってしまったレイを前にして俺は途方にくれた。医者に見せるべきだろうか。だが、人間の医者にヴァンパイアのことが分かるはずもない。だが、きっとヴァンパイアや他の魔物たちを診る医者もいるはずだ。その時、俺はクロード先生のことを思い出した。確か、レイは彼からの手紙を持っていたし、電話番号もそれに書いてあったはずだ。

 俺はレイの私物が入っている鞄の中を引っ掻き回して手紙を見つけた。電話をかけると出たのはクロード先生ではなく、彼の助手のフィルだった。クロード先生は息子のロンと旅行中らしい。彼は後天性のヴァンパイアで、以前、別の街でハンターに襲われているところをレイが助けたのだ。心優しく、気弱で人の血を吸うことが出来ず、動物の血で飢えを凌ぎ吸血衝動に苦しんでいた彼にレイは狼男のクロード先生を紹介した。その後、彼は先生のもとで医者になるために勉強を続けていた。

 フィルは俺がレイの状態を伝えると、すぐにでも駆けつけると言ってくれた。

「ただ、僕はまだ勉強中なので、応急処置しか出来ませんが……」

「そうか。クロード先生に連絡は取れないか?」

「先生は今、モントリオールに滞在中なので連絡してもすぐには来られませんよ。とにかく電話では埒が明きませんから僕はすぐにそっちへ向かいます。気を落とさないで下さい」

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