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放課後、僕はひとりで歩いていた。
部活に所属していない僕は、授業が終わったらすぐに学校を出ることが多い。
学校の最寄り駅までは同じクラスで同じ帰宅部の紫輝も一緒なのだけど、電車の方向が逆になるため、駅に着いた時点でお別れとなる。
朝はいつも鶯と一緒ですぐに時間が過ぎてしまうけど、帰りの道のりは、なんだか朝の倍以上の時間がかかっているように感じられた。
鶯は文芸部に所属している。だから、一緒に帰ることができない。
以前、一緒に文芸部に入ろうと鶯から誘われたことがあったけど、僕は断った。
鶯から借りた本は読むようにしているものの、自分から進んで本を読むなんてマンガ以外ほとんどありえない。そんな僕が文芸部に入るなんて、他の人たちに失礼だと思ったからだ。
鶯となるべく一緒にいたい、という気持ちはもちろんある。でも、そんな目的で文芸部に入るのは、なにか違うと思った。
……いや、べつにそれでも構わないのかもしれない。ただ僕が単純に、臆病なだけ……。
幼馴染みでずっと近くにいたから、鶯のほうも義理で誘ってくれただけで、あまりしつこくされるのは、本当は嫌なのかも。
そんなふうに思ってしまう自分がいるのだ。
鶯に限って、そんなことは絶対にない、とは思う。
長年一緒に過ごしてきたのだから、そばにいることを鬱陶しく思われるなんて、今さらあるはずがない。
だけど、人の心なんて簡単に変わってしまうもの。
鶯の両親だって、すごく仲がよかったはずなのに結局は離婚してしまったわけだし……。
ひとりでいろいろと考えながら歩いていると、速度も自然と遅くなってしまう。
帰り道を長く感じるのは、そのせいだ。
それだけではないことは明白なのに、僕はそう自分に言い聞かせながら、とぼとぼと家路を往くのだった。
☆☆☆☆☆
「ただいま~」
「あっ、お帰り~、おにぃ~」
僕が玄関に入ると、好野が声で出迎えてくれた。
べつに待ち構えていたわけではない。単に、玄関横にあるリビングでくつろいでいただけだ。
僕は階段を上がって自分の部屋に入る。そして素早くカバンを置くと、部屋着に着替えてから再び部屋を出て一階へ戻り、リビングのソファーに腰を落ち着けた。
隣には好野が座っていて、もうひとつあるソファーにはお母さんが座っている。
テーブルの上には紅茶とお菓子が用意され、ふたりともテレビを見ながら会話を楽しんでいた。
自分の部屋はあっても、勉強時間や寝るときを除いて、なるべくリビングで過ごす。
そうやって家族で時間を共有するのが、我が家のスタイル。
お父さんは仕事で遅くなる場合が多いから、なかなか一緒にいることができないけど、お母さんや好野とは毎日それなりに会話を交わしている。
すでに僕のティーカップも用意されていて、ソファーに座る前に、お母さんがすかさず紅茶を注いでくれた。
なるべく移動が少なくて済むよう、電気ポットがリビングに置いてあり、ティーポットも用意されている。
紅茶は市販のティーバッグだけど、何杯も飲むことから手軽さを優先しているようだ。
お菓子類にしても、お皿に乗せられてある分以外に、いくつか口を閉じた袋が置かれている。
お喋りタイムが少々長引いたとしても、紅茶のおかわりやお菓子の補充は、なんの問題なく行われることだろう。
「おにぃ、なんだか元気ないんじゃない?」
一瞬で沈んだ心を見抜かれる。
「いや、べつに……」
「鶯ちゃんとケンカでもした?」
お母さんも心配そうに尋ねてくる。
「ど……どうしていきなり鶯になるのさ?」
僕は焦ってごまかそうとしたのだけど、
「じゃあ、鶯ちゃん絡みじゃないの?」
という好野からの問いかけに、反論を返すことができなかった。
「染衣と鶯ちゃん、仲がいいものね~。大丈夫よ。ケンカなんかしても、すぐに仲直りできるわ」
「そうそう。あっ、クッキーでも焼こうか? あとで持っていってあげれば、会いに行く口実になるよ?」
「い……いいよ、そんなの。っていうか、ケンカなんかしてないし!」
「そうなの? だったら元気がないのは、染衣自身のせいね?」
「不安になっちゃったとか? 鶯ちゃんが実は、おにぃのことを鬱陶しく思ってるんじゃないか、なんて」
「う……」
言葉に詰まる。
「図星げっちゅ!」
「わ~、さすが好野ね~。智絵理、今月まだ図星ふたつだけよ。好野はもう、八個目だっけ?」
「九個目よ! ふっふっふ、今月は絶対、よしのの勝ちね!」
「しゅ~ん。でも、ここからラストスパートするからね~」
「……ふたりとも、僕で図星当てゲームするの、やめてよ……」
言ったところで聞かないことはわかりきっているけど、一応の抵抗は試みる。
「通算成績も五十七対十四で、よしのの圧倒的リードだしね!」
「悔しいわ~。好野ったら、強すぎ!」
「えっへん! おにぃのことは、なんでも知ってるもん! エッチな本の隠し場所とか!」
「それは智絵理だって知ってるし~」
「なんで知ってるの!? っていうか、毎月のゲームで五十七対十四って、いったいどれだけ続けてるの!?」
「ん~っと、六年くらい?」
「そんなものかしらね~」
「僕にはプライベートはないの!?」
『ないわね~』
ふたりして声を揃えて言わなくても……。
僕の抵抗は、やっぱり無意味だったようだ。
「ま、元気出しなよ、おにぃ。鶯ちゃんなら絶対大丈夫だって」
「ええ。ずっと仲よしさんだったんだもの。家族みたいなものよ。だから大丈夫。ふふ、いつか智絵理や好野よりも大切な人になっちゃうかもしれないわね~」
「でも、おにぃって、なんだか頼りないからな~」
「そうね。もうちょっと頑張らないと。さてと、それじゃあ栄養がつくように、智絵理は頑張って夕飯を作るわね」
「よしのも手伝う~!」
僕を蚊帳の外に放り出しながら、女性陣の会話は進んでいく。そしてソファーから立ち上がり、キッチンへと入っていった。
「あっ、僕も手伝うよ」
そう言ってキッチンに足を踏み入れようとすると、途端にステレオ音声で叱責が飛んでくる。
『男性はキッチンに入らないの!』
「……はい。黙って待ってます」
僕はしぶしぶもとの位置に戻り、ラジカセから流れる古い歌に合わせて繰り広げられるお母さんと好野の鼻歌二重奏を聴きながら、ぼーっとテレビを眺めて夕飯を待つことにした。