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「ふぅ~、疲れたな……。夕飯の前に、お風呂に入っちゃおうかな」
そんなことを考えながら、僕は階段を下りていった。
階段を下りきると、目の前には好野が立っていた。しかも、なにやらニヤニヤといやらしい笑みを浮かべている。
「ん? 好野? どうしたんだ?」
「おにぃ……」
首をかしげる僕の前で、一旦こほんと軽い咳払いをしたかと思うと、好野はこんな言葉をつなげた。
「僕は鶯が世界中の誰よりも好きだ! 大好きなんだ!」
「なっ!?」
一瞬で顔が真っ赤に染まるのが、自分でもよくわかった。
「聞こえたよ~? まったく、おにぃったら~!」
「いや、あの、その、あれは……!」
あれだけの大声で叫んだのだから、当たり前といえば当たり前だけど、僕の想いを乗せた声は、一階にまで聞こえてしまっていたようだ。
「聞いてるこっちが恥ずかしかったよ! それに……」
さらに恥ずかしい状況が、僕を待ち受けていた。
好野が自分の背後に視線をずらす。その先には――。
「…………」
真っ赤になってうつむいている、鶯の姿が!
「えええええっ!? どどどどどど、どうして鶯がうちにいるの!?」
「夕飯、うちで食べてもらおうと思って呼んでたのよ。そしたらおにぃ、あんなこと叫んでるんだもん!」
ニヤニヤニヤ。好野は笑顔を崩さない。
僕はじっと鶯を見つめる。
部屋着なのだろう、Tシャツにひざ丈のスカートという格好。制服姿じゃない鶯を見るのも、遊園地デート以来だろうか。
そんな鶯。顔は下に向けたまま、控えめに小さく質問の声を向けてくる。
「……ねぇ……さっきの……ほんと……?」
さっきの僕の言葉が本当なのか、そう聞きたいのだ。
「うん、本当だよ」
僕は意を決して、素直に答えた。
鶯が顔を上げる。見つめ合う僕と鶯。
「好きだよ、鶯」
面と向かって言えなかった言葉。
ずっと伝えたくて、でも恥ずかしくて伝えられなかった想い。
僕はようやく、しっかりと声に出して届けることができた。
鶯の顔は真っ赤だった。瞳がうるうると潤んでいるように見える。
一瞬の間を置いて、
「あたしも、好き!」
キラキラの笑顔を伴い、僕の胸に飛び込んできた。
鶯は強く強く抱きしめてくる。僕もその想いに応えるように、強く強く抱きしめ返す。
「お熱いことで」
好野が手で顔をあおぐ仕草をしながら、冷やかすようにつぶいた。
僕は今、鶯とお互いの想いを確かめ合い、抱き合っている。
こんなに嬉しいことはない……のだけど。
なんだか鶯は、強く、というよりも、強すぎるくらいに抱きしめてきていて……。
「ちょ……っ、鶯……、痛っ……! 痛いんだけど……?」
「うるさい! 黙って抱かれてなさい!」
怒鳴りつける鶯の声は涙声だった。
泣いている顔を見られたくないのだろうと考えた僕は、鶯にされるがまま、痛くても我慢していたのだけど。
くんくんくんくん。
鶯は、なにやら匂いを嗅ぎまくっている様子だった。
なにをやってるんだろう?
ちょっと変わってはいるけど鶯の匂いは僕も好きだし、同じように鶯も僕の匂いを嗅いで喜んでくれている……のかな……?
でも、どうやらそういうことではなかったようだ。
「ねぇ、染衣。なんかさ、お花みたいな匂いがするんだけど。しかも結構強めの匂い。ついさっきまで、直接くっついていたくらいの……」
「え……あ~、えっと、それは……」
鋭い!
僕はついさっきまで、ラナンさんを抱きしめていた。鶯はその匂いを嗅ぎ取ったのだ。
そりゃあ、ラナンさんは近寄っただけでも爽やかな花のような香りを感じるくらいだから、抱きしめたらその匂いが完全に移るのも当然なのだけど。
あちゃ~、失敗した!
そう思いながら、どうにかごまかそうと必死に考えを巡らせる。
それが余計に挙動不審を引き起こす原因となってしまい……。
「怪しいな~。もしかして、部屋に誰か女の子がいるの!?」
「い、いるわけないじゃん!」
冷や汗をだらだら垂らしながら弁解する僕は、ひたすら怪しかっただろう。
だいたい、ラナンさんを抱きしめていたのは確かだとしても、べつにやましいことがあるわけじゃないのだから、焦る必要なんてなかったのに。
そこで、さらに好野が余計なことを掘り起こす。
「だけど、それじゃあさ。おにぃ、さっき、なんであんなこと叫んでたの? 独り言?」
「いや、それは、その……」
「……鶯ちゃんのことを考えながら、ひとりでエッチなこととかしてて、思わず叫んじゃったとか?」
そんなことを言いながら、ぐへへへといやらしい笑い声をこぼす好野。
おっさんか、お前は!
「そんなわけないだろ!」
否定の言葉を叫ぶものの、好野のいやらしい笑みと、鶯から向けられる白い目は、一向に変わる気配がなかった。
そのとき、救世主現る。
「紫輝くんが遊びに来てるからよね~?」
お母さんがキッチンから廊下に出てきて、僕を弁護してくれた。
助かった!
……と思ったのも束の間。
「そ……それじゃあ、このお花みたいな匂いって、藤柳くんの匂い? ま、まさか染衣、藤柳くんと抱き合ってたのっ!?」
鶯は僕をドンッと両手で押しのけ、距離を取る。
思いっきり引かれてしまったようだ。
なぜそうなるのやら。女の子の思考回路って、よくわからない。
「違うってば!」
「怪しい」
「怪しくなんかない! だいたい、なんで紫輝なんかと……!」
「俺なんかって、どういうことだよ!?」
僕と鶯の怒鳴り合いに、さらなる声が加わる。それは階段から下りてきた紫輝だった。
下りてきたのは、紫輝ひとりだけ。ポインセチアはいないようだ。姿を消しているのだろう。
そして紫輝は、現状をさらに混乱させるような言葉を続ける。
「染衣のい・け・ず♪」
僕のほうに視線を向けながら、紫輝はくねくねと腰を揺らす。
オ……オエェ。気持ち悪っ!
だけど鶯は、そのせいで完全にさっきの妄想を信じ込んでしまったようで。
「あ~、やっぱりそうなんだ~!」
さっきまでとは別の意味での涙目になりながら、そんな叫び声を上げる。
「違うっての! 紫輝もおかしなことを言うなよ!」
「はっはっは! まあ、冗談はともかく」
紫輝は笑いながら、僕の背後に移動、トン、と背中を押した。
「わっ」「きゃっ」
少し距離を取ってはいたけど真っ正面にいた鶯を、僕は再び抱きしめる形になった。
鶯の顔が真っ赤に染まる。もちろん、僕も。
腕を背中にしっかりと回し、鶯の体を強く抱きしめる。鶯も控えめに抱きしめ返してくれた。
「これで一件落着ってわけだな」
いけしゃあしゃあと言い放つ紫輝。
「うんうん、仲よしこよし! ちょっとしたケンカだって、仲がいい証拠だよね~!」
楽しそうに笑いながら、好野もほのぼのとした雰囲気で僕と鶯を眺めている。
「ほんとね~。我が子ながら、アツアツすぎて恥ずかしいわ~」
お母さんまで、のほほんとした声をこぼしている。
「……ほれ、染衣、キメどきだぞ?」
「え?」
「ここで、ぶちゅ~っと!」
「おお~!」
紫輝の提案に、好野とお母さんが期待の目を向けてくる。
「し……しないってば!」
真っ赤になって否定する僕だったけど、それは否定にならなかった。
「んっ……!?」
刹那、僕の唇は塞がれていた。鶯の柔らかい唇によって。
「お~……」
家族と友人の歓喜の吐息を耳にしながら、僕は鶯と、初めての長い長いキスを交わしたのだった。
……鶯らしい独特な変わった味……なんて思ってしまったことは、さすがに本人には内緒にしておこう。